《Rock'n roll 3》
初めてロックを聴いた頃、初めてバンドを組んだ頃のことを、最近珠美はよく思い出す。
過去と切り離された今という時間を考えると、彼女はなんていうか、とても寂しくなってしまうのだ。どうして自分が今ここにいるのか、ときどきわからなくなってしまいそうになる。
いろんなことがあって、自分は今ここにいる。そして、他でもないそれは、自分が選んできたことの結果なんだってことを、忘れないようにしたいと思う。
そうでないと、繰り返される日常はときとしてとても空虚なものになってしまいそうだから。
だから彼女はときどき、あの頃のことを思い出す。
いろいろなものにぶつかって、鬱々としていたあの時代。それが彼女のルーツ。
世にもダサい格好で中学に通っていたあの頃、彼女は俗にいういじめられっ子で、軽度の登校拒否児だった。今となっては当時の彼女の姿を知る者は、あまりいない。
教師だった両親は珠美に厳しく、彼女が道を踏み外すことを異様に恐れて、やたら、ぴりぴりしてた。髪が長すぎるだのスカートが短すぎるだの、くだらないことでいろいろと怒られた。仕方がないから親の言う通りにしてたら、今度は学校で浮いた存在になってしまったのは当然の結果で。
あの頃のことは、あまり思い出すまい。誰が悪いわけでもないことは、今の彼女ならわかるけれど、当時は両親も先生もクラスの連中も、みんな嫌いだった。そして何よりも、いつも縮こまっておどおどしてる、自分自身がいちばん好きになれなかった。
そんな彼女の暗黒時代を救った奴らがいる。
そいつらは彼女が何気なくつけた、深夜のテレビ番組の中にいた。
ローリング・ストーンズ・・・・彼らの結成何周年だかを記念した特番を、彼女はたまたま目にしたらしい。なんとかいう有名な音楽評論家が司会をやってて、彼らのドキュメンタリー・フィルムを年代順に流しながら、日本のアーティストにコメントさせてみたり、リクエスト葉書によるBest50を発表したり、彼らの最新ビデオ・クリップを紹介したりしてた。
そして、深夜2時にその番組が終わったとき、珠美の世界はひっくり返っていたんだった。
こんな体験を俗に「ロックに目覚める」という。
もちろんストーンズの名前ぐらいは知ってたけれど、彼らが自分にメッセージを送ってくれているなんて、思いもよらないことだったのだ。
他人と価値観が違うってことは決して罪じゃなく、むしろわかんない奴らがバカなんだ、そんな開き直りの精神を、ミック・ジャガーのふてぶてしい唇は語っていたような気がしたし、ステージで飛び跳ねるキースは、「つまんねーこと考えてないで、バンドやろうぜ」って、全身で誘いかけてる気がした。
学校からの帰り道、先生の話なんかちっとも聞いてない授業中、いつもがりがりとしたギターの音が、頭の中に響いてる。お小遣いをもらうと、レンタルレコード屋に直行し、「Beggars Banquet」だとか、「Let it bleed」とかのジャケットを手にすると、足が震えた。針を落とす瞬間は、どきどきした。クラスの連中が何を言ったって、あたしの思ってることが、一番カッコいいんだ。お父さんやお母さんの言うことなんて、もう気にしない。あたしはあたしなんだから。
高校生になると彼女はバイトを始め、ギターを買ったり古着を買ったり、独りでコンサートに行くようにもなった。いろんな縁でそんな関係の知り合いも増えたし、学校も彼女にとってそう、居心地の悪いものでもなくなってきた。不思議なもので、基本的に自分に自信を持って生きてる人間に対しては、そいつが何をやっても子供たちはなにも言わない。相変わらずクラスの子達は本当の意味での「仲間」とは言えなかったけれど、彼女の好意を持ってくれるキトクな奴もいて、いっしょにお弁当を食べる友達には困らなくなった。
両親も彼女に対してあきらめの態度を見せ始めたとき、珠美は生まれてはじめてのバンドを組むことになったんだった。
バンドを組んだ、というよりも、バイト仲間のお兄ちゃんに引っ張り込まれる形となったそのバンドの、珠美を除いた平均年齢は25歳。大学生やフリーターが、まあお遊びでやってるようなバンドだったけど、それでも珠美には大した経験だった。
歳のわりには古臭い音楽の好きな連中で、やる曲は珠美のよく知らない60年代、70年代のロックやR&Bなんてものばかり。だけど、もともとストーンズの好きな彼女であるからして、そのルーツになるチャック・ベリーやボ・ディドリー、古きよき時代を映すひなびたサウンドにすんなり溶け込み、すぐに夢中になった。
サイケデリックやウッドストック、パンクスからラスタファライにいたるまで、あらゆるロックの思想は、免疫のない彼女の頭をドラッグ漬けにしてしまった。それらが既に終わったものだなんて、とても彼女には思えない。初めてストーンズを聴いたときの、ミック・ジャガーの言葉を聞いたときの、心臓をがつんと掴まれたような衝撃は、忘れられないもの。これが世界を変えられないわけがない。
かように思い込みの激しいガキではあったが、彼女のボーカルは誰もが認めるところだった。本当はどうこういう理屈の前に、歌うことが楽しくて仕方なかったのも事実。メンバーがバイトするちっちゃなホールで、月に1度のライヴ。ステージに上がるときの、胃袋がぎゅっと縮むような緊張感は、いつまでも彼女に取り憑いていたけれど、不思議なことにそれがたまらない快感なんだった。
頭はパニック、ボルテージは最高。客席なんて、もちろん見えない。喉のあたりで固まって震えてる声を絞り出す。だから、ジャニス・ジョプリンばりの絶叫が当時の彼女の得意で、ジャズなんかを軽く歌えるようになったのは、ずっと後になってからだった。
「タマは基本的にマゾなんだよ」バンドの誰かが言ったとおり、あの頃の彼女は妙に生き急いでいて、なんでもかんでもヘヴィーな方向に持って行きたがるのが常だった。高校生のくせにウォッカやウィスキーをストレートであおって、タバコを日に3箱も吸って、できることなら30になる前に死にたいと、本気で思っていた。いつもカリカリしてて、ちょっと触ったらパチンと破裂してしまうぐらい、パンパンに張りつめていて、彼女をなだめる周りの人間も、さぞ迷惑だったに違いない。
長い人生の中の、ほんの一瞬。あっという間に過ぎてしまった2年間。初めての酒やタバコ、ハッパさえも平気で口にしたし、同じバンドのにーちゃんを好きになって、そいつと寝たりもした。もちろん相手は本気じゃなくて、それがわかったときには身体がばらばらになってしまいそうに辛かった。初めてジャニスの歌がわかるような気がしたし、独りでバーボンをあおって、ブルースを聴くことも覚えた。
今思えばそのナルシストぶりは、ちょっと恥ずかしいような気がするけど、ヘヴィーな恋愛をしてすっかり大人気取りだった彼女に、自分を客観的に見つめる目なぞあるはずもなかった。
高校卒業と同時に、メンバーの就職だの結婚だのがきっかけで、バンドは解散することになった。だけど、だからといって歌まで止める気は、さらさらない。無茶な生活のおかげで珠美の声は低いしゃがれ声になり、ドスのきいた迫力ある歌いっぷりは、そこいらではけっこう有名になってた。ただ好きでやってきたことだけれど、もしかしたらモノになるかもしれない。大学に行ってもよかったんだけど、もう少しヘヴィーな環境に自分を置いてみたい気がした。
結局、進学も就職もせず、めでたくプータローとなった彼女は、両親の猛反対を振り切って家を出る。そして、当時はピンキー・ピンクフィッシュと名乗っていた、まー坊のバンドに加入し、そのままスター街道をまっしぐらに進んで行くはずなんだった。
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