《Rock'n roll 2》
「やっぱ最初はストーンズだよね。そっからハードロックに走って・・・・」
「パープルとか、ツェッペリンとか? そういえばお前の時代って、ヘヴィメタルの全盛期だったんじゃねーの?」
「ヘヴィメタ!! 聴いたよ。若かったからね。モトリー・クルーとか、ラットとか。でも、どっちかっていうと古いのが好きだったな。ヤードバーズ、フー、ジミ・ヘンドリックス、クリーム。あの時代の音楽なら何でも聴いた。ステージでもやったし。あたしがバンドやってたころって、ベルボトムのジーンズなんてそこらに売ってなかったから、必死で探し回ったりして」
「なにお前、そんなの履いてたの?」
「ライヴハウスのにーちゃんにゆずってもらって、でも裾が長すぎて、切ったらふつーのになっちゃった。すんごく悲しかった」
「はは、ばっかじゃねーの」
ダンナの朋久は、食品メーカーの営業マンをやっている。
最近はそんなに仕事も忙しくないらしく、土曜日はたいていお休み。天気のいい日は2人とも11時ぐらいに起きだして、珠美は朝昼兼用の簡単な食事を作る。チーズと卵と、サーディンとガーリックトーストとプチトマト。それから、ワインなんかも空けもって長話。暑い日など、朝っぱらからいきなりチーズ鱈と缶ビールになる日もあったが、それでもダンナはベランダに出て陽にあたりながら、機嫌良く飲んでいる。
今日のBGMは、ルイ・アームストロング。朝に似つかわしい、数少ないジャズのひとつ。朋久は大学時代、ジャズのバンドでピアノを弾いていた。
「ブリティッシュとかサイケとかハードロックとかさ、聴くようになったの、珠美と付き合い始めてからだぜ。それまではジャズかな。マル・ウォルドロン、キース・ジャレット。チャーリー・パーカー最高。あとはR&B。オーティスとか、アレサとか、そんなんばかりだった。大学時代」
「もっと若いころは、なに聴いてたの?」
「ピアノやってたから、昔はクラシックが好きだった。中学のとき、YMOでシンセに目覚めて・・・」
「ははは」
「高校時代は、フュージョンやってた。カシオペアとか」
「波乱のない人生だったね」
「そう言われると、ちょっと悔しい気がする」
結婚して5年もたつけれど、今でも朋久と話すのは楽しい。よく考えると、何度も同じことをしゃべってたりするけれど、それでも飽きない。
サッチモのだみ声が歌う。What's a wonderful world・・・・陽だまりをそのまま音にしたようなその歌も、ただのきれいごとには思えない瞬間がある。
デコボコガリガリとした人生を送ってきて、それがカッコいいもんだと思っていた。ワンダフル・ワールドなんてバカらしい。いろいろあるから人生って面白いんじゃないの。
朋久みたいにツルンとした人生を送ってきたヒトを、珠美はそれまで知らなかったので、その無理のない穏やかさは驚異だった。そして、今までにないぐらい、気を許せた。
彼がいったい自分のどこを気に入ったのか、彼女にはいまだ定かでないのだけれど。
「レゲエフェスのチケット、あさってから予約だと。珠美、行く?」
夏は野外でレゲエ。クーラーボックスにビールを一杯つめ込んで、2人して歳を忘れて踊る。珠美はそういうのが大好きなので、一も二もなくうなずいてしまう。
朋久みたいな奴がダンナでよかった。音楽のわかるヒトといっしょになれてよかったって、こんなとき珠美は、心からそう思うのだ。
陽だまりのような毎日、What's a wonderful world。朋久がそばに居る限り、何も不安なことはないのだけれど・・・・・。
月曜日の朝、ブルー・マンデーにとりつかれた朋久は、いつも少し機嫌が悪い。実際、比較的仕事がヒマな時なんかは何かと理由をつけて有休取っちゃったりすることもたまにある。だけど今日は夕方から社内でちょっとした会議があるそうで、そんなわけにはいかないらしい。
「今日は外でメシ食ってくるわ。悪いけど、遅くなる」
「忙しいね」
「仕事はそうでもないんだけどね。付き合いってやつ」
そう言って朋久は、心底嫌そうに顔をしかめる。働き盛りの29歳、珠美にはなんだかよくわからないようなことで、彼は毎日忙しい。
「元気出しなよ。バーボンとつまみ用意して待っててやっから」
「飲む気力が残ってりゃいいけど・・・・。あー休みてー・・・・っていうか、辞めてー。珠美、今日限りで会社辞めちまっていいか?」
朋久もまったく、こんなときは駄々っ子なのだ。
仕事がのってるときは、何曜日であろうとほいほい出て行くくせに、調子が悪いとすぐこうなる。彼に言わせると、社内会議は嫌い、嫌な上司、気に食わない取引先と仕事する日の朝は胃が痛くなる。
まあ、嫌なことをはっきり嫌と言ってしまえるとこが、彼の可愛いとこなんだけどね。人間ぽくていいじゃん、と珠美も思っているものだから、この夫婦はしょうがない。それに彼女は心得たもので、こんな時はひたすらおだてて送り出してしまえばいいことを、経験的に知っている。
しかたないよ朋久頼りにされてんだからさ、主任なんだから、やっぱ会議には出なきゃでしょう。1日なんてあっという間だよ。遅くなるって言っても、10時ぐらいでしょ?起きて待ってるから、頑張って行ってきなよ。
棒読みのようなセリフ。なんともへたくそなおだて方だけど、一応妻の気持は伝わるらしい。
「ほんじゃ、行ってくるわ」と苦笑いを残して、ばたんとドアが閉まり、珠美はふうとため息をつく。
不思議なことに、彼は満員電車に乗っていると、気持がシャキっとしてやる気が出てくるらしい。通勤ラッシュの人ゴミに揉まれてると、自分はあれこれわがままや贅沢を言えるような身分じゃないんだって、思えてくるんだと。屈折してる。
会社に着いてしまえば、嫌な仕事だろうが、嫌な上司だろうが、なんでも来い!!っていう気持になってるというから便利なもんだ。かくして会社ではバリバリ働き、家では妻に愚痴をこぼし、朝は会社へ行きたくないとごねる企業戦士が出来上がる。彼のそんな二重人格を知っているのは珠美だけ。
なんだかんだ言っても、社会に生きる人間は強いもんだなあと、感心してしまうのだ。
さて・・・・と、今日も珠美にとっては長い一日が始まる。
景気づけにはオールマン・ブラザーズ・バンド。お皿を洗って、洗濯物を干して、それから何をしよう。彼女は途方に暮れてしまう。
やらなければいけないことは、山ほどあると思うのだけれど・・・・。
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