《Rock'n roll 1》
最近、深夜テレビのライヴにちょくちょく昔の仲間が出て、珠美をびっくりさせるようになった。
どうも近頃そういう番組がウケるのか、地元のアマチュアやセミプロのバンドを集めて、ローカルのテレビ局がライヴやプロモーションビデオを流したりしてる。夜中に音をしぼってそいつを見る珠美の心境は複雑だ。
明日も早いのだからして、夜更かしはよくない。寝る前に酒を飲むのも健康上よろしくない。だけど彼女は時おりそうせずにはいられなくなるのだ。
決して今の生活に不満があるというわけじゃないのだけれど。
今、ステージではピンキングフィッシュという、幾分トウのたったバンドがブルースっぽい曲をやっている。ぼろぼろのジーンズに汚いスカーフをぶらさげたギタリストは、珠美より3つ年上だったから、31になっているはずだ。名前はまー坊という。彼は珠美の昔のバンド仲間で、一時は彼氏をやっていたこともある男だった。
3日後、そのまー坊から連絡があった。久しぶりに会いたいと言う。友達どうしを長くやってる間柄だし、珠美はすでに人のモノでもあるので、色気のある話でもなんでもないのだけれど・・・・。
「東京に行っちゃうんだよね、メジャーデビューできるっていう話があって、まー多分こっちへ戻ってくることもないだろうから、昔のツレと会っとこうと思って」
というわけだ。
待ち合わせは、昔入り浸ってたインドっぽいカフェ。カタギの身になってみると、ここに居てもなんとなく浮いてるような気がする。居心地が悪くて、なんとなく小さくなって待っていると、15分遅れてまー坊が現れた。
「まー、タマちゃん。見るからに丸くなっちゃって」
「それって、太ったってこと?」
ここ1年で、3キロばかり太った彼女はどきっとして聞き返す。まー坊はといえば、サイケなパーカーに、スリムのジーンズ。昔より多少地味になったものの、あんまり変わってないものだから。
「幸せそうだって、ことだよ」
「やっぱり太ったんだ・・・・」
いびつな形のコップに入ったチャイが、珠美の前に置かれた。珍しいものでも見るように、彼女はそのコップと奇妙な色の液体に目をやり、ラスタカラーの帽子をかぶったウェイターのお兄ちゃんの後姿に視線を移す。ああいうものたちが、当たり前のように彼女の日常に存在していた時期も、確かにあったのだ。
「こないだ、テレビ見たよ。『原色LIVE図鑑』」
「何おまえ、いまだにあんなの見てるの」
「びっくりした。ピンキング・フィッシュも偉くなったもんだね」
「すげーだろ? 最近みんな、羽振り良くってさ」
「うん、時々ビビってしまう。エイジとかアンちゃんとかも、こないだ出ててさ。あいつら、まだあのバンドやってんだね。UK・UNITだったっけ」
「ああ、あいつらすげぇよ。ヨーロッパでライヴハウス回ってさ。けっこう好評だったんだと。向こうの雑誌にも載ってた」
「うわー、信じらんない」
「やっと認められた・・・・っていうより、まあ、時代の流れだろーね」
ほんの数年前、珠美がまだみんなとバカやってた頃、フリーターで素人バンドをやってるような連中っていうのは、世間的に見れば完全な異端だった。ヒッピーまがいの汚い格好、時代錯誤のブルースやR&B、60年代でもないのに、そんなものたちが再びもてはやされるようになるなんて、なんだかこそばゆい。どっちにしろ、珠美にはもうあまり関係ない世界なのだけれど。
「タマもその気になりゃ、いいセン行くのに。歌は? もうやんないの?」
「うた・・・・?」
珠美は思わずばかみたいに繰り返して、まー坊を見つめたまま、言葉が出てこなくなった。
歌を再びやるだなんて発想、今の彼女からはすっぽりと抜け落ちていたものだから。
そういう自分に気づいたことが、むしろショックだったかもしれない。
「ははは、上手くいってデビューとかになったら大変だもんな。ダンナが黙っちゃいないか」
気まずい雰囲気を感じ取ったのか、まー坊はわざと明るい声でそんなことを言って、白々しく笑った。
ダンナが黙っちゃいない・・・・か。つられて曖昧な笑顔を返しながら、珠美は胸の中に少しひっかかるものを感じる。
ちゃらちゃらと店内を漂っていた変なインド音楽が途切れ、代わりにレゲエが流れ出した。話題を変えようと、珠美は口を開いた。
「彼女とは仲良くやってんの?」
「あー、別れた。ついこないだ」
「嘘でしょ?」
「ほんとほんと、こっちはデビュー決まって、当分落ち着けそうにもねーし、あいつももういいトシだしさ。見合いするんだと」
「そっかあ、けっこう長かったのにね」
「しょうがねえさ。別れてしばらくは、ちょっとヘビーだったけど。でも、夢も追いたいオンナも欲しいじゃ、ちょっと都合良すぎるもんね」
「まあね。そりゃーそうだ」
こいつけっこう悟ってんじゃん。珠美はちょっと可笑しくなる。いっしょにバンドやってたころ、こいつはどうしようもないガキでだだっ子だった。男も30越えると、やっぱ丸くなんのかなぁ。
「ま、めったにないチャンスだしさ。がんばんなよ」
元気づけるつもりでそう言ったのに、どういうわけか、なんともいえない苦笑が返ってきた。
「チャンスっていうのかねえ。ここだけの話、これさえなきゃ、あきらめつけてここいらで身ぃ固めるつもりだったんだけどな。できなくなっちまった」
彼としてはめいっぱい、冗談ぽく言ったつもりだったんだろう。
だけどその言葉に思いがけず切実な響きを聞いてしまい、珠美は一瞬、言葉につまる。でも、ここでひっかかってはいけないような気がした。
「なに弱気なこと言ってんのよ」
そう言ってまー坊の背中を思いっきりはたく。彼が少しむっとして、何か言おうとした瞬間、店の中に静かなハモンドオルガンの音が流れ始めた。
あー、この曲好きだ。ジミー・クリフの『Many rivers to cross』
珠美はちょっとだけ、目を閉じた。いろんな音が、宝石のように思えて、いろんな人が神様のように見えて、ただ切なかったころがある。
思わず静かになってジミー・クリフのしゃがれ声に耳を傾けるこのふたりに、そんな日々はすでに遠い。
top next