Just Lovers 9 気が付けば2月も半ばを過ぎていた。発表会は例年にない大盛況で幕を閉じ、既に唯はエネルギーのほとんどを使い果たしてしまったような気持になったものだけれど、残されたわずかな日々のことを思えば、もちろん、腑抜けになってなどいられない。 だけどその日を境に、明らかに自分の中で何かが終わり、そして終わりつつあることがひしひしと胸に迫っている。 本番前日の最後の練習が終わったとき、大抵の先生は毎年、感激のあまりに泣いてしまうのだけれど、唯も例外にはなれなかった。 人前で泣くようなガラじゃない。「絶対に泣くわよ」とみんなから言われ、「絶対に泣くものか」と決意を固めていたのだけれど、唯が題材として選んだ「子供向け」とは言いがたい音楽や劇の数々を、堂々と完璧にやり遂げた子供達の姿を見ると、そんな決意は一瞬にして吹っ飛んでしまった。 本番当日も推して知るべしで、スポットライトの下、晴れがましくも緊張した表情で子供達がひとつひとつのプログラムを終えるたびに涙ぐみ、すべてが終わった瞬間には舞台の上であることもかまわずぼろぼろと泣いてしまった。いつも冷静な篤矢が終了の挨拶の際に思わず声をつまらせてしまったのを見てさらに泣き、最後に親達から「うちの子にこれだけのことができるとは思わなかった」と感激した風に言われて、また泣いた。 あの2日間で、一生分の涙を使い果たしてしまったような気がしたものだけれど。 それが、これから始まる涙、涙の日々の、ほんの序章にしか過ぎないことを、唯は知らない。 ともかく今は、少し落ち着いている。発表会の練習が佳境に入っていた頃は、頭の中の99%は仕事で占められていて、かろうじて残りの1%を恭平のために空けておけるといった具合で、お互いの部屋を行き来して会ってはいても、疲れ果てて口も聞けないことがほとんどといった有様だった。今はどうにか普通に言葉を交わすことぐらいできる。 だけど、昔からそうなのだけれど、唯がどんな状況にあろうと、恭平の態度はいつも落ち着いていて変わらない。それが彼女には救いといえば救いで…だからこそここまで付き合いが続いてきたともいえるのだけれど。 その淡々とした態度の内にはいったい何があるのだろう。心に余裕ができたとき、ふと、気になってしまうこともある。 舞実とは相変わらず、連絡が途絶えていた。 恭平と舞実はといえば、こちらも相変わらず、時々会っているようで…。隠さないでいてくれることで、逆に気が楽にもなったとはいえ、彼が罪のない笑顔で舞実のことをあれこれと話すのを見ていると、さすがの唯も「この男は何を考えているのだろう」と時おり思わずにはいられなかった。恭平にとって今でも彼女が親友でしかないことはよくわかる。だけど、今の舞実の気持を、彼はどこまで知っている? あるいは知らないでいるんだろう。 これまでのことを思い出せば、恭平もまったくイノセントなわけではないのだ。 穏やかだった3人の関係にちょっとした波乱が起きたことが、一度だけある。数年前、恭平達がまだ学生だった頃のことだ。 正確に言えば、波風が立ったのは恭平と舞実の間だけで、唯は単なる傍観者に過ぎなかった。だから恭平はいまだに、唯が何も気づいていないと思っているらしいけど、どんなに鈍感なカノジョだって、「何か」が起こったことぐらい、あの時の彼の様子を見ればすぐにわかっただろう。 ある日を境に、舞実がぴたりと恭平の周囲に姿を見せなくなった。仲間のたまり場である彼の部屋にも来なくなったし、大学へ遊びに行っても、必ず彼のすぐ隣をキープしていたその姿はなく、よくよく探すと遠いところで他の仲間達と楽しげに話をしている彼女が見られるようになった。すれ違っても目さえ合わせないこともあり、ちょっと、あまりにもあからさまなんじゃない? と思わず苦笑したくなるような変貌ぶり。 恭平は、と言えば、日に日に元気がなくなってゆくのが、これもまた、あからさまで…。 「ケンカでもしたの?」 たずねてみると、気落ちした様子を隠そうともせず、彼は答えた。 「絶交された。もう友達じゃないって…」 「絶交…って、一体、何やらかしたのよ」 その理由を、いくらたずねても彼は頑として言おうとしなかった。言おうとしないことで、2人の間に何があったか、皮肉にも唯にはぴんと来ることになってしまった。 たぶん、あの女の子が恭平に告げた言葉は「もう友達じゃない」ではなく、「もう友達じゃいられない」だろう。その理由はといえば、カノジョである唯には、到底言えないことであるに違いなくて…。 原因は他に考えられない。 恭平はきっと、知ってしまったんだわ。あの女の子の気持を。 おかしな話だけれど、そのときの恭平の気持が、唯にはよくわかった。もしも彼が、舞実を女の子として好きだったなら、逆にあんな風に落ち込みはしないだろうということも。 親友だと思っていた相手にコクられてしまった経験が、彼女にもある。だから良くわかる。あれって、思いの他切ないものだ。それが好きな相手なら、自分がどんな状況にいようと、うれしいものだろう。逆にどうでも良い相手なら、あっさりふってしまってもさして心は痛まない。だけどそれが、友達として本当に大切にしたい相手だったら? 「好き」という思いを真っ直ぐにぶつけられても、同じ思いを返すことは出来ず、大事な親友が傷つき去って行くのを、ただ見ていることしかできない。 何もできない、そのはがゆさや切なさを、恭平が恋とは違う痛みとして感じていることは、傍で見ていてよく、わかったから。 友達に見捨てられるっていうのは、ときとして女の子にふられるよりも辛いことなんだよ。そう、舞実に言ってやりたかった。 もちろん、彼女が、恭平の「親友」でいることを辛いと思うのなら、唯にはなにも言えない。だけど、いつまでもどこかしら空気の抜けたような恭平を見ているのにも、いい加減うんざりしてきて……。 あまり深く考えることなく、軽い気持で唯は舞実に電話をかけてみたのだけれど……。 ―仲直りしてやってよ。あーゆー恭平は、私も困るし― そう、彼女に告げたときの、何とも言えない沈黙の重さを、唯は今でも覚えている。 ―それに、あいつが真中にいないと、舞ちゃんにも会いづらいじゃない― なんとはなしに、いたたまれないような思いにとらわれながら、そう言葉を重ねた。それは、半分は本音だったと思う。屈折した性格の自分にとって、あの一途で正直で真っ直ぐな女の子が、誰よりもほっとできる存在となっていたことは、もう、否定のできない事実だったから。 だけど、本音であるはずのその言葉は、彼女自身の耳にすら空々しく響いてしまって…。 受話器を置いた後は、さすがの唯も、自己嫌悪にとらわれずにはいられなかった。 まったく…「第一夫人」にでもなったつもりなのか。自分のとった行動のばかばかしさに、なんだか笑えてくる。「恭平、いい彼女持ったね…」そう、舞実は最後に言ったけれど、その言葉は、皮肉以外の何ものでもなかったと思う。そりゃあ、舞実でなくったって、皮肉のひとつも言わずにはいられなかっただろう。 恋は恋、友情は友情。そんなシンプルな思いのまま、行動しているだけなのだ。自分も恭平も……。 なのに、どうしてこんなに、話がややこしくなってしまうんだろう。 あのときほど、あの女の子と自分が、恋愛というものに対してかけ離れた思いを抱いているのだということを、ひしひしと感じたことはなかった。 あのあと、どうした経緯か舞実はバイト先で知り合った拓という男の子と付き合い始め、3人の間に生まれかけた気まずさも、うやむやの内に消えてしまったのだけれど。 だから、自分でも思っていた以上に、自分たちは拓の存在に救われていたのだと、唯は今になって考えることがある。もちろん、恋敵に彼氏ができたのだから、カノジョの立場としてはそれだけで喜ばしいことに違いなかったのだけれど、それだけではなかったと思う。彼のおかげで、ややこしい三角関係にバランスが取れることにほっとした。ややこしくしているのは他ならぬ自分だという自覚があるだけに、なおさらだった。 そして何よりも嬉しかったのは、舞実が独り身でなくなったおかげで、ごく普通の友達付き合いができるようになったことかもしれない。 拓がいなければ、舞実との友情も、これほど長く続くことはなかっただろうと思う。それだけに、唯は時々思わずにはいられないのだ。 どうして今になって、彼らは別れてしまったんだろうと。 そんなことをあれこれ考えることが、最近増えたせいだろうか。 どうやら唯は「偶然」をを呼んでしまったらしく、久し振りに、拓と顔を合わせることになる。 その出来事は決して、彼女の心に、良い結果をもたらしたわけではなかったのだけれど。 |
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