Just Lovers 7



「唯先生、お土産頂きました。ご馳走様です」

 お土産…といっても、ひとりひとつ分ぐらいの小さな柚餅なのだけれど…。久しぶりに聞く律儀な口調が、なんだか可笑しかった。
 少し見ない間に、篤矢のふわふわの髪は、ちょっと色褪せた感じになっていて、この季節には場違いなほど陽に焼けた横顔によく似合って、なんだか、まぶしい。そういえば、年末年始は仲間とスノボだと言ってた。自分はといえば、そのお土産のお礼を言うのをすっかり忘れていたことに気付き、唯はあわてて「こちらこそ…」と、小さな声で答えた。

 短い休日はあっという間に終わり、現実の世界に戻ってきている。気が付けば卒園を3ヵ月後に控え、年明け早々、唯を待ち構えていたものは、やりたいこと、やらねばならないことのオンパレードだった。
 お餅つき、節分の豆まき、誕生会といった、ちょっとした行事の準備だって、彼女はいちいちひと工夫しなくては気のすまない性格だし、子供達と過ごせる時間もそう残っていないと思えば、教えてあげたい歌や遊び、いっしょに作りたいもの、読んであげたい本なども尽きなかった。
 そして何より、2月の半ばには地元の大きなホールを借り切っての発表会が控えている。年長組はこれまでの保育園生活の集大成といった感じで、英語劇やミュージカル、合奏、合唱などの出し物をこなさなくてはならない。唯としてはもう、去年の夏頃から、どんな曲をやろう、どんなお話をやろうかとわくわくしながら篤矢とあれこれ話し合ったりもしていたのだけれど、子供達に負担を感じさせないよう、「楽しい」という気持をなくさせないよう工夫しながら大変な練習を重ねるのがまた、一苦労だった。演った者も、見た者も、「やって良かった」と思える仕上がりにしたい。下のクラスの子供達が憧れるような、本人達にとっても一生の思い出になるような発表会にしたいと、思いはふくらむ。
 そのためには、練習はもとより、衣装や小道具にだって絶対、手は抜けないわけで、少しでも、それを身に着ける子供達に夢を感じさせるものを作りたいと思う。日程も大詰めになれば他のクラスの先生達も総出で手伝ってくれるのだけれど、しばらくは少しずつ暇を見つけては孤軍奮闘することになりそうだった。
 もっとも、年が明けて急に現実味を帯びてきた子供達との別れのことを考えないでいるためには、こうして忙しくしていられるのはありがたいことでもあったのだけれど。

 机の上に置いてある、きちんと男の子と女の子ヴァージョンに分けて作った、キュートとしか言いようのない節分用の鬼の面を取り上げ、篤矢は笑った。
「これ、唯先生が作ったんですか? 可愛いですね」
 とはいえ、このパーツのひとつひとつを画用紙に書いて切り抜き、子供達が貼り付けて作ることのできるセットを、人数分作らなくてはならないとなれば、相当に手間がかかる。何か言われるかと唯は少し小さくなったが、予想に反して彼は非難めいたことは言わなかった。
「これは俺がやりますよ。先生は、他の仕事をやってください」

 ずっと、突っ走る唯の良きストッパーを勤めてきた篤矢だったが、ここ最近は、あれこれ言うことも少なくなった。彼女の寂しさを感じ取っているのか、あるいは彼自身も同じような気持でいるのか…。
 相変わらず、その穏やかな表情から胸の内は読めない。小さな椅子を引っ張ってきて唯の向い側に座り、篤矢は物慣れた様子で作業を始めた。


「他の先生達から聞いたんですが、唯先生の彼氏は同郷の方なんですか?」
 さりげない調子で、不意にたずねられる。
「いつも一緒に田舎に帰るとか…。仲良さそうで、羨ましいって、みんな言ってましたよ」
「しっかり、お茶の時間のネタにされてたみたいですね」
 唯は苦笑して言う。
「ええ、先生の情報は、ばっちり仕入れてきました」 篤矢は不敵にも見える笑顔で答えた。

「やっぱり、いずれ実家に戻られるんですか?」
 作業を続けながら、世間話の続きのように、彼は質問を重ねた。
「たぶん…」同じように視線を落としたまま、唯は答える。
「彼は帰りたいみたいで…。会社の営業所が実家の近くにあって、入社早々、そこに転勤願いを出してますから。すぐには無理みたいだけど、何年かの内に辞令が出たら、帰って結婚…っていうことになるんじゃないかな」
 淡々と話してしまって、話しすぎたかな、と思う。この人とは様々なことに対する考え方が似ているという、勝手な思い込みがあるせいだろうか。元来自分のことを話すのが苦手な唯なのだけれど、篤矢に対してだけは、つい、話さなくても良いことまで喋ってしまう。
 相手の反応が気になり、唯は視線を上げた。作業に没頭しているかと思えた彼は、意外にも顔を上げて、まっすぐこちらを見ていた。心なしかそれは、中身の読めない、なんとも不可思議な瞳の色に見えて…。
 しっかりと目が合ってしまい、何とはなしに、お互いに慌てる。

「唯先生は、それで構わないんですか?」
 再び鉛筆を色画用紙に走らせながら、少し気を取り直した風に、彼は再び質問を重ねた。
「ええ」 さして迷うこともなく、唯は肯定する。
「1人っ子だから。どっちにしても、いつかは戻らないと…」
「そうか…。じゃあ、ここもいつかは辞めることになるんですね」
「そりゃあ、まあ、いつかは…」
 曖昧に答えながら、いつになく胸が痛むような気がしたのは、そうたずねたのが他ならぬ篤矢だったからだろうか。


 数年こちらで暮らしたら、ふたりして故郷の街に帰り、結婚する。
 そんな人生設計が、暗黙の了解のように、ふたりの間で形を結びはじめたのは、いつの頃からだっただろう。少なくとも、大学在学中から早々に映画への道をあきらめた恭平は、彼なりに将来のことをあれこれ考えていたらしい。今の会社に入ってすぐ、彼は故郷にある支店への転勤願いを出すつもりであることを唯に告げた。そもそも会社訪問の時点から、Uターンできる可能性のある会社ばかりを選んで回っていたことを、彼女はその時初めて知った。
 ぼーっとしているようでも、きちんと考えるべきことは考えている。そのあたりが、なかなかにこの男のあなどれないところで……。唯はといえば、その話に異論のあろうはずもなかったのだ。
 元日の夜、遊びに来た恭平に、次から次へとビールを注ぎながら、「転勤はまだなのか」と唯の父はしきりに訊ねていた。そもそも彼が、可愛い一人娘を東京へと送り出すことに渋々ながらも同意したのは、恭平がこちらにいたからだった。離れている間に、誰とも知れない他の男とくっつかれるよりはまし…という、よくよく考えてみれば、父親としてそれでいいのか?と突っ込みたくなる計算なのだけれど。
 ともかくそれほどまでに恭平は、唯の家族に、そして彼らの未来に、自然に組み込まれた存在だったのだ。
 はっきりとは言わないけれど、娘にはあまり遠くへ行って欲しくはない。自分達にとっても気心の知れた相手である恭平と早く結婚して、同居…と言わないまでも、スープの冷めない距離にいつまでも居て欲しい、というのが、親たちの望みで……。
 その望みを押しのけてまで、こちらに居たいと願うような、強い動機を唯は持っていない。
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