Just Lovers 6 何も答えず、自分だけの思いに入り込んでしまった唯に、恭平はそれ以上問いを重ねることをしなかった。 彼なりに唯の気持をわかっているのかいないのか、慰めるようにぽんぽんと、唯の頭を軽く叩いて、再び窓の外に視線を向ける。 この人のこういうところ、良いのか悪いのかわからないと、時々唯は思う。 仕事上のあれこれを、唯はあまり、恭平に話すことがなかった。彼にとってはまったく縁のない世界である自分の職場のことを、1から10まで説明するのは思いのほか面倒なことで、詳しく話しているうちに、嫌な出来事を追体験したような心地になって、ぐったりしてしまうことが多かったりするから。 彼とは他愛のない話でもして、仕事のことは忘れているのが気が楽だった。彼自身、仕事上の苦労はタイムカードを押した瞬間に忘れてしまおうというのが身上で、要するに、仕事に対する思い入れの質が違いすぎるのだ。 むしろ、こうしたことは舞実と話すことが多かったかもしれない。 ハリウッド系の恋愛映画が好きで、難しい話は苦手(このあたりはどうやら恭平には内緒のようなのだけれど)、恭平の映画論をただひたすらうなずいて聞くばかりだったあの女の子が、映画会社に就職して仕事に燃える日々を送っているというのは、なんとなく愉快な話ではあった。だけど恭平とは逆の意味で、彼女にはそれが向いていたのかもしれないと、唯は思う。 少なくとも唯は、どこかしらウェットなところが抜けなかった大学時代の舞実よりも、仕事をするようになってからの舞実の方が好きだった。「仕事に生きる」女どうし、あれこれと愚痴り合ったり語り合ったりすることも増えた。 後輩との小さな軋轢のことを、全部あの女の子に話してしまえたら、きっと、すっきりするだろう。「あるある、あるよー、そういうこと。考え方は人それぞれなんだから、ほっといて欲しいよね」なんて、いつものように、からから笑ってもらえたら、胸が軽くなるに違いない。 どうしているんだろう、彼女は。 忙しくて大して気にもしていなかったのだけれど、よくよく考えて見れば、拓と別れたことを聞いた数ヶ月前のあの夜から、一度も会っていないんだった。それどころか、メールも電話も来ない。 あの人懐こい女の子にしては、それは実に珍しいことで…。 「恭平…、最近、舞ちゃんから何か連絡あった?」 ふと思いついて、唯は自分の彼氏にたずねた。 「何? お前の方には連絡来ねえの?」 ちょっと意外そうに、彼は聞き返す。 「ぜんぜん、最近音沙汰ないから、ちょっと心配してるんだけど」 「あいつなら時々メールが来るよ。すっげえ元気。こないだ久々に、いっしょに映画見に行った」 彼はこともなげに笑って言った。 「そう…」 唯は短く答え、それきり何を言って良いのかわからなくなる。 恭平と舞実がつるむのは、今に始まったことではない。唯がこちらへ来るよりもずっと前から、このふたりは「映画友達」だった。小難しい前衛映画が好きな彼の趣味に、無理矢理にでも合わせられるのは舞実ぐらいしかいなかったという事情もあり、ふたりがいっしょに映画を見に行くのは、そう珍しいことでもなかった。 拓というヤキモチやきな彼氏が舞実にいたこの数年間は、そうしたことも、なりをひそめていたようなのだけれど…。 だからだろうか、久し振りにそういう話を聞くと、その事実になんだか気持が馴染めない。 これは「嫉妬心」というものなのだろうか、唯は少し、うろたえた。いや、ショックだったのは、舞実が自分の方にはまったく連絡を寄越さなかったことかもしれない。 そこに、彼女の新たな意志を見たような気がして…。恭平に拓のことを告げたときの、あの舞実の複雑な表情を思い出す。 「着いたぞ」 恭平の声に、我に返る。新幹線が、ふるさとの駅のホームにすべり込もうとしていた。 駅にはいつものように、唯の父親が迎えに来ていた。2人で車に乗り、まずは駅から近い唯の実家へと向かうのが、いつもの習慣。家では「恭平命」の唯のばあちゃんが、ミカンだのおせんべいだの大量のおやつとともに、彼らを待ち構えている。 気さくで屈託がなく、いつもゆったりとした空気を身にまとっていて、今の「若い者」にありがちな、とんがったところの全くない恭平は、どうやら年配の人たちにやたらと受けが良いらしいのだ。 「ばあちゃん、久しぶり」 彼は屈託なく笑って、嬉しそうな笑顔のばあちゃんに声をかけた。まるで自分の家のように慣れた様子で部屋に入り、自分の家族と話すように唯の両親と言葉をかわしている。こちらへ来たとたん、彼の話す言葉には、はっきりと故郷の訛りが戻る。 そんな彼を見るのが、唯は好きだった。 「昨日は、雪が降ってたんだな」 一足先に庭に出て、自分の実家へと再び車を走らせてくれる唯の父を待つ間、そこかしこにうっすらと残った雪に目をやって、恭平は言った。 縁側に並んで座り、しばらく寒さを忘れてその光景を眺める。例によって、これといって話すこともなく……。久し振りの静謐な空気は、冷たいというよりも、むしろ、肌に心地良かった。 不思議だと思う。唯が生まれたときから今までの時間を過ごしたこの懐かしい庭に、新参者であるはずの恭平は、すでに誰よりも馴染んでいる。雪の季節も、蝉時雨の喧しい夏も、どんな季節でも、唯は恭平と並んでここに居るのが何よりも好きだった。 自分の本来居るべき場所に戻って来た、そんな気がする。 何年先も、何十年先も、ふたりでここにこうしていることが、何故だか容易に想像できるからかも知れない。 いつものことながら、短い休日は、あっという間に過ぎて行く。3泊4日の帰省を終え、列車を乗り継いで東京に戻って来たときには、さすがに二人とも、ぐったりと疲れてしまっていた。 何とはなしに、唯は恭平の部屋へ一緒に戻ることになった。明日はもう1日休みが残っているし、泊まって行こうと思う。家族といっしょに賑やかに過ごしたお正月の後、急に独りの部屋に戻るのは、なんだか寂しかった。一人暮らしというものが本来、性に合わないたちなのかも知れない。 荷物を抱え、電車を降りたとき、恭平の携帯が鳴った。メールをチェックし、彼は苦笑して言う。 「舞実だった。そこの改札で待ってるって。すげータイミング」 唯がいっしょに来るとは、予想外だったのだろう。改札を出てくるふたりを見て、舞実の表情に軽い戸惑いの色が走る。 「舞ちゃん、久しぶり」 その表情には気づかないふりをして、唯は笑って彼女に声をかけた。 舞実は曖昧に笑顔を返し、手に持っていた封筒を、恭平に差し出す。 「前に頼まれてたチケット。持ってるとなくしちゃいそうだから、早めに渡しとこうと思って…」 「何だよ。別にそんなの、当日でいいのに…」 恭平は、少し呆れたように笑って、封筒を受け取った。傍から見てると、なんだか面白いと言えなくもない光景だった。 恭平は、気づいているのだろうか。 その表情、その言葉の端々に、「とにかく会いたかったのだ」という気持が、隠しようもなく表れていることに……。 唯は気づかないわけにはいかなかった。自分が敏感すぎるのか、この子が無防備過ぎるのか。この数ヶ月の間に、はからずも再び胸に戻ってきてしまった思いを、舞実がひとりの胸にしまって置けなくなっているらしいのは確かで……。できることなら、気づきたくはなかった、と思う。よりによって、こんな時にこんな場面に居合わせたくはなかった。彼女は胸の中で深い溜息をつく。 「今度、ミニシアター系の映画祭みたいなのがあって…」 わかっているのか、いないのか。恭平はのん気に説明する。 「舞実の会社なら安く手に入りそうだったから、チケット頼んでたんだ。いっしょに行くんだから、何もわざわざ持ってきてくれることも、なかったんだけど…」 「よかったら唯さんもいっしょに行く? 何だったら、もう1枚取ってくるけど…」 舞実が唐突に口を挟んだ。 突然話をふられ、唯は一瞬、返答に困って彼女を見る。 本心からの言葉なのか、それとも気を使っているのか…。思わず、無意識のうちに探るような瞳を向けてしまっていたらしい。相手の表情が少し、固くなった。唯はあわてて、いつもの何気ない笑顔を取り戻し、当り障りのない言葉を探す。 「やめとく、恭平が好きなのっていったら、どうせ小難しい映画ばかりでしょ? ジョージ・クルーニーの新作だったら、喜んで行くけど…。また今度、観に行こうよ」 ジョージ・クルーニー…ふたりが好きな俳優だった。「いいよねー。渋いよねー」なんて、一時期、何かあるごとに盛り上がってた。 あの頃の屈託のない笑顔が、ふと、舞実の表情に戻る。 「わかった」 舞実はほっとしたように笑って答えた。 「今度、チケット取っとく」 その約束が果たされることは、あるのだろうか…。 この女の子も今、戸惑っているのかも知れない、と唯は思った。拓がいなくなって、思いもかけず大きく膨らんでしまったかつての想いに。そして、いつの間にやら同じぐらい大きく育ってしまっていた友情に…。 できれば、そうあって欲しいと思う。 「ごめん。帰るわ」 唯は恭平に短く断り、再び重い荷物を持ち上げる。 呆気にとられているふたりを後に、さっさと切符を買い、出て来たばかりの改札をくぐる。 正直、今日は疲れていた。これ以上、この複雑な空気の中に居ることも、気をつかい続けることも無理だと思った。 何かが、変わるのかも知れない。そう、思わずにはいられない。 だって、流れて行く景色を見ながら、彼女は我知らず胸の奥底で、今までになく、弱音といってもよい言葉をつぶやき続けているのだから。 どうして、こんなことになってしまったんだろう、と……。 |
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