Just Lovers 5




  今年のお正月もいつものように、恭平とふたり、新幹線で故郷に帰った。こちらへ来て以来、ゴールデン・ウィークも夏休みも、長い休みは必ずきっちり、そうしている。
 長年連れ添った夫婦のような顔をして、並んで座席に座り、特に目新しい景色が見られるわけでもないから、話すこともそうあるわけじゃない。だけど唯は、忙しい日々の中のこの穏やかな時間を嫌いではなかった。

 何を考えるでもなく、缶コーヒーを片手にぼんやりと窓の外に目をやっている、恭平の横顔は以前より少し、大人びたようにも見える。もっともそれは、社会人になってから短くなった髪と、さして改まる必要もないのにきっちり着込んでいるスーツのせいかもしれない。
 「何も田舎に帰るのにスーツなんて着なくても…」と帰省のたび、唯は呆れて言うのだけれど、「毎日着てるし、何着ようか考えなくていいから逆にラク」と返される。すっかりサラリーマン稼業が板についてきたと言うべきか…恭平らしいといえば、恭平らしいこだわりのなさ、なのだけれど。

 映画監督になることを夢見て上京してきたはずの恭平は、卒業と同時にあっさりその夢を捨て、ごく普通のメーカーに営業職として入社した。
 小難しい映画論を語り出せば止まらない彼の情熱は、むしろそれを仕事とするには向かないものかもしれないと、唯は密かに思っていたのだけれど、本人にもその自覚はあったらしい。彼らしい柔軟さで、「好きなこと」を「好きなこと」のまま続けて行ける道を選んだというわけだった。初ボーナスで買い込んだAVシステムが幅をきかせるワンルームの部屋に、毎日午後7時過ぎにはきっちりと帰り、完全週休二日の休日は、OB後輩取り混ぜた大学仲間と撮影会だの上映会だのと充実した毎日。まるで今が人生の春のような顔をして、彼は日々を楽しんでいる。

 ある意味、うらやましいなあと、胸の内で小さく溜息をついた唯の気持を、感じ取ったのかもしれない。
「最近、どうよ。仕事は…」
 不意にこちらを向いて、恭平は尋ねた。
 長いこと一緒にいると、こういう不思議なことが、時々起こる。
 とはいえ何を答えることもできず、唯は「うん…」と言葉をにごした。仕事の場に置いて来ることのできなかった小さな憂鬱が、ほんの少し、胸をちくちくと刺す。



 今年度に入って、年中組を担当している1年後輩の同僚と、何かと衝突するようになった。昨年からお互いに「合わないもの」を感じてはいたのだけれど、一緒に行動することも多ければ、比較されることも多いクラスの担当にそれぞれなり、ことに相手の方に、あれこれと鬱憤がたまることが増えてきたらしい。
 普段はお互い大人の態度で接しているのだけれど、時おり会議の席や飲み会の席などで、彼女の不満が爆発する。昨夜開かれた忘年会でも、声を荒げることこそないものの、長いことからまれてしまった。

「唯先生はいつも厳しすぎます。あれじゃ、子供たちが可哀想です!!」

 彼女の気持は、唯にもわからないでもないのだ。
 彼女は、例えば運動会のかけっこなら全員が同時にゴールできるように心を配る、そういうタイプの保育士だった。劇の配役も合奏の担当も、不公平にならないようにとすべてじゃんけんやクジで決める。そしていずれにしても、その結果や出来はあまり、気にしなかった。
 子供たちにはできるだけのびのびと楽しく、自由に過ごさせてあげたい。そしてみんな同じに、平等に扱ってあげたい。その考え方は、良くも悪くも、ともすれば唯とは正反対のもので…。

 子供たちはひとりひとり、違った能力を持っているものだと唯は思っている。かけっこではビリになっても、制作をやらせれば大人顔負けの芸術品を作ってくれる子もいるし、合奏ではすみっこで調子外れのトライアングルを叩いているような子でも、サッカーボールを蹴ればJリーガー並みのシュートを決めてくれたりもする。
 劇の配役だって、子供たちそれぞれの個性に合った役をと、彼女自身があれこれ考えて決めていた。みんなをまとめて平等に扱うよりも、ひとりひとりにそれぞれ違ったスポットライトを当ててやることに、唯はむしろ心を砕いていた。
 そして、そのためには少し厳しい顔もすることもある。子供というのは、自分自身の限界を乗り越えることで、日々成長してゆく生き物だと思うから。もちろん、必要以上に無理させることなんてしないけれど、この子ならできる、もう少し頑張ればいける、そう思ったとき、つい、言葉がきつくなってしまう。そのあたりを「可哀想」と後輩は言うのだろうけれど。
 でも、そんなときは必ず、その子供は期待以上のことをやり遂げてくれるのだ。小さな子供にだって、プライドというものはきちんとある。唯の厳しさの中に、自分に対する期待を敏感に感じ取るし、期待に応えようと努力してくれる。そしてやり遂げたときのあの表情…。
 120%の力を出し切った子供たちの、あの輝いた笑顔を見れば、どんなに大変でもこの仕事は絶対にやめられない、唯はいつもそんな気持になるのだ。

 もちろん、子供たちに対する思いや考え方は人それぞれということぐらい、唯はわかっている。だから後輩である彼女のやり方に対しても、あれこれ言うつもりはまったくないし、彼女の方でも、理性ではそれをわかっているはずだった。
 だけど、あれこれと外野の声がある。同僚たちは、とても唯ほど仕事熱心になれないという思いもあって、後輩の方に同情的なことを唯は知っていたけれど、園全体の方針は唯に近いものだったから、彼女もやりにくい思いを抱えているはずだった。
 保護者たちの声も人それぞれだった。今も何かと比較されやすい立場な上、彼女が今受け持っている年中組は、去年唯が担任をやっていた年少組の子供たちだったから、なお事情は複雑で、唯の方が良かったと言う人もいれば、今の担任の方がいいと言う人もいる。それはもう、いろんな声があちこちから聞こえてくる。

 常に子供たちの笑顔を第一に考えている唯だから、そうした外野の声は努めて気にしないようにしているのだけれど、彼女の方ではそうも行かないらしい。こうした様々なプレッシャーが、彼女に攻撃的な態度を取らせているらしいことは、唯にも理解できるのだけれど…。
 正直、疲れたとも思う。
 それに、彼女が感情的になるのは、こうしたことだけが理由でないらしいことにも、唯は気付いていた。

 いつもそうなのだけれど、その時も険悪になりかけた場を収めてくれたのは、篤矢だった。
 行動第一で自分の思いを言葉にすることが苦手な唯は、こういうとき、いつも何も言えなくなってしまう。そんなとき、いち早く雰囲気を察知してくれて、どこからともなく助け舟を出してくれ、穏やかに唯の気持を代弁してくれるのが、彼なのだった。それはそれで、本当にありがたいことなのだけれど…。
 他でもない彼が唯の肩を持つことは、もしかしたら逆効果であるかも知れないことに、この野暮天な男は、どうやらまったく気付いていないらしい。

 飲み会が終わり、みんなで駅へと流れてゆく道すがら、唯は何となく篤矢と肩を並べることになった。これからのことなどあれこれと話し、それは良かったのだけれど、別れ際、いつもの口癖が出た。

「来年も俺は、唯先生について行きますよ」

 彼が無邪気に口にしたその言葉は、唯だけでなく、その場にいたみんなの耳に入った。
 彼にしてみれば、純粋に仕事上の意味しか持たない言葉であるし、他人をはばかるような種類のものでもない。唯にしたってそう。他の連中も慣れたもので、「また言ってるよ、ほんと調子いいんだから」「なんでそのセリフ、私に言ってくれないの?」なんて、軽くかわしている。
 だけどこの時ばかりは、あまりにもタイミングがまず過ぎると唯は思わずにいられなかった。
 ただひとり泣きそうな顔で、何も言わず改札を抜けて雑踏の中に消えた彼女の姿を、見てしまったから。

 自分とタイプは違っても、彼女が純粋に仕事に真摯な性格であることを、唯は知っている。
 だけど若い女の子であるからには、そこに感情が入り込むことも、やむをえない。なんだか、ややこしいことになったなあ…。ぐったり疲れた気持になりながら、唯は胸の中でつぶやいた。

 恋愛と、そうでない感情の区別がつかない女の子が、ここにもひとり、いる。
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