Just Lovers 3 「え? 唯先生……彼氏がいらっしゃるんですか?」 いつも穏やかなポーカーフェイスを、決して必要以上にくずさない人だからして、ほんの少し表情が揺らいだだけでも、その驚きの反応が唯にはなんだか意外に思える。とはいえ、人のこういう反応にも慣れてしまっているのだけれど…。 唯は苦笑して篤矢に言葉を返した。 「そんなに、私って、男いないように見えます?」 「え…? いや…そういうわけでは…」 そこで初めて自分の反応の失礼さに気付いたのだろう。篤矢は口ごもった。そしてその後すぐに、「すみません」と謝ってしまうところが、彼らしい素直さ無骨さと言おうか。憎めないよなあ…彼と一緒に仕事をするようになってから、我知らずそんな言葉を胸の中でつぶやくことが増えた、ような気がする。 つい、助け舟を出したくなって、彼女は口を開く。 「よく、言われるんです。彼氏がいるように見えないって。いる…って言っても信じてもらえないことも多くて。どうしてなんでしょう」 「だって、どう見ても唯先生、仕事一筋って感じじゃないですか。だいたい、こんなに忙しいのに、いつ彼氏に会ってるんですか?」 情けをかけたつもりが、遠慮がちな口調で鋭く指摘を返される。唯は思わずどきりとし、 「それはまあ、その、いろいろと…」 と今度は彼女が口ごもる番だった。 「お互い、一人暮らしだから……。行ったり来たりって、感じかな。遅くなったら泊まったりとか…」 なんて、言わなくてもいいことを言ってしまい……。 「こんなこと、園長先生なんかに言わないでくださいよ」 と、あわてて釘をさす。 「言いませんよ」 篤矢は笑って答えた。 10月の陽はすでに早い。窓の外を見ると、いつの間にやら園庭のライトがともり、くまさんの形をした滑り台だの、ジャングルジムだのといった遊具が、ぽっかりと浮かび上がっている。 階下からは、「お残り」の子供たちのにぎやかな声が聞こえてくる。唯は今日は遅番ではないのだけれど、こうして教室にこもってあれやこれやと残業することは、すっかり毎日の習慣になってしまっていた。 保育士になってはや3年と半年。傍で見るほど牧歌的な仕事では決して、ない。行事の多い年長組を受け持つ唯などは、よほどのことがないと、陽のあるうちに帰ることもできない。今日も篤矢に手伝ってもらいながら、来るべき体育祭の衣装、振り付けなどの準備に忙しく、あれこれちまちまとした作業に余念がないというわけなんだった。 もっとも彼女の場合、どこまでが仕事で、どこまでが自分のやりたくてやっていることなのか、わからなくなっている部分もあるのだけれど。こうすればきっと、子供たちは喜んでくれるだろう、やる気を出してくれるだろう、なんて、いつの間にか突っ走ってしまうのが常で……。 「真辺先生」 ふと、思いついて、唯は篤矢の名前を呼んだ。 「これを、こうやってお花にして、女の子たちのヘアバンドに付けてあげたら、すっごく可愛いと思いませんか? みんな喜ぶと思うんですけど」 そう言って、手にしたピンクと黄色の薄紙で、かなり複雑な形の花を作ってみせる彼女を見て、篤矢の顔にかすかな苦笑が浮かぶ。 「確かに、可愛いですけれど…。それ、ひとつひとつやってたら、たぶん今日中に終わりませんよ。それに今日は振り付けの方もやってしまう予定じゃなかったですか? 『花のワルツ』、あれもなかなか厄介な曲だと思うんですが」 諭すように言われ、唯は少し、しゅんとなる。でも…でも、どうしても作って上げたい。小さくてもきちんと彼女たちには(男の子たちもそうだけれど)、お洒落心というものがあって、可愛いもの、センスのあるもの、一風違ったものを見ると、面白いように瞳が輝く。もちろん、「やる気」も倍増する。そして何よりも、そういったきれいなものを身につけて、大勢の前で難しい演技をやり遂げた経験は、きっと、子供たちの中で一生消えない宝物となってどこかに残ると思うのだ。 保育士というのは、そんなきらきらした「宝物」を、子供達の中に積み上げてゆく仕事だと思う。そしてその「宝物」は、彼らの人生を変える力を持つものになりえるかもしれない、最近、唯はそんな風に感じるようになってきた。 だから、どうしても手を抜けない。つい、夢中になってしまうのだ。そんな風にして、この仕事をまさに天職と思いつつ、彼女はこれまでの日々を駆け抜けてきたわけで…。 暫しの沈黙……困ったようにうつむく唯の心を読み取ったかのように、やがて、篤矢の口元に本物の笑みが浮かんだ。 「しょうがない。大急ぎでやってしまいましょう。どうやって作るんですか?」 日に焼けた手が、繊細な色の薄紙を取り上げる。その光景に、唯の胸に温かいものが広がった。彼は必ずそう言ってくれる。初めからなぜだかそんな気がしていたのだ。それでも少し恐縮して「すみません」と言うと、彼は笑って言葉を返す。 「こうなったら、とことん唯先生について行きますよ」 それが年長組副担任、真辺篤矢(まなべ あつや)の、最近の口癖なんだった。 篤矢がこの保育園にやってきたのは昨年のこと。だから唯は彼より2年ほど先輩ということになるのだけれど、年齢は彼の方が2つ上だった。担任で先輩である彼女を立て、折り目正しい敬語で話す彼と接するのは、最初のうちこそ落ち着かないものがあったけれど、最近ではすっかり慣れた。何しろ、仕事上のパートナーとして、長い時間をいっしょに過ごす相手なのだから、気を使ってなどいられない。 とはいえ、いっしょに仕事をしていると、すごいな、かなわないなと思う部分もたくさんあって、やはり、こちらの方が若輩者なのだと感じることも少なくなかったりするのだけれど。 もともと、彼が雇われたのは、単なる保育士としてではなく、それなりにキャリアのある体操講師としてだった。 器械体操をずっと専門にやってきて、体育大学を卒業後、選手としての行末に限界を感じて就職した幼児向けの体操教室で、この仕事の面白さに目覚め、働きながら保育士の資格を取得。もっと深く子供と関われる仕事をとあれこれ探していたところ、親の知り合いでもあるこの保育園の園長にその志を買われて迎え入れられた、というのが、なかなかに深い彼の経歴。 折りしも、体操、音楽、英語など、専門の講師を呼んで、きちんとした技術を身に付けさせるというのが昨今の私立保育園の傾向らしくて、唯の保育園の園長はことに、そうしたことに熱心な人だった。あくまで噂にすぎないのだけれど、いずれ系列の幼児体操教室を開くという噂もあり、そうなると、中心となるのはやはり篤矢に違いないだろうから、一種の「エリートコース」とも言える。 とは言うものの、本人は初めからただ仕事が楽しくて仕方がないという感じで、午前中は年長組の副担任として保育の仕事を手伝い、午後は講師として他のクラスも含めた体操の授業を行い、週に何度かは近隣の保育園に出張授業に出かけるという日々を、飄々とこなしている。もちろん、もともと男性保育士などいない職場だったから、その存在は、否が応でも目立ってしまうのだけれど…。 うーん…と軽く顔をしかめながら、ピンクの紙をあーでもないこーでもないと折りたたんでいるその横顔は、年上ながら、ちょっと可愛い感じがする。ちょっとふわふわした感じの茶色っぽい髪は、優しげで端正なその顔立ちに、良く似合っている。 客観的に見れば、なかなかの上玉。ほっそりと見えるわりには、ずっと体操をやってきただけあって、無駄のなく均整の取れた体をしていて、水泳指導などの時に見られる姿形の良さは、園長ですら話題にするほどだし、彼が来てから、やたらと保育参観時の母親たちの様子が賑やかになったような気がするから、ちょっとしたアイドルと言えるかも知れない。 そんな彼と密着して仕事をしていられるのが、年長組の担任というポジションだった。年度が変わるずいぶんと前から、次は誰になるのか、同僚達の間で密かに話題になっていたものだけれど。 その座を射止めたのが、よりによって仕事一筋のカタブツで通っている唯だったというわけで……。 |
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