Just Lovers 1




 ときおり、不思議な思いにとらわれることがある。

 こんな風に、こいつと肩を並べて歩くようになったのは、いつからのことだったっけ。同じ制服を着て、ひとつの教室でわいわいと騒ぐ仲間たちの一部に過ぎなかったふたり。きっかけなんて、なかったと思う。雑踏の中で懐かしい相手を見つけるように、自然に傍にいて、少しずつ、他の人たちより多くの言葉を交わし合うようになっていった。何ヶ月もたってから、級友たちに驚かれた。あんたたちが付き合ってるなんて、ぜんぜん知らなかったわと。
 あまりにも、一緒にいるのが自然なふたりだったから。

 そう、一緒にいることも自然。一緒にいないことも自然。自分と恭平との間柄を思うとき、唯はなんだかちょっぴり、可笑しくなる。
 高校を出て、彼は東京の芸術大学へ、彼女は地元の短大へ進み、いわゆる遠距離恋愛の関係になったわけだけれど、そのことだって、ふたりには何の影響ももたらさなかった。彼に会いたいと泣いたり、ひと月の電話代が何万もかかってしまったり、寂しさのあまり近くにいる相手とデートしてしまったり、周りにいる同じ境遇の女の子たちは大騒ぎしていたものだけれど、唯はなぜだか、そんな彼女たちの気持に寄り添うことはできなかった。
 いつも、不思議に思っていた。どうしてあんなに、必死になれるんだろう、って……。

 だって、私たちは、単なる恋人どうし。恋愛なんて、人生のほんの一部分に過ぎないものじゃないの? 唯はいつも、そう思ってる。もともと熱中しやすい性質の彼女には、いつもその時々で夢中になれるものがあって、恋はいつも、小さな2番目に位置するものだった。どちらかといえば熱くなりやすい性格なのに、恋に関してだけはどうしようもなく低温。自覚はある。だけど、恭平も同じようにそうだったからこそ、上手くいったのかもしれない。
 ふたりの間にある温度の低さが、ふたりでいることの心地よさを、離れていることの心地よさを、そして何年にも渡る自分たちの関係を、作り上げてきたのかもしれないと思うから。

 だから、かもしれない。自分の彼氏に、まるで恋人のような顔をしてくっついていた、あの女の子の存在を知ったときも、不思議と不快な気持にならなかったのは……。



「別れた!?――って、あの、拓坊と?」
「うん」
 淡々とうなずきながら舞実は、すでに何本目だか知れない缶ビールのリフトタブに指をひっかけている。彼女が見かけによらず異様に酒に強い体質だってことはわかっているから、それ自体はぜんぜんかまわないんだけど。でも…。
「なんでよ。いい彼氏だったじゃない?」
「私の職場環境が気に入らないんだって」
「へ? なにそれ……」
 なんだかよくわからない答に、唯は絶句する。

「……って、舞ちゃんが忙しいのが気に入らないってこと?」
「それもある」
 舞実は答えた。
「でも、いちばん許せないのが、周りが男ばっかり、ってことなんだって」
「はぁー?」
 あまりといえばあまりな理由に、思わず反射的に聞き返し、だけど唯はふと思い直した。ああ、でも、あの彼氏なら言うかも知れないわ。

 舞実とその彼氏、拓との付き合いは、かれこれ2年ちょっとになっていたはず。なかなかに気のいい奴で、唯と恭平との4人でつるむこともちょくちょくあったのだけれど、人の良さげな見かけに合わず、独占欲が強く、そして思ったことははっきり言うタイプの男の子だったと思う。
 一方、舞実はといえば、恭平と同じ大学の映像学科にいたときから、男ばかりの中でちょこまかしてるのが身に着いた女の子で…。それもようやく卒業、と思いきや、彼女は映画の製作会社に就職してしまい。前以上に荒っぽい環境の中で、アシスタントとして走り回っている。
 しかも、学生時代と比べて段違いに忙しい毎日を送っているらしく、デートの時間もないとなれば、ある種の男ならキレるだろう。そう、拓はその種の男だった。だからこそ舞実には合っていたと、言えなくもなかったのだけれど。

「付き合い始めたときの約束だったの。お互い、言いたいことはきちんと言おう、って。私も別に、それでよかったんだけどね。ほんとはヤキモチやいてるのに、平気なふりしたり、って、疲れるじゃない? …っていうか、私はそういうタイプだから…」
 あわてたように言葉を付け加えたのは、唯には同意してもらえそうにもないことに、気付いたからだろうか。まあ、確かに、そうなのだけれど……。舞実の言葉はときおり、唯の胸にちくりと刺さる。

 だけど舞実は、唯の曖昧な反応をさして気にする様子もなく、言葉を続けた。
「でも、あんまり言いたいことを言い過ぎるのも、どうなんだろーね。なんだか、疲れてきちゃって……。別れよう、って言われて、正直ほっとした」
 そう言って立ち上がり、冷蔵庫から持参のビールを出し、「まあ、唯さんも飲んで」と、手渡す。

 何かあるとは思っていたけれど、そういうことだったのか…と唯は思う。
 一人暮らしの部屋、小さなテーブルには、舞実がデパ地下で買って来たお惣菜だのチーズだのチップスだのがあふれている。小さな冷蔵庫はビールやワインでいっぱい。
 職場にいた唯に、「話を聞いて欲しい」と電話がかかってきたのが数時間前。あわてて仕事を切り上げて帰ってくると、舞実はとんでもない数の買い物袋と共に、彼女の部屋のドアの前で待っていて、唯を見ると、にっこりと笑って言ったのだった。
「今日は飲もう!! 唯さん」
 今、見たところ、それほど落ち込んでいるようにも思えない。女の子っていうのは、失恋すらイベントにしてしまえるものなんだわ。そういうメンタリティを持たない唯は、なんだかんだと元彼の話をつまみにしながら、盛大に飲んでいるこの女の子のたくましさを、心底かなわないと思ってしまったり、する。

 結局あれから、いつものように唯の部屋をふらっと訪れてきた恭平も加わり、3人で朝まで大いに飲んだ。
 こうやって、3人でつるむことにも、すっかり慣れてしまったと思う。奇妙な3人組…。出会い成り立ちからして、舞実は唯にとって、本来友達になどなれるはずもない相手だった。一方、恭平と舞実はといえば、一応大学時代のツレってことになるのだろうけれど、友達なんだかどうだか、微妙な関係で…。

「この子、別れたんだって、拓坊と」
「え、マジ?」
 唯がそう告げたとき、恭平はただ単純に驚いた顔でその言葉を受け止めたと思う。
「何でだよ。あいつけっこういいヤツだったのに」
 重ねて尋ねるその口調もどこかしらのんきで、そこに彼自身の感情や心の揺れが付け加えられることは、どうやら決してないみたいなのだった。まあ、予想できたといえば、じゅうぶんに予想できた反応なのだけれど。
 でも…ふと気になって、唯は舞実の横顔をうかがう。
 視線を感じたのか、淡い失望の色を浮かべていたその表情が、一瞬にして、何気ないものに変わった。それを見てしまったとき、唯は悟ったのだ。
 そうか、そういうことなのよね。結局この子は、今日から私の恋敵に逆戻り、ってわけなんだわ。

 その瞬間、奇妙にも……本当に奇妙なことなのだけれど……。
 唯はなんだか、申し訳ないような気持に、なってしまったんだった。
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