Just Friends 今日も恭平から、呼び出しをくらう。 このテスト前のクソ忙しいときに電話がかかってきて、見たかった映画のリバイバルをやってるから付き合えとのたまう。 「こんなへんな映画、一緒に見れんのもお前ぐらいだし」 そんな言葉に少々ムッとしながらも、断れない。そんなもん、ビデオ借りてきてひとりで見ろ! と言いたいけど、言えない。 恭平と同じ映像学科に学ぶ舞実だからして、、彼の映画に対するこだわりは、わかりたくなくても、わかってしまうのだ。敵もそのあたりをあてにして、いつも彼女を誘うのだろうけれど。 でも、舞実の好きな映画の趣味は、実は恭平と全然違うのだということを、彼はいまだに知らない。居眠りをしながら、よくわかんないカルトムービーを見て、帰りはいつも居酒屋でうだうだ飲んで、これをデートというなら、月に2回はこのパターン。あまり酒に強くない恭平は、すぐに酔っ払って、タバコを吸いもって、途方もないバカ話をしたりする。いつかこんな映画を撮りたいとか、さっきのあのシーンは、俺だったらこう撮ったとか。決してシラフではいえないどーしたこーしたといったこと。 「こんなこと話せんのもお前ぐらいだけどさ」 なんて、言われると切ない。 だけど、そんな彼といっしょに飲んでると、「男の子って、可愛いなー」とか、「生きててよかったなー」とか、要するに舞実は実に幸せな気持になれるのだ。長い付き合いのタマモノである、親密な空気が、いつも彼女を酔わせている。 ときどき、笑うとなくなっちゃうような優しい目でじっと見つめられたり、ガラにもない誉め言葉や、自分を心配してくれるような素振りに見舞われたりすると、とんでもない錯覚に、ふにゃふにゃになってしまったりする。 夜の街を肩を並べてあるくとき、舞実は意識的に言葉を途切らせ、そっとカバンを持ち替えてみたりする。ひょっとして、手をつないでくれるかもしれないじゃない。だけど彼女のそんなささやかな望みも虚しく、どれだけ酔っ払ったところで、ふたりの間には絶望的な距離があることもわかっていた。 だって、私たちはただの友達同士。ふたりの間の沈黙は、ただ気まずいだけで、バカ話を見つけてすぐに口を開くのは恭平の方。こんなに近くにいるのに、手をつなぐことも、抱きしめてもらうことも決してなく、いつもの駅で別れると、彼は元気に手を振って、「彼女」の待つワンルームマンションへ急ぎ足で帰って行くんだった。 最近、とみに感じることがある。 「ただの友達」という関係は、誰にとっても理解しがたい永遠のテーマだということ。もちろんそれは、男どうしや女どうしの話ではない。俗に言う「男女間の友情」というやつのことである。 最近の小説やドラマの中にも『Just Friends』はいっぱいいて、必ずどちらかがどちらかを好きになって、キリキリマイしたり、してる。そう、この危うい関係は壊れやすく、最後には悲恋に終わったり、結局は恋人どうしになってしまったり、するのだ。 単なる友達ではなく、特別な存在。でも恋愛じゃない。 好きな男にそんなふうに思われてるとすれば、こちらとしては、どう出ればいいんだろう。能天気な勘違いや、ふくらんだ期待の後始末はどうつければいい?マニュアルはない。 だけど、そんなことをあれこれ考えながら「ただの友達」の顔をしてるやつらは、意外と沢山いるのかもしれない。大人のふりをして、すべてを割り切って、相手の男ないし女に「最高の関係だよね」なんて、言わせたりしてる。 そんな間抜け野郎はたぶん、あたしだけじゃないのよね・・・・・・。 最近、舞実はそんなふうに自分を納得させることにしてる。 「そういうのって、なんか、ヘンじゃないか?」 舞実の話をぜんぶ聞き終えた拓は、グラスに残ったビールを飲み干してから、そう言った。 「俺が思うに、そいつはあんたの気持わかってるような気がするけど」 「そっかなあ」 だとすれば、恭平の言う「いい友達」っていうのは、自分に対する予防線だった、ちゅーわけだ。奴がそんな姑息な手を使うなんて、あんまり考えたくないけど。 「だけど、こんな話、俺が聞いちまってよかったのか?」 「うん、拓だから話したんだよ」 「俺は、あんまし聞きたくなかったんだがなぁ」 その言葉の意味はよくわからなかったんで、聞こえないふりをすることにした。「拓だから」云々というのも、実は嘘である。 「ただの友達」という関係に並々ならぬ興味を持った舞実は、いろんなやつ(大学の連中を除く)にこの話をし、意見を仰ぐことが常となっていた。たいていの奴が口を揃えて言うに、彼女の立場は世間では「セカンド」と呼ばれているのだそうな。カタカナで言えばそれなりの響きだけど、ぶっちゃけた話、「2号さん」である。 「そんな男はやめた方がいい」とか、「割り切れない奴はとっとと捨てて、新しい男つくれ」とか、「新しい恋をするのが一番」とかいうのが大方の意見。中には「そんなに好きなら奪っちゃえば?」というツワモノもいたが、その本人は不倫中であった。 しかし舞実としては、そんなことができるぐらいならとっくの昔に解決していたんだった。切ることも奪うことも、どうも上手く行かないのが恋というやつである。だけど心ならずもここまで踏み込んでしまった恋なのだから、納得のいく形でまっとうさせたい。 そんなわけで、日ごろ信頼している拓にも、この話を切り出したわけであった。 拓は、彼女が週イチでやってるお掃除屋さんのアルバイトで知り合った、同い年の専門学校生だった。なぜかいっしょに仕事することが多くて、あちこちのデパートやホテルに出かけては、窓ガラスなどを磨きもって雑談したりする。彼は舞実より3ヶ月先輩なだけだったのに、格段に仕事は上手く、そんなところも無条件に尊敬してしまっている。彼の方でも舞実のことを気に入ってくれてたのかどうかは知らないけれど、ある日仕事帰りにいっしょに飲みに行くことになった。 そうして拓も、彼女の恋愛話を聞くはめに到ったのである。 「だけど、あんたもあんたじゃないの?」 「あたしも・・・・あたし?」 「いっぺんでも、そいつに好きって言ったこと、あった?」 「・・・・・・ない」 そういえばそうだ。今、気づいたけど、確かに舞実は恭平に好きだって言ったことがない。 だけど、言えば「彼女」に勝てる? たぶん、無理。ぜったいに無理だ。 恭平と彼女の付き合いは長い。といっても、舞実はずっと、それを知らずにいたのだけれど。 彼に高校のときから付き合っている彼女がいたという事実は、大学の仲間内にもちょっとした驚きを呼んだ。だってそんなこと、誰ひとりとして知らなかったもの。その子が地元の短大を卒業して上京してくることになって、初めて存在が明らかになったというわけで。 しかも本人は隠していたという意識もなかったらしく、しれっとしていた。当時、自分としては80%ぐらい恭平の彼女のつもりでいた舞実のショックがどんなに大きかろうと、そんなこと気づきもしないといった様子だった。 本当に鈍感なのか、あるいはわざと気づかないふりをしているのか、わからない。 ともかく恭平は、以前とまったく、変わらない。舞実の方でも、恭平が独り身ではないことがわかったからといって、相変わらずの誘いを振り切ってしまうには、そのときすでに彼を好きになりすぎてしまっていたわけだった。 「ひでえ男だな」 苦笑しながら拓は言った。 「それって多分、このまんまだと、どこまで行ってもこのまんまだろうな」 「やっぱり、そう思う?」 「それはもう、好きって言っちまえ。それからバシっと切っちまえ」 「好きって言ってから切るの? それってヘンじゃない?」 「すっきりするぞー。経験者が言うんだから、間違いない」 「へ?」 「俺の前の彼女はだなー」 何杯目かの中ジョッキを口に運びながら、拓はしみじみとした口調で言った。あ、遠い目。過去を語る気だな。少しばかり酔っているらしい。 「他の男とふたまたかけてんのを、半年も黙ってたわけだな。俺も実は初めから気づいてたんだけど、何も聞けなかった。おたがいに半年間も、何も言えずにうだうだ悩んでてさ。でも、やっぱほんとの気持を隠してるのって、よくない。そう思って、思い切ってあいつに言ったんだ。『俺、お前とこれ以上付き合えない。お前のこと、ほんとに好きだから』って」 「好きだから、付き合えないって?」 舞実は思わずその言葉を繰り返してた。なんだかとても大事なことを聞いたような気がして。 「そう、好きなら他の男と半分ずつなんて、我慢できるわけねーだろ? 結局はふられて、ちょっと辛かったけど、でも、すっきりしたぜ」 そう言って彼は、ほんとにすっきりした顔で笑った。なんか、説得力あるなあ、と舞実は思う。 好きだから、もうこれ以上付き合えない。ほんとは自分もずっと、そう言いたかったのかもしれない。もう、付き合ってらんない。友達づらしてそばにいるのも、ほんとはすごく辛かった。 「今の関係を壊したくない」という恭平のために、ずっとものわかりのいいふりをしてきたけれど、本当はそんな必要なかったんじゃない? 彼女になれないぐらいなら、友達でさえもいたくない。それは彼女の心のどこかで、とっくの昔に出ていた「答え」だったのかもしれない。 本音を言うべきなんだよね。拓はやっぱり、いつもいいことを言う。 「え? 今、何て言った?」 「もう、恭平の友達ではいられない、って言ったの」 「どーしたんだよ、急に」 「だって私、ずっと恭平のことが好きだったんだよ」 言葉をなくした恭平の間抜け面を、舞実は忘れることができない。あれでもちょっとは・・・・というより、かなりショックだったらしい。 あれから舞実は友達のアパートに転がり込んで、多少、深酒をしたけれど、次の日にはすっきりしてた。そーゆーもんだったんだろうな。 以来、大学の実習なんかで顔を合わせるたび、彼に対してはとことんクールな態度をとることにしてる。そういうのがまた、小気味良かったりするのだ。女って怖い。 だけど、気がつけば電話のベルが鳴るのを待っていたりする日曜日。ちょっとだけ胸が痛まないこともなかった。そんな気持も、あいつといっしょじゃ絶対見れない『モンティ・パイソン』のビデオなんか見てたりすると、忘れることの方が多かったのだけれど。 恭平の彼女、唯さんから電話がかかってきたのは、そんなある日のことだ。 「恭平、最近元気ないみたいなんだけど・・・・」 「・・・・・・・・・・」 「いろいと聞いてみたんだけど、どうやら舞ちゃんが原因らしいのね」 「なんか、言ってた?」 「絶交を、言い渡したんだって?」 「えーっ? そんな言い方してたの?」 「うん、それで最近冷たいんだって、すごく落ち込んでる」 「ちょ・・・・ちょっと、待ってよ」 まさか、絶交の原因までしゃべっちまったんじゃねーだろうな。思わず固まったまま、唯さんの怒りの言葉を予想していた舞実は、次の瞬間力が抜けた。 「話、してやって」 「へ?」 「仲直りしてやってよ。あーゆー恭平は、私も困るし」 どう答えれば良いのかわからず、舞実は受話器を持ったまま、困り果てた。この人がかなり「できた」彼女だってことは前からわかってたけど、まさか自分の彼氏と他の女の子のケンカのとりなしまでするとは。果たしてこの人は、舞実の気持にどこまで気づいているのか、考えると、冷や汗が出る。 そんな彼女の沈黙をどう取っているのか、唯さんは、にこやかな声でさらに言葉をつなぐ。 「それに、あいつが真中にいないと舞ちゃんとも会いづらいじゃない。また3人で飲みに行ったりできなくなるの、残念だわ。舞ちゃんは、私にとってもいい友達なんだから。恭平が何を言ったか知らないけど、許してやって」 「・・・・わかった、唯さんがそこまで言うんなら・・・・」 そう、ぼそぼそと答えながら、舞実は思わずはぁーっとため息をつきたい気持になった。でも、唯さんはそれでいいの?これが「彼女」の余裕ってやつなのか。舞実には理解できない。 でも、唯さんがこんな人だから、恭平に対して積極的な態度に出れなかったという事実もあるのだ。最初の頃も、ヘンに遠慮してた舞実を引っ張り込んでくれたのは、他でもない、唯さん自身だった。だからこそ、彼女を敵対視することも、なんとしてでも奪っちゃる、という気持になることも、できなかった。 ひょっとすると、これって、高等技術なのかもしれない。 「唯さん・・・・」 「何?」 「恭平、いい彼女持ったね」 思わず口にした言葉が心底のものなのか、あるいは皮肉なのか、自分でもよくわからない。 でも、とても唯さんみたいにはなれないことは確かだ。この人には、かなわない。 仕方ねーから、ちょっとぐらいしゃべってやるか、なんて思ってたら、次の日、敵のほうから声をかけてきた。 「舞実、ヒマなら今からちょっと付き合え」 「な・・・・なによ」 「茶、おごっちゃる」 すたすたと階段を上ってゆく恭平の後姿がちょっと怖い。 ほんの1週間前までは、気がつけば追っていた、そして今も少しは愛しいと思えてしまう背中。舞実はちょっと切なくなった。その歩き方や仕草、なまりのあるしゃべり方、いつも着てるジャケットや、いろんなものが、彼女の胸を一瞬にしていっぱいにしてしまう。 やっぱり近くにいるのは、辛い。 午前中の食堂は閑散としていて、コーヒーを真中に、ポツンと向かい合っているのは緊張する。 何か言え! と思ってたら、恭平はぼそっと口を開いた。 「いろいろと、悪かったな」 「何が?」 「よくわかんねーけど・・・・」 そう言って、彼は一瞬黙り込んだ。その顔がちょっと赤くなってる。 「とにかく俺、なんか舞実に悪いことしてたんだろ?」 「うん・・・・」 舞実はうなずいた。そう、唯さんにもね。思わずそう言いかけたがやめた。それなら自分も同罪だ。 「なんていうか俺、舞実と映画の話すんのが好きだったんだ。唯はあんまし、そういうのに興味ねーから。お前と映画見て、その後で飲みながらいろいろしゃべってると、すげえ楽しかったんだよな」 映画だけかい!!と思わず突っ込みそうになる。それに楽しかったのは当たり前だ。舞実は一生懸命、恭平に話合わせてたんだから。同じ映像学科でも趣味は違う。恭平の好きな、よくわからないカルトムービーや、小難しい芸術論になんて、唯さんに負けずおとらず興味がない、それが本音だったのに。 そんなことにも気づかないほど、こいつって単純だったんだろうか。 情けなくて、情けないことに、彼のそんなところがまた、妙に愛しくなってしまって、舞実は困る。 「もう、映画とか誘っちゃだめなんだよな」 いつになく殊勝な風に聞かれ・・・・。 「映画ぐらいだったら、いいよ。恭平の気持も・・・・わかったし」 そう、答えてしまう自分が、ほんとに情けなかった。 「そっか・・・・」 そのとき、彼の顔に浮かんだ世にもうれしそうな表情を、舞実は忘れることができない。 「良かった、ほんとにほっとしたぜ。実は、今度の土曜日、ゴダールの特集があってさ。お前ぐらいしか、いっしょに行くやつが・・・・あれ? 舞実、どした?」 バカは死ななきゃ治らない。そんな言葉が、痛む頭によぎった。この能天気男も、自分も、そしてひょっとしたら唯さんも、救いようのないバカなのかもしれない。 だけど結局、その週の土曜日、恭平と映画には行かなかった。 理由はやっぱり、と言おうか、当然の結果、と言おうか・・・・拓である。バカじゃない奴が、ひとりだけいたってわけだ。 「ばかやろー、なに考えてんだよ」 と、一喝され。 「それじゃあなんにもならねーだろうが。今すぐ電話して断れ」 と、怒られ。 「どうしても行くってんなら、俺は金輪際、お前と口聞かない」 とまで言われて。 それは困る、拓に口聞いてもらえないなんて、めちゃくちゃ困る、そう思っている自分に気づいた。 実はぜんぶ作戦だったんだ、と拓は言う。 まんまと彼の手に落ちて、だけど舞実はけっこう心地良かったり、してる。 ほわほわとあったかくて、焦がれすぎることのない恋愛。こいつとなら続いてゆけそうだなって、思ってる。 恭平と顔を合わせても、昔ほどドキドキすることはなくなった。四回生になってからは、卒業制作やら就職活動やらで、あれこれつまんないことを考えてるヒマもない。まあとにかく、これでよかったんだろう。 Just Friends・・・・それはやっぱり、舞実にとってはよくわからない永遠の謎だけれど。 ひとつだけわかったことはある。どんなにキリキリしたって、友達でしかない相手は、結局友達でしかない。そして、本当に恋人になるべき相手は、実は最初から決まってるんだっていうこと。 そう悟ってしまうと、恭平に対するもやもやした気持は、嘘のように消えた。もう、彼の言葉や動作のひとつひとつに「私を好きだっていう証拠」の切れ端を探し求めることもない。期待して、ぺしゃんこにつぶされて、落ち込むこともない。 たぶん、これで恭平とは本当のJust Friendになれたんだろう。舞実はそう、思ってる。 |
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