伝わった・・・?





 

第五話







賢悟に案内されたのは、森下の部屋の2つ隣の角部屋だった。
入ってすぐにここが賢悟の部屋だとわかったのは、賢悟がとても気に入っていた小さな版画が飾られていたから。
ここが賢悟の住まい、賢悟の生活の場だと思うとワクワクしてくる。
森下の部屋と同じつくりなのに全く違う空間にドキドキした。
自宅の部屋も好んで和室を使用していた賢悟らしく、フローリングに畳が敷かれていて、丸い卓袱台と座布団が置かれていた。
インテリアも和テイストのもので統一されていて、賢悟の実直さがうかがえる。
どこかの骨董屋で見つけてきたかのような書斎机に置かれているパソコンだけが妙に浮いて見えた。
大志を奥のリビングに通したまま、賢悟はお茶の用意をしている。
ぶしつけにキョロキョロするのも失礼だろうと思いながらも、どうしてもいろいろと見てしまう。
「何してんだ?座れば?」
お盆に水滴のついたグラスを乗せてやってきた賢悟に、大志はストンとその場に座った。
卓袱台を挟んで向かいに座った賢悟は、グラスを大志の前において、また黙り込んでしまう。
大志も正座のままで、グラスの表面をこぼれる水滴を眺めていた。
言いたいことはたくさんあったはずなのに、何も出てこない。
せっかく賢悟とふたりっきりになれたのに。
沈黙が重くのしかかり、何を言うべきなのか考えたいのに考えられない。
だけど。
大志にはあんまり時間がない。
今日中に家に帰るのためのリミットが近づいていた。
「賢悟さん」
呼びかけると賢悟はハッと顔を上げたが、すぐに視線をそらしてしまった。
それでも大志は続けた。
「賢悟さん、突然尋ねてきてしまってゴメン。一応メールは送ったんだけど、返事がなかったから。賢悟さんの都合も考えないで押しかけてきたことは反省してるし心から悪かった思ってる。ごめんなさい」
そして卓袱台に額がつくくらい頭を下げた。
「だけどね、賢悟さんに会いたかったんだ。会って、話しをして、そして・・・・・・」
賢悟さんの気持ちを聞きたかった、それは言えなかった。
「さっきも言ったけど、賢悟さん、元気そうだし、一人暮らしを満喫してるようだし。それがわかってよかった」
キッチンを通ったときに目に付いた、整頓された調味料と調理器具。
本棚に並んだ難しそうな書籍。
そしてあまり音楽を聴くことのなかった賢悟には珍しく、積まれた数枚のCD。
しっかり勉強して、ちゃんと自炊して、そして新しい世界を知った賢悟の生活は充実していることを知った。
そしてその生活の中に、大志の居場所なんてないってことも・・・・・・
それでもやっぱり大志は賢悟が好きだから。
楽しそうに毎日を送っている賢悟に会えて嬉しいのだ。
大志はグラスの中の麦茶を一気に飲み干して立ち上がった。
「じゃあ、賢悟さん、最終の新幹線に間に合わなくなるから、おれ帰るね」
賢悟は何も言わなかった。
淋しいけれど仕方が無い。賢悟にはすでに新しい生活があるのだから。
「また思い出したときにでもメールください。じゃあ」
荷物を拾い上げ、最後に賢悟を見たけれど、うつむいたままだった。
「あ、そうだ。賢悟さんの好きなドーナツ買ってきたんだけど、森下先輩の部屋に置いてきちゃったよ。良かったら・・・食べてください」
あぁ最後まで賢悟の顔をまともに見れなかったなぁと心残りながらも、それらを振り切って玄関へと向かおうとしたとき。
「おまえはズルイ」
搾り出すような声に驚いて立ち止まる。
「賢悟・・・さん・・・?」
「おまえはいつだってそうなんだ」
「えっ、エッ・・・?賢悟さん・・・・・・?」
もしかして泣いちゃってる・・・・・・?
疑心暗鬼ながらも賢悟のそばに走り寄り、抱き抱えるように背中に手をやると、その身体は少し震えていた。
「け、賢悟さんっ、ど、どうしたの???」
顔を覗き込もうとすれば背けられ、大志は賢悟の背中をゆっくり撫でた。
肉の薄い賢悟の背中。浮き上がった肩甲骨に指先が触れると、もう我慢できなくて大志は賢悟を抱きしめた。
振り払われてもいい、そう覚悟しての行動だったけれど、賢悟の身体が抗うことはなかった。
夢にまでみた賢悟のぬくもりに、大志はいっそう腕の力を強めた。
「賢悟さんっ」
賢悟は大志の腕の中でおとなしかった。
「おまえは・・・・・・」
力強く大志に抱きしめられているからか、賢悟の声はくぐもって聞こえた。
少し力を緩めると、賢悟が力を抜いたのがわかって嬉しくなる。
「おまえはいつだって素直で真っ直ぐで。猪突猛進で」
「ちょとつもうしん・・・?」
「イノシシみたいってことだよ!」
そうだったっけと思いながらも、いつもの調子で怒られて、大志は少し安心した。
「賢悟さん」
呼びかけに応え顔を上げた賢悟は、涙を見せていたのがウソのように、いつもの澄まし顔だったけれど、赤く充血した瞳がさきほどの涙が現実であることを表していた。
そそくさと大志の腕の中から逃れよとするけれど、大志はそれを許さない。
せっかく捕らえたぬくもりをそうやすやすと離してなるものかと抱く腕に力をこめる。
「賢悟さん」
伝えたいことはたくさんあるのに、ただ名前を呼ぶだけで言葉がでてこない。
だけど抱きしめて名前を呼べることの幸せを大志はかみしめていた。
静かな室内。
個室としての機能も抜群なのか、外部の物音は一切聞こえない。
どのくらい抱き合っていただろうか。
さすがにいつまでもこうしているわけには行かないと、大志はそっと身体を離した。
「残念だけどタイムリミットです。おれ、帰らないと」
本当は帰りたくなんてないけれど、大志にはどこかのホテルに泊まるほどの余裕がなかった。
それにあまり長居をするのも賢悟に憚られる。
抱きしめる腕に応えてはくれたけれど、それは嫌われてはいないという意味で、これまでにもあったことだし、応えてくれたからといって歓迎されているという確信もなかった。
時計を確認すると、もうかなりヤバイ時間だった。
「うわっ、ヤベ」
慌ててバッグを引き寄せようとする手を、ギュッと握られる。
「け、賢悟さん・・・?」
「今日は泊まれ」
「え、ええっ???」
空耳か、はたまた幻聴か。
今日は何回驚けばいいんだろう。
驚く大志を尻目に、賢悟はもう一度冷静に言った。
「泊まっていけ」
マ、マジ・・・・・・?
半信半疑で賢悟の顔色をうかがうと、賢悟はギュッとくちびるをかみしめていた。
「本当に・・・?おれ、泊めてもらっていいの・・・?」
驚きと嬉しさで必然と声が大きくなる。
「おれがいいって言ってるんだ。何度も言わせるな」
最後はピシャリと怒られ、大志は肩を竦めた。













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