largo 第五話
 








「クレープ・シュゼットでございます」
「これこれ!佐伯さん、叔父さんの作るクレープ・シュゼットは最高なんだ!こんなシンプルなデザート、ここでは出してないんだけど、どうしても佐伯さんに食べさせたくて無理言っちゃった!」
はしゃぐ山下とは逆に、宗治の心は晴れない。
デザートは、今日の食事の終わりを告げるのだから。
「どうぞ、ごゆっくり」
渚は何度目かの丁寧なおじぎをすると、くるりと背を向けた。
ピンと伸びた背中を追っていると、山下にせっつかれ、宗治は仕方なくフォークを口に運んだ。
サーブ中、渚は慇懃すぎるほどの態度だった。
料理を説明する口調は、真面目な渚らしく少しもブレがない。
そして、宗治のほうを全く見ようとはしなかった。
横から滑らかに皿を滑らせると、丁寧に料理の説明をし、頭を下げて厨房へと引っ込んでいった。
どうやらよほど宗治に会いたくなかったらしい。
顔も見たくないほど嫌われているということだ。
事実を突きつけられ、ショックを受けている自分を嘲り笑う。
かつて自分を振った男、傷つけた人間に会いたがる人間がいるわけがない。
罵られ、殴られてもいいくらいだった。
しかし、渚は宗治に何も言わなかった。
ただ・・・宗治を完全にひとりの客として迎えただけだった。
宗治にとって、一番つらくダメージを与える、渚の態度だった。
「本日のおもてなしはいかがでしたでしょうか」
問いかけながらも自信の漲る低音に、こちらの世界に呼び戻される。
「健一叔父さん!!!」
「よく来たな」
一瞬にして相好を崩す男が山下の叔父で、この店のオーナーシェフの塚本だ。
「こちらがおれの会社の上司・・・というか今は別店舗だから先輩になるのかな?とってもお世話になっている佐伯宗治さん。佐伯さん、おれの叔父でここのオーナーシェフの塚本健一」
「はじめまして。佐伯です」
「塚本です。甥の一馬がお世話になってます」
差し出された手に応えると、塚本が笑みを浮かべた。
落ち着いた大人の雰囲気を纏った男を、業界雑誌で何度か目にしたことがある。
露出が極端に少ないため一般的にはさほど知られてはいないが、料理界では超がつくほどの有名人だ。
まさかその男が山下の叔父だったとは、つい最近まで知らなかったが。
塚本は、写真で見るより男前で、何でも見透かしてしまいそうな強い眼差しがとても印象的な男だった。
何よりも培った経験の多さから自然と溢れ出るのだろう、日本人らしくない堂々とした態度に威厳を感じるものの嫌味がひとつもない。
視線をそらさず、真っ直ぐ宗治を見据える瞳は、宗治という人間の器を量ろうとしているようにも思え、少し居心地が悪い。
「オーナー、どうぞ」
渚が空いた席にティーカップを置く。
「おっ、悪いな」
「いいの?健一叔父さん」
山下が心配そうに尋ねる。
「あちらのお客様はすでにお帰りになられましたので。お気になさらずにごゆっくりなさってください」
塚本が口を開く前に渚が答え、山下がホッとした表情を見せた。
渚は宗治の視線を感じているのに敢えて無視しているのか、相変わらず宗治を見ようとはしない。
「向こうの方が少し早めにスタートしたからな。今夜はもうおまえらだけだ。それと一馬。おれを叔父さんと呼ぶのは止めろっつってんだろうが」
「でも今日は佐伯さんが一緒だし・・・・・・」
山下がチラリと宗治を見た。
「今さら何を気取ってんだよ。あ、もしかして、お前の好きな相手って、佐伯さんなのか?」
塚本の遠慮ない物言いに、宗治はちょうど口に運んでいたカップを落としそうになる。
この男はいったい何を言い出すんだと驚き、男を見やれば、ニヤニヤと笑っている。
山下の好きな相手が同性の宗治だとストレートに言ってのけるということは、どうやら塚本は甥の性癖に理解があるらしい。
だがそんなことに感心している場合ではない。
なぜなら、そこに渚が立っているのだから。
「な、なに言ってんだよ!そんなわけ―――」
「いや、おまえがうろたえるのは図星だからだな。本当に関係なけりゃおまえだったら適当に流すだろ」
塚本と山下が自分のことを話題にしているのに、宗治はまったく気にならなかった。
ただ、渚のことが気になってたまらなかった。
しかし、渚は聞いているのか聞いていないのか、全く表情を変えなかった。
「―――さん、佐伯さん」
「あ、はい」
呼ばれていることに気づきそちらに顔を向けると、塚本が先ほどとは打って変わって真剣な顔つきで佐伯を呼んでいた。
「こいつ、いや、一馬は、本当にいい子なんですよ。あなたのことは一馬から聞いてはいました。こいつ、今までいろいろ痛い目に遭ってきてるんで、実のところ、また酷い目に遭わされるんじゃないかと思ってたんです。いや、一馬は相手の詳しい事情は言わなかったので、本当に今まで相手があなただと知らなかったのですが」
「いえ、あの・・・」
「どうか一馬のことをよろしくお願いします」
「ち、ちょっと、塚本さん!」
頭を下げられて、宗治は恐縮するしかない。
もしかして、塚本は、宗治が山下の恋人だと誤解しているのだろうか。
もしそうなら、その誤解を解かないといけないと思うのに、真剣に頭を下げる塚本を前に、どう切り出していいものかわからない。
だが、塚本の言い方にそういうニュアンスを感じるだけであって、ただ甥の想い人だと思っているのなら、宗治の勘違いになる。
甥の行く末を心配する塚本の気持ちを踏みにじるようで、宗治は恐縮するしかなかった。
「健一叔父さん、もういいってば!ほら、佐伯さんだって困ってるじゃないか。それより、あの綺麗な人を紹介してよ。今日おれたちのテーブルの担当をしてくれた人」
「あ、そうだな。渚、こっちに来てくれ」
「いえ、私は―――」
テーブルから少し距離を置いたところに立っていた渚に話題が移る。
「いいから、こっちへ来い」
親しげな塚本の口調に、渚と男との関係が気になった。
「彼は本村渚。厨房以外の全てを取り仕切ってくれている、オープン前からのスタッフだ」
渚が名前を名乗り丁寧に一礼すると、山下が塚本に仕返しとばかりに食いついた。
「ちょっと、どこでこんな綺麗な人見つけてきたんだよ!」
「だろう?ナンパしたんだよ。それで見事に口説き落とした。どうしても欲しかったからな」
さすがに塚本は山下の軽口にも動じない。
「綺麗なだけじゃないぞ?仕事は早いし機転も利く。相手の気持ちを考えて気配りを怠らない。少し表情は固いのが玉に瑕かな。ほら、ちっとは笑ってみろ」
塚本が渚の頬を摘む。
「やめてください、塚本さん」
渚が他人に肌を触らせたことに、宗治は心底驚いた。
それに・・・少しだけ表情が和らいでいる。
もしかして、塚本と渚は・・・・・・
いったん頭に浮かんだ疑問はこびりついて離れない。
「叔父さん、ベタベタしすぎだってば!そういうことはふたりの時にすれば?」
宗治は、ほんの少しだけ頬を赤く染めた渚を目の当たりにして、乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。














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