largo 第四話
 








「渚、悪いな」
前菜の盛り付けを終えた塚本が渚に声をかける。
店の定休は月に一度。
よってシェフである塚本の休みは月に一度となるのだが、従業員はローテーションで週に一度は休みをもらっている。
そしてその日は予約を1組に調整することになっていた。
だが、その調整も難しく、結局のところ休みなんてほとんどないに等しい。
誰も文句を言わないのは、塚本が一生懸命なこと、全てが予約制のため混み合うこともなく、それほど負担のないこと、そして何よりも仕事が楽しいことが理由だ。
今日は渚にとって久しぶりの休暇日だった。
しかし、塚本が甥である山下の予約を受けたものだから、ダメになってしまったのだ。
塚本は、何とかなるから、予定通り休んでいいと言ってくれたが、いくら身内でも料金は同じだし、同等のサービスをするのは当たり前だと反論すると、塚本は黙り込んだ後に、「頼む」と言われ頷いた。
「気になさらないでください。もう何度目ですか」
「しかしなぁ、今回はおれのワガママだしな。それで渚に迷惑をかけてしまったから」
「わかりました。迷惑料は後ほどいただきますのでもうお気になさらずに。口を動かすより手を動かしてください。若い方は食事の進みも速いですから」
渚は繊細かつ大胆に盛り付けられた前菜のふちをナプキンで丁寧に拭った。
塚本から甥のウワサは嫌というほど聞かされていた。
塚本が料理を志すようになったきっかけは歳の近い甥だったそうだ。
歳の離れた一番上の姉が男の子を産んだのは、塚本がまだ小学生のころだった。
あまり丈夫ではなく小食だった少年は、忙しい母親に代わって塚本が作った料理を、それはとてもおいしそうに食べてくれたそうだ。
『おいしいと言われたら嬉しくなる。もっとおいしいものを作ってやりたくなる。その繰り返しさ、おれの人生は』
そこから始まった塚本の甥自慢はとどまることを知らず、みんなをうんざりさせた。
しかし、塚本にそこまで言わせるその甥とやらに、興味がないことはない。
それは他のメンバーも一緒のようで、果たしてどんな男なのだろうと、今日を楽しみにしていた。
それもあって渚も塚本の厚意を無駄にして、今日出勤してきたのだが。
「シェフの言うとおり、可愛らしいですね、甥っこさん」
「だろ?そうだろ?」
アシスタントの浜口の無駄口にいつもなら雷を落とすくせに、塚本の顔がにやけている。
「これがまた性格もかわいいんだよ。ガキ扱いすると怒るしな」
「ガキ扱いって・・・もう社会人なんでしょ?そりゃ怒りますよ〜」
「うるせぇ、カワイイもんはカワイイんだ。こらっ、さっさと次の準備しやがれ!」
これも何度も聞かされたことだった。
見た目も正確も抜群だと、塚原ベタ褒めの甥。
まさか、それが、あの、以前宗治と一緒のところを見かけた、あの男だったなんて。
好奇心を持って出迎え、塚本の甥―――山下を見た瞬間は、どこかで会ったことがあるかも・・・くらいの記憶だった。
しかし、隣に立つ長身の男が目に飛び込んで来た時、ありえないほどの驚きに支配され、同時にあの時の記憶が押し寄せてきた。
そうか・・・あの時の・・・宗治の・・・・・・
よく平静を装えたと思う。
ナギ、と呼ばれて、息が止まりそうになった。
声が震えそうになるのを一生懸命抑えたが、大丈夫だっただろうか。
店内に招き入れ、テーブルに案内すると、渚は厨房に戻らず、ワインセラーになっている小部屋に飛び込んだ。
目を閉じて、大きく息を吸い込みゆっくりと吐くと、少しだけ心が落ち着いた。
おそらくは総てが偶然なのだろう。
塚本に出会ったのも、塚本の甥が山下だったのも、山下が宗治の・・・新しい恋人だったのも。
いや、あるいは総てが必然なのかもしれない。
実は、宗治と別れてから、宗治の心変わりは一時的な気の迷いかもしれないと考えたことがある。
一緒にいる時間が長すぎたから、馴れ合いすぎたから、宗治は刺激を求めていたのかもしれないと。
もしかしたら、目が覚めて、迎えに来てくれるかもしれない、探し出してくれるかもしれないと、期待をしたこともあった。
だがそれもすぐに渚の都合のいい妄想でしかないと思い知った。
そして今日、宗治にとって渚の存在はすでにあの時に葬り去れていたのだと、駄目押しされたのだ。
もう流れる涙なんて一滴も残ってはいない。
渚は一度だけ手のひらで顔を覆うと、感情に蓋をした。
『人間の心なんて単純なんだ』
塚本の口癖が頭の中をグルグルと駆け巡っていた。













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