da capo 第三話
 








「佐伯さん、お誕生日おめでとうございます」
渚と別れて一ヶ月後の今日は宗治の誕生日だった。
「サンキュー」
紙包みを受け取ると「早く開けてみてください」と急かされる。
「佐伯さん、会議なんかのときスーツ着るでしょ?おれ、佐伯さんのスーツ姿すっごい好きなんです。だからこういうのしか思いつかなくて」
包みを解くと、中からブランドもののネクタイが現れた。シックな色合いは宗治の好みでもある。
「今度の会議につけていくよ」
そういうと、山下は嬉しそうに笑った。
あれから山下との交際は順調だ。
恋人と別れたから付き合おうと山下に言ったとき、そんなつもりはなかったとかわいそうなほどに動揺した。
宗治が「山下が好きだから付き合いたいんだ」と告げると、ポロポロ涙を零して抱きついてきた。
本当に気持ちのいいくらい真っ直ぐな男だと感心した。
店が変わったこともあり、シフトや休みも合わせ易くなったため、山下とは頻繁に会っている。
山下は恋人とはベッタリ派らしく、早くふたりきりになりたがったし、会えない日は何通もメールが送られてきた。
また、若い山下はセックスにも積極的で、宗治のほうが疲れるほどだったが求められて悪い気はしない。
渚とはなにもかもが正反対だった。
渚とはあれから会ってはいない。
同じ街に暮らしているのだから、どこかですれ違ってもおかしくないのだが、そんな偶然さえなかった。
渚が宗治の店に食事に来るとは思えないし、宗治は渚の会社に用事がない。
「佐伯さん?」
「え、あ、ごめん」
「この後どうする?佐伯さんのマンションに行ってもいい?」
「もちろん。それじゃそろそろ行こうか」
恋人を前に元恋人のことを考えていたことを隠すように、山下ににっこり笑いかけた。
店を出てタクシーを拾いマンションへと向かう。
山下に握られた手を握り返してやりながら、車窓を眺める。
オフィス街は残業帰りのサラリーマンがちらほら歩いているだけで、ひっそりしていた。
渚の会社はこのあたりだったなぁと、またもや渚のことが頭に浮かぶ。
今日が何度も一緒に祝ってくれた誕生日だからだろうか。
確かこのビルだったと記憶していた建物は、どの窓にも明かりがついておらず、無人のように思えた。
渚もよく残業していたからそんなことはないはずだと不思議に思っていると、横から山下が答えをくれた。
「倒産した会社ってやっぱどんよりしてますねぇ」
「倒産って・・・丹坂コーポレーションのことか?」
「あれ?佐伯さん知らなかったんですか?かなり大きなニュースでしたよ?」
「いつだ?いつ倒産したんだ?」
「えっと・・・確か1ヶ月半くらい前?うん、佐伯さんとのことがあったからそれと同時期くらいだった。何でも分譲マンションの売れ行きが―――」
一生懸命説明してくれる山下の声は少しも耳に入ってこなかった。
渚の会社が倒産?
しかも1ヶ月半前だって?
渚はそんなことひとことも言わなかった。
そしてふと思い当たる。
あの頃、渚はとても疲れた顔をしていたように思う。
渚にしか心が向いていなかった頃とは違い、ふたりでゆっくり過ごす時間はほぼ皆無だったから、確信があるわけではないが。
先に社会人になった宗治は、仕事の悩みや愚痴をよく渚にぶちまけた。
渚は黙って聞いているだけで、積極的にアドバイスをくれるわけではなかったが、じっくり話を聞いてもらうだけで心が軽くなったものだ。
『おまえも何かあったらおれに言えよ』
そう言ったとき渚はなんと答えただろうか。
『言ってもどうにもならないことばかりだから』
『でも楽になれるだろ』
『自分は楽になれても相手に嫌な思いをさせてしまう』
今思えばそれがすれ違いのきっかけのひとつだったように思う。
そういう風に思っているのだと考えると、宗治も渚に何も言えなくなったのだ。
渚には全く悪気があったわけじゃないだろうけれども。
そう言えば渚に別れを告げたあの日、渚は家にいた。
宗治はかなり早い時間に帰宅したはずなのに。
そして出て行った日も、やけに簡単に休みが取れた。
当たり前だ。
すでに会社はなくなっていたのだから。
会社の倒産に追い討ちをかけるような宗治の別れの言葉を、渚はどんな気持ちで聞いていたのだろう。
サラリーマンにとって倒産は死活問題だ。
就職難の昨今、再就職はかなり難しいだろう。
それ以上に、会社がなくなるなんて悲しすぎる。
宗治だって倒産しましたなんて言われたらパニクってしまい冷静ではいられない。
だが渚は出て行った。
文句のひとつも言わず、静かに出て行ったのだ。
宗治は怒りを覚えた。
何も言わずに出て行った渚に。
何も知らずに別れを告げた自分に。
もし、渚の立たされた立場を知っていたら・・・・・・自分はどうしだだろう。
山下に向かってる気持ちを抑えて、渚と暮らし続けただろうか。
それとも、渚との関係を続けながらも、山下とも新しく関係を持っただろうか。
どんなに考えても答えは出なかった。
ただ、渚は今どうしているのだろう、そればかりを考えていた。












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