da capo 第四話
 








結局山下を送り届けて、ひとりマンションに帰ってきた。
未練なのか、まだ削除していなかった渚のケータイ番号をコールしてみるが、使われていないと機械音が繰り返されるだけだった。
押入れから卒業アルバムを探し出し、実家の電話をコールしても同じことだった。
そのまま高校時代の友人に連絡を取る。
渚と中学が同じで家が近いヤツを選ぶと、偶然にも連絡を取ることができた。
そこで宗治は全く知らなかった事実を知らされた。

『おまえ、本村と仲良かったし、あいつの事情全部知ってるとばかり思ってたよ』

語られたのは宗治が考えていたほどの軽い事情ではなかった。
渚の父親は家族に手を上げる男だったのだ。
夜中に騒がしくしていれば近所でうわさになるのも無理はない。
ただ、父親は一流企業に勤めているし、外面はよかったものだから、うわさはうわさの域を超えなかった。
渚が高校生になるとさらにエスカレートする。
それは渚が母親と妹を守るために、父親に抵抗したからだ。
渚の大学進学を機に母親は娘を連れて北海道の実家に逃れたらしかった。

『うちのお袋、本村の母親といろいろ親しくしてたみたいで、出て行くときに挨拶に来てくれてさ、そのときにいろいろ迷惑かけたって事情を話してったみたいだよ。その後すぐに父親も家を出てさ、売りに出されて今じゃ違う家族が住んでるぜ』

宗治を礼を言うと電話を切った。
高校生のときの痣は父親が原因だったのだと初めて知った。
そして渚には帰る場所がないということも。
一緒に暮らしていた5年間。
渚は一度もマンションを留守にすることはなかった。
実家に帰らないのかと何度か聞いてみたが、用事がないからと一蹴された。
進路で揉めたものの、盆と正月には実家に帰っていた宗治とは大違いだ。
情の薄いヤツだなぁと思ったこともあるし、もしかしたら口にしたこともあるかもしれない。
帰らないのじゃなくて、帰れなかったのだ。
じゃあ今渚はどこにいる?
宗治からの別れの言葉は突然だった。
それなのに渚は翌日の昼には出て行った。
あの時のあのダンボールはどこに送られたのか。
どこかに住む場所を借りたとは到底思えなかった。
渚にそんな時間の余裕はなかったのだから。
何か手がかりはないかと渚の部屋を探してみるも、塵ひとつ残っていなかった。
宗治はくちびるを噛んだ。
渚について何も知らないことが悔しい。
渚はいつもここにいた。
大学に行っても仕事に行ってもいつもここに帰ってきた。
だから宗治は渚について何も知る必要はなかったのだ。
最初のころ、好きな人のことを知りたくて、質問責めにしたことがあったが、「うるさい」と言われて聞くのをやめた。
あまり自分のことを語りたがらない性格であることは理解していたので、仕方がないと諦めた。
無性に渚に会いたくなった。
なぜ何も言わなかったのかと怒って問い詰めて・・・ギュッと抱きしめてやりたい。
リビングのソファで頭を抱えて自分を責めていると、ふと違和感を感じた。
オーディオボードの上にCDが数枚置きっぱなしにされていた。
この数ヶ月は渚のことを避け、このリビングのソファに座ることもなく、帰宅すれば自室に直行していたから今日まで気付かなかったのだ。
CDはすべて引き出しに収められていて、ボードの上には何も置かれていない状態が常だった。
今そんなことをする必要はないのに、何となく気になって引き出しを開けると、置きっぱなしのCDが収納されているはずのスペースに握りこぶし大くらいの箱を見つけた。
綺麗にラッピングされた箱はどうみてもプレゼントにしか見えない。
まさかと思い包装を解くと、宗治が憧れている高級腕時計だった。
車一台くらい買えそうなその時計は、高校生の頃から宗治が憧れていたものだ。
何度も繰り返しその魅力を語る宗治を、そういった執着心が一切ない渚は呆れたような目で見ていたが、決して否定はしなかった。







『金貯めて、絶対に手に入れてやる!でも家にカネも入れたいし、ずっと先のことになるだろうなぁ』
『おまえ、家に給料入れんの?』
『当たり前だろ?今まで育ててもらった分、今度はこっちが頑張らないと』
『ふーん・・・それじゃおれがボーナス何回分か貯めてプレゼントしてやる』
『おっナギってば太っ腹だな!ま、期待しないで待っててやるわ』







そう答えたものの、渚に買ってもらおうなんて思いもしなかった。
ただ、いつになく雄弁な渚が珍しくて話に乗っただけだったのに。
渚が得たボーナスを全て注ぎこんでも足りないだろうから、おそらく貯金を崩して足したのだろう。
渚はそんな昔のことを覚えていた。
そして宗治のためにプレゼントとして用意してくれたのだ。
今日の日のために。
一方的な別れを告げた男のために。

どうして愛されていないと思ったのだろうか。
渚はちゃんと宗治のことを愛してくれていたのだ。
そうでないと、大金をはたいてプレゼントなんて準備できない。
どうでもいい男に、こんなことができるはずがない。

渚はちゃんと宗治の話を聞いてくれていた。覚えていてくれた。
言葉以上に感情を表す瞳を、宗治は愛していた。
時折見せる感情の揺れに気付くと、嬉しくてたまらなかった。

おそらく渚は出会ったころから何も変わってはいない。
変わったのは宗治だ。
渚と向かいあうことを忘れ、その小さな変化に気付けなくなっていた。
恋人という関係の上に胡坐をかき、何も言わない渚に甘えて、酷いことをした。
関係を始めたのは、自分のくせに。

今、宗治の中にあるのは、渚へのあふれんばかりの愛しさだった。
渚に会いたい。
会って謝りたい。
何を言われてもいい。罵られてもいい。
渚の本音が聞けるのなら、渚の感情を受け止められるのなら、どうなってもよかった。
許してくれなければ、許してもらえるまで頭を下げよう。
殴って気がすむのなら大人しく殴られよう。
渚が受けた痛みに比べればどうってことはない。

宗治は時計を自室のデスクの中に丁寧にしまった。














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