明日があるなら 第5話








「ねぇ、行きましょうよ、秋川主任っ」
「いいよ、おれは。おまえらだけで行ってこい」
「そんなこと言わずに!こんなときくらい付き合ってくれたっていいでしょ?さっ」
腕を引っ張り上げられて、雅彦は重い腰を上げた。
揃いの浴衣の上に揃いの羽織。
下駄を鳴らして雅彦たちの集団は温泉街をぶらぶら歩く。
雅彦の会社では何年かに一度、全社員参加の元での社員旅行が開催される。
参加は自由となってはいるものの、社長から新入社員まで、所属する全員が参加するのが周知の事実となっていた。
団体行動が好きではない雅彦も、こればかりは断ることもできず、気乗りのしないままの参加となっていた。
そりの合わない上司と旅行なんてとんでもないと思っていたが、向こうも同じ気持ちなのか雅彦に絡んでくることはなかった。
大広間での宴会も終了し、さて部屋に引き取ろうとした矢先、今年入社の新入社員と同僚たちの、外での飲みなおしに付き合わされることになったのだ。
めっきり付き合いが悪くなったことは自覚していたから、強く断ることもできず、酔い覚ましに外を歩くのもいいかと、連れられるままにぶらぶらと歩いていた。
宴会では、酒を注いでは注がれを繰り返していたためか、知らないうちにかなりの量を飲んだのだろう、夜風が肌に心地よく、雅彦は大きく伸びをした。
「あ、ここここ!雑誌に載ってたんだよね」
「旅館の案内にもあったよ。ここの温泉街の浴衣着てたら飲食代10パーオフだったっけ?」
この温泉街にはそういうサービスがいくつかあるのは知っていた。どこの温泉地も旅行客の獲得に大変らしい。
暖簾をくぐると威勢のいい掛け声で出迎えられる。
今流行の静かに飲むタイプの店ではなく、どちらかというと大衆居酒屋っぽい店構えだった。
席もそこそこ埋まっていて、浴衣の団体が宿泊先の浴衣ごとにワイワイガヤガヤと盛り上がっていて騒がしい。
そことなくお洒落でそことなく庶民的。
そんな雰囲気が客をリラックスさせるのだろう。
雅彦たちもすぐに奥のテーブルへと案内された。
「主任、何飲みます?」
横からメニューを見せてくれるのは、総務の女性だ。
ここのところ露骨にアプローチをしかけてくるので辟易していたのだが、ちゃっかり雅彦の隣の位置をキープしてご満悦のようだった。
気のない雅彦にとっては、少しでも近づこうとメニューを覗き込むしぐさが不快極まりなかったが、同僚や部下の手前そう邪険にすることもできず、適当に答えるとメニューを向かいへと回した。
強引な女は嫌いだ。
いや、もしかすると以前はそうではなかったかも知れない。
仕掛けてきた女はとりあえず味見していたし、恋の駆け引きだって楽しんでいたはずだ。
葉月に出会ってからだ。
何もかも変わってしまったのは。
未だに忘れることができない、慎ましやかで優しく、儚げだった葉月のことを。
葉月に酷く当たったのは自分だ。
葉月が出て行ったのは無理もないことだと思うけれども、心はずっと葉月に囚われたままだ。
忘れようと思っても忘れられない。
「おまたせいたしました。ハイボールのお客様」
「はいはい。えーっと、湯島さんと、秋川主任・・・だっけ?」
「あ、おれ」
雅彦が軽く手を上げたと同時に、ガシャーンと何かが割れる音がした。
「うわっ」
「す、すみませんっ」
どうやら店員がグラスをひっくり返したらしい。
大丈夫か、濡れてないか、などの騒がしい声と、必死で謝りながらしゃがみこんで後始末をしようとする店員。
どうやら床に落としたものの、誰にも被害はなかったらしく、怒る人間もいなかったが、店長らしい男がテーブルに駆けつけて、しきりに頭を下げているのを、雅彦は眺めていた。
そして、張本人である店員が、ガラスの破片をトレーに乗せ立ち上がった瞬間、雅彦は息を飲んだ。
まさか・・・・・・
「葉・・・月・・・・・・?」
雅彦の囁くような小さな声が聞こえたのか、葉月は慌てて目を伏せた。
「し、失礼します!」
ガバリと頭を下げて逃げるようにその場を去ろうとする葉月に、雅彦は立ち上がった。
「なになに?主任、その子と知り合い?」
「ちょっとゴメン」
雅彦はテーブルの間を抜けて葉月を追ったが、厨房に引っ込んでしまったのか、すっかり葉月の姿はなかった。
さきほど謝りに来た店長らしき男と捕まえて訪ねてみると、どうやら数ヶ月前からここで働いているらしい。
今日はラストまでの勤務だという情報を仕入れて、雅彦はテーブルに戻った。
葉月の性格からして、多忙を極める店を放り出して早退することはないだろうし、勤務時間内ではゆっくり話もできやしない。
雅彦は葉月の上がりを待つことにした。
それまでに、この動揺する心をなんとか落ち着けたい。
冷静に話がしたかった。葉月と。













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