明日があるなら 第3話








雅彦の好奇心から始まった同居は思った以上に楽しかった。
コーヒーや味噌汁のにおいで自然に目覚めるようになったし、面倒で抜いていた朝食を摂るようになった。
雅彦が出かけてから、葉月はアルバイトに出かけ、雅彦が帰ってくると、きちんと夕食が用意されていた。
葉月の作る料理は、洒落たメニューではなかったが、シンプルな和食中心で、雅彦の好きな味付けだった。
昼食を職場近くの日替わりランチで済ませる雅彦にとって、和食は願ったりかなったりだったし、なるべく残業もせず付き合いもそこそこに早く帰宅するようになった。
『おかえりなさい』と迎えられること、仕事でどんなにムカつくことがあっても水に流すことができた。
葉月の言葉は雅彦を癒し、優しい気持ちにさせた。
一度、仕事でトラブったことがあった。
それは雅彦のミスではなく、直属の上司である課長の勝手な判断が原因だった。
運の悪いことに、その取引先は雅彦の会社にとって最大手だった。取引先はカンカンに怒り、取引の中止を求めてきて、大騒ぎになったのだ。
雅彦は入念に調査して書類を上司に提出したのに、その課長は自分の査定を良くするために雅彦の書類の数字を改ざんしたのだ。
しかし、証拠はなく、雅彦は改ざんした当人からも、さらに上の上司である部長からも頭ごなしに叱咤され、ひとり取引先に出向いて頭を下げ続けたのだった。
何とか相手の怒りは収まったものの、雅彦は屈辱感でいっぱいだった。
雅彦にすべての責任を押し付けた課長と部長は娘婿の関係だったのだ。加えて部長は専務の娘婿である。
能力もないくせに媚びへつらうことだけに秀でた上司に怒鳴りつけられている雅彦を、同じ部署の同僚も隣の部署の連中も、哀れみこそすれ全員が見てみぬふりをしていたのだった。
自分の方が秀でているのだからと、そんな上司を蔑みこそすれ鼻にもかけていなかった雅彦だったが、さすがにこの時には日ごろの不満が爆発し、飲んだくれて悪酔いしてしまった。
別の部署の同僚に送られ帰宅した雅彦を迎えたのはもちろん葉月で、しつこく悪態をつく雅彦の話を何も言わずに聞き、吐いてぐったりした雅彦を看病してくれた。
次の日の朝、自分の失態を思い出し、何ともばつの悪い気持ちでリビングに現れた雅彦だったが、そのことに関しては一切触れず、いつも通りの朝を作ってくれたのも葉月だった。
葉月の優しさを、心の広さを、本当の意味で認めたのはこの時だったかもしれない。
そしてそれをきっかけに雅彦の心はどんどん葉月に向かっていったのだった。
笑いかけてくれる笑顔がまぶしく、何気ないしぐさがそれまで以上に可愛く思えた。
抱き締める腕に力がこもり、たくさんのぬくもりを感じたくなった。
誰かを愛しいと思う気持ちを、葉月は雅彦に教えてくれたのだ。
それなのに・・・・・・








***   ***   ***








葉月への愛しい気持ちは夜のベッドでは特に抑えるとができなかった。
貪欲に葉月を求めたし、葉月も雅彦を受け入れた。
抱き合うことは、性欲を満たすことだけでなく、それ以上の意味を持っているのだと知った。
経験だけは誇れるほど積んでいた雅彦だったが、今までのセックスがむなしく思えたくらいだ。
愛しいからこそ、葉月を求めずにいられなかった。
そう、雅彦は生まれて初めて人を愛しいと思ったのだ。
そして葉月も雅彦と同じように思ってくれていると信じていたのに・・・








いつだっただろうか。些細なことがきっかけだった。
夕食に、雅彦の好物ばかりを作りたがる葉月に、雅彦が軽く言ったのだ。
『たまにはおまえの食べたいものも作れよな』
優しさから出た言葉だった。
一緒に住んでいるのだから、遠慮なんてしないで欲しかったのだ。
すると葉月は言ったのだ。
『だって世話になってるのはぼくのほうだから』










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