明日があるなら 第2話








どうせ葉月には行く場所なんてないのだ。
すぐに帰ってくるだろうと安易に考えていた雅彦の気持ちを裏切って、葉月は帰ってこなかった。
すでに1ヶ月。
ずいぶん冷え込む夜が増えてきた。
葉月がいなくなって一週間後、さすがの雅彦も心配になり、葉月の行方を捜そうとしたのが、葉月はすでにバイトを辞めていた。
バイト先に親しかった人間もいないらしく、誰一人として葉月の行方を知らなかった。
そのうち、雅彦の仕事も多忙を極め、休日出勤は当たり前、葉月の居場所を探す時間は全くなくなった。
疲れた身体で帰宅しては、明かりの灯っていない部屋に気落ちする。
コンビニ弁当の空容器だけがキッチンに山積みされていくわびしさ。
そして今日も雅彦は、溜まったゴミの山を呆然と眺めていた。
葉月がいなくなって初めて知った。
自分が葉月のことを何も知らなかったこと。
何も知ろうとしなかったこと。
知っていたのは、未成年であること、身寄りがいないこと、たったそれだけだった。
それだけを手がかりに葉月を探し出すなんて・・・・・・
それと同時に聞こえる黒い声。
葉月のことなんてどうでもよかったんじゃないか?
だから葉月の存在も気持ちも無視し、葉月の人間としての尊厳でさえも傷つけたのじゃないのか?
それなのにどうしてこんなに気になるのか。
雅彦は何か手がかりはないものかと、葉月の部屋へと向かった。
越してくるに当たって葉月に与えたのは、納戸状態になっていた8畳の洋間だった。
葉月はその部屋を自分の思うがままに片付け、荷物を運び込んだ。
それはダンボールたった2つだったのだけれど。
雅彦が小さいころに使用していた古い家具を、とても嬉しそうに見つめていた。
雅彦はデスクの引き出しを開けた。
そこには、雅彦が葉月に預けた、銀行の通帳とキャッシュカードが入っていた。
雅彦はなぜかほっとした。
もし葉月がこの家を本気で出て行ったのなら、これを持ち出しているかもしれないと思っていたからだ。
手に取りパラパラとめくり、雅彦は驚きのあまり目を見開いた。
その口座には、家事を受け持つ葉月が十分なほどの金額を毎月振り込んであった。
しかし、残高が減るどころか、少しずつではあるが膨れている。
そして・・・その金が引き出された形跡がなかった。
公共料金などはすべて別銀行からの引き落としとなっているが、それなりの生活費は必要だ。
毎日食卓にはきちんとした料理が並んでいたし、シャンプーや石鹸などの日用雑貨もきちんと整えられていた。
雅彦が口にしなくなっても、葉月は2人分の食事を毎回作っていたのだ。
それなのに、どうして雅彦が与えた生活費に手がつけられていないのか?
(まさか・・・・・・)
葉月は生活費を自分のバイト代でまかなっていたのだろうか?
そう、それしか考えられない。
しかし、葉月はそんなに長時間バイトをしていたわけじゃないから、月々の収入はたかが知れている。
知り合った当時、葉月には貯金なんて一銭もなかったことも雅彦は知っていた。
もし、雅彦の想像どおり、生活費をすべて葉月がまかなっていて、その上少しずつ貯金をしていたのなら、今葉月が持っているお金は微々たるものに違いない。
それなのに帰ってこない葉月。
自由にできる通帳も持たずに出て行った葉月。
雅彦は通帳を握り締めたまま、その場にしばらく立ち尽くしていた。
どれくらい時間が経っただろう。
雅彦はさらに葉月のデスクを探った。
そして無くなっているものに気づいた。
ふたりで撮った写真。
この家に引っ越してきたのを記念に、雅彦は葉月と写真を1枚撮った。
葉月はどこかの雑貨屋で綺麗なガラスのフレームを見つけてきて、その写真を嬉しそうに飾っていた。
葉月の肩を抱いて、頬を寄せ合い、満面の笑みの雅彦と、少し頬を染め照れたような表情の葉月。
それはずっとリビングに飾られていた。
ふたりの仲が、いや雅彦の葉月への態度に変化が現れるまで。
一度、腹立たしさにそれを投げつけてしまったことがある。
粉々に割れてしまったガラスフレームの欠片を、葉月は何も言わずに拾い集めていた。
そして、露わになった写真を、それでも大事そうに胸に抱いていた。
それだけが・・・葉月と一緒に消えていた。








***   ***   ***








もともと物事には執着しないタイプだ。
来るもの拒まず去るもの追わず。
それが雅彦の性格だ。
忘れてしまえばいい。
出て行ったヤツのことなんか。
セックスの相手ならどこにでもいるし、どんなヤツでも落とす自信はある。
家事はハウスキーパーを雇えばすむことだ。
葉月でなければならない理由なんてない。
葉月はおれが拾ったのだ。
だからどう扱おうと自由だ。
夜が来てこの家でひとりになるたびに言い聞かせる。
しかし、雅彦はハウスキーパーを雇うこともしなければ、一晩の相手を求めて煌びやかな街を歩くこともしなかった。
葉月に会う前の自分には・・・戻れなかった。










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