微かな想い
『悲しみの果て』
〜康介side〜


第八話







朝食に行こうという純平を無視して眠いからとベッドからでなかったぼくだけれど、どんなに悲しくてもお腹は空くらしく、かなり遅いブランチをひとりリビングで摂った。
ぼくだけのために食事を用意してくれた多恵子さんは、少し充血したぼくの目を見ても何も言わなかった。その心遣いがとてもうれしかった。
誰も来ませんようにと願っていると、純平と陸は圭さんとドライブに、亮にいは平藏さんと山のほうに、先生は街に出かけたと、多恵子さんが教えてくれた。
ぼくは、食器を片付けると、書庫へと向かった。
重いドアを開けると、いつもの場所に座り、ぐるりと書棚を見渡した。
ぼくは、この別荘に来てからのほとんどの時間をここで過ごし、たくさんの本を読んだ。結構読むのが早い方だから、きっと並の人の倍くらいの本を読んだと思う。
でも今日は読む気になれなかった。読書に没頭して何も考えたくないから今日もここに来たのに、活字を追っているだけで内容が頭に入ってこない。
ぼくは、本をテーブルに置いて立ち上がると、窓辺のロッキンチェアーに手をふれた。
初めてそれに腰かけてみる。背もたれに体重をかけると、ゆらゆらと前後に揺れた。
目を閉じて、浮遊感に身を任せると、柔らかい初春の日差しが差し込む窓辺で、ぼくは眠りに引き込まれていった。
何も考えることなく、自然に眠り堕ちていく感覚はとても気持ちがよかった。













さすがに背中が痛くなり目が覚めると、すでに空は白み始めていた。
いくら心地いいからって、同じ体勢で長時間いると、身体のあちこちがズキズキ痛む。
ゆっくり立ち上がり、窓の外に目をやると、森のほうに向かって歩いていく先生の後姿が目に入った。
もう夕方なのに・・・どこに行くんだろう・・・?
はっきり聞いたわけではないけれど、おそらく亮にいと先生はお互いに好意を抱いているであろうことに気づいたはずなのに、ぼくはやっぱり先生が好きだった。
最初から先生を自分のものにしたいなんて思っていなかったから、先生に恋人がいようとも、それが亮にいであっても、先生のことをキライになんてなれなかった。
ぼくは書庫を出ると、勝手口から庭に下り、先生の後を追った。
もしかしたら、もう一度ふたりで話ができるかもしれないなんて、ほんの少しだけ期待を胸に秘めて。
薄暗い木立の中、細い道を奥へと進んでいく。脇道なんてなかったから、迷うこともなかった。時々不気味な鳥の鳴き声が聞こえて、その度にドキリとしたけれど、この先に先生がいるんだと思うと、恐くはなかった。
視界が開けると、そこには池があった。
柵も何もなくて、大きな水溜りみたいな池。
でも先生どこに・・・?
近くでカサカサと葉っぱが掠れる音が聞こえ、ぼくは辺りをキョロキョロ見回した。
すると、立ち並ぶ幹の間で黒っぽい何かが動いた。
先生、黒いシャツ着てたから・・・きっと先生だ!
背後からその場所に近づこうとして足を止めた。
―――亮にい・・・?
ぼくはよく見える位置までゆっくり気づかれないように進み、太い木の影に隠れてその人物を確認した。
それはやっぱり亮にいと先生で、ふたりは池に向かって草の上に腰を下ろし、話をしているようだった。
ふたりがどんな顔をして、何を話しているのかわからなかったけど、そこには誰の目も意識していない、ふたりっきりの空間が存在していて、ぼくは声をかけることもできず、ただふたりの背中を見つめていた。
ぼくはやはり認めざるを得なかった。ふたりが恋人同士であると言うことを。
そう思わざるを得ない雰囲気が、ふたりを包み込んでいた。
そして、先生が亮にいに顔を寄せていって・・・ふたりの顔が重なった。
はっきり見えないけれど、どういう状況かくらいぼくにだってわかる。
ふたりは抱きあうと、小さなキスを何度も繰り返していた。
ぼくは、太い幹にもたれて、ふたりに背を向けた。その場を去ろうにも、胸がいっぱいで足が動かなかった。
やっぱりそうだったんだ・・・・・・
何だかすっきりした。涙なんてこれっぽっちも出なかった。
逆に、ふたりのキスシーンがあまりに自然で、映画のワンシーンのようで・・・妙に感動していた。
オトコ同士なのに・・・不潔だとか、気持ち悪いとか全然思わなかった。
ぼくだってオトコの人を好きになるくらいだから、同性の恋愛に嫌悪感がないのは当たり前なんだけど、それでも自分の好きな人と自分の兄のラブシーンを目撃したのである。少しくらい動揺してもおかしくないのに・・・
ぼくは先生の言葉を思い出していた。
『亮くんを誰が守るんだろう。亮くんが疲れた時、誰が癒してあげるんだろう』
『ぼくは亮くんのいちばんの理解者になりたい。亮くんが息を抜ける場所になりたい』
ずっとぼくたちの面倒をみてくれた亮にい。特にお母さんが海外研修に行ってからは、家のこととバイトと受験勉強という三つのことを、きちんとこなしていた亮にい。
ぼくは、それらを軽々とこなす亮にいを尊敬していた。亮にいにできないことなんて何もないんだって、亮にいはスーパーマンなんだからって、亮にいの気持ちなんて考えたことがなかった。ぼくは、ただ明倫館に合格するために、同じ受験生なのに亮にいに甘え、受験勉強に没頭していた。
きっと亮にいは、先生の前では弱さを見せることができるんだろう。
先生の前では、自分が家族の大黒柱であるとかそんなことも忘れて、普通の高校三年生のオトコになれるんだろう。
そして、先生は、そんな亮にいを、亮にいが気遣うことなく、自然に受け止めることができるんだろう。
先生の好きな人が亮にいでよかった。
亮にいの好きな人が先生でよかった。
ぼくはふたりとも大好きだから・・・・・・
だからこそぼくは・・・ぼくは先生をあきらめなくちゃならないんだ。
あきらめるしか・・・ない・・・・・・
でも・・・・・・
あきらめることができるだろうか?
知ってしまった手のぬくもりを、優しさを、たまに見せてくれる笑顔を・・・・・・
これから三年間、毎日顔をあわすのに、すべてをなかったことにできるだろうか?
何も望まないから、好きでいるくらい・・・だめなんだろうか?
もともと何も望んじゃいない恋だった。
ぼくが一方的に惹かれて、一方的に舞い上がった恋だった。
ぼくの心は誰にも知られちゃいない。
ふたりを引き裂こうなんて考えも全くない。
ただ先生を好きでいたい・・・・・・
ふたりの関係を認めてもなお消えない片岡先生への想い。
ぼくって、執着心の強いヤツだったんだ・・・・・・
気がつくと、あたりは日が落ちて暗くなりかけていた。ふたりの姿もすでになかった。向こうからもぼくの姿が死角になっていたらしく、全く気づかなかったらしい。
急いで立ち上がると、急に視界がオレンジに染まり、ぼくは腕でその光を遮るように顔を覆った。









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