微かな想い
『悲しみの果て』
〜康介side〜


第六話







しばらくしてやってきた亮にいと、それから少し遅れてやってきた先生が揃うと、ダイニングに案内され、夕食会が始まった。
圭さんが言っていた通り、西山夫妻の料理は素晴らしくて、いつも弁当屋の惣菜とかばかり食べているぼくたちには、どこかのお城の晩餐会に招かれたようだった。
でもぼくたちはナイフやフォークに気後れすることはない。
なぜなら母が年に数回そういうレストランに連れて行ってくれるからだ。
外で恥ずかしい思いをしないように、最低限のマナーは身につけるようにという母の教育方針が功を奏して、陸も上手にナイフとフォークを操っていた。
料理はとてもおいしくてたくさん食べたいのに、緊張のあまり咀嚼するばかりで、なかなか飲み込めない。
だって、目の前に先生が座っているから。
ぼくのことなんか気にしてはいないだろうけど、意識しまくりのぼくは正面を向くことができなかった。
「ねえねえ、今度康兄ちゃんが明倫館に行くんだよ?」
突然陸がぼくに話題を振った。びっくりして陸を見やると「ねっ」て念を押すようにぼくに笑いかける。
「知ってるよ?康介くんはとっても優秀なんだよね」
先生は褒めるのがとても上手い。そしてお世辞かもしれないその褒め言葉でさえ、ぼくには甘い囁きに聞こえた。
俯いたまま、その優しい声を心で温めていると、亮にいが心配そうにぼくの顔を覗きこむ。
「康介、どうした?具合悪い?」
ぼくは慌てて、「ううん」と笑顔で首を振った。
「康介、片岡先生が担任になるといいな。先生優しいし・・・おれも頑張って明倫館受けようかな〜」
純平が、料理を皿に取りながら独り言のように呟く。
「そうだなぁ、今年は一年の担任を持つことになりそうだから、その可能性もあるな」
えっ?そうなの?
思わず顔を上げると、先生がぼくを見つめていた。
「もしそうなったらよろしくな、康介くん」
笑顔を向けられ、ぼくはカチャカチャとひたすらナイフを動かして頷いた。
先生、失礼なコだって思ったかな?
後悔したけれど、どうしようもなかった。あんな笑顔を向けられて、平常心でいられる自信はなかった。
担任だなんて・・・考えていなかった。
亮にいだって、先生が担任になって、それから仲良くなったんだから、もしそうなればぼくのことも先生は気にかけてくれるだろうか。
「先生ってさぁ、彼女とかいるの?」
今度は純平が不躾な質問を先生に投げかけた。
「先生すっげえかっこいいじゃん?モテルだろ?おれも結構モテるんだけどね」
純平は刑事の取調べのように矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「ねえ、先生は?恋愛経験豊富?何人くらいと付き合った?なんでそんなにかっこいいの?」
ぼくは先生の言葉を固唾を飲んで待った。
先生は素敵だけれど、彼女がいてもおかしくないけれど、ぼくは先生とお付き合いしたいなんてそんな大それたことを考えていないけれど・・・
やっぱり先生にはフリーでいて欲しい。
でも、先生の答えは・・・ぼくの望みどおりにはいかなかった。
「付き合ってる人はいるよ」
頭では予想はしていたけれど、本人の口から聞かされると、その何倍もショックだった。
ふと隣りの亮にいを見ると、持っていたグラスから零れた水を、ナプキンで拭いていた。
「マジで〜?どんな人?やっぱキレイな人?それともかわいい人?」
純平!もういいよ・・・それ以上聞きたくないよ・・・・・・
それでもぼくは席を立つこともできず、耳をふさぐこともできず、先生の惚気話を聞く羽目になった。
「どっちかつうとかわいい・・・かな?」
「やっぱかわいい系がいいよな〜で、どんな風に?」
「素直じゃないし、偉そうな口ばっかり利くんだけど、そこがかわいくてね。いつもは気が強いくせに、たまに甘えられるともうメロメロって感じかな?」
ちらりと盗み見するように惚気る先生を見ると、眼鏡の奥のいつもはキリリとした目がとろんと下がっているように見えた。
あれ?やっぱり女の人なのかな?亮にいじゃないのかな?
でも・・・きっとすっごくかわいい人なんだろうな・・・・・・
先生の態度で、その人のことをどんなに大事にしているか、どんなに好きなのかわかってしまう。
でも、先生にそういう人がいてよかったとも思う。
もし先生がフリーだったなら、ぼくはいつしか先生への想いを溢れさせてしまいそうだから。
先生に知られたくないぼくの恋心を、先生にぶつけてしまうかもしれないから。
今でさえ押さえるのに必死なのに、毎日会うようになれば、勘のいい先生にバレてしまうかもしれない。
恋愛の経験なんてないぼくは、うまく抑えることができるだろうか。
「亮兄ちゃんにも付き合ってる人いるんだよ?ねっ、亮兄ちゃん!」
今度は陸が亮にいに話をふった。
「り、陸!おれにはそんな人―――」
正直に言ってしまえばいいのに、なぜそんなに隠す必要があるのだろう。
兄弟にくらいバレたっていいのに、亮にいはあたふたと否定しようとするのを純平が遮った。
「いや、絶対にいる!」
一際大きな声で純平が力説し始めた。
「亮にい、クリスマスもいなかったろ?バレンタインだっていなかったし、卒業式だって外泊したし」
「圭が来てくれたからよかったけどね」
「それに、すっげえ楽しそうだと思えば悩んでたりするし、たまにひとりでにやけてるし、極めつけは何か色っぽくなった!」
「い、い、いろっ・・・・・・」
隣りで、カシャンとナイフとフォークを落としてしまうほどに動揺している亮にい。
「オトコの色気っつうものが滲み出てるんだよな〜亮にいカッコイイのに今までオンナっ気がなかったのがおかしいんだけど。なあなあ、亮にいの好きな人ってどんな人?」
純平は、こういう恋愛話が好きなようで、亮にいの帰りが遅いと、絶対アヤシイと叫びながら、ぼくを相手に亮にいの彼女についての想像話を延々と続けたりするのだ。
ぼくも聞いてみたかったんだ、亮にいの好きな人について・・・
だって、はっきりするから。
ぼくの中で燻っている、亮にいと先生との関係について。
「ど、どんな人って・・・」
みんなの視線が亮にいに集まる。ぼくも促すように亮にいをじっと見つめた。
「おれ、知ってるよ?」
まるで亮にいを助けるかのように圭さんが口を開いた。
「成瀬ってばいっつもおれに惚気てるからさ〜聞かされるおれはたまんないぜいつも」
でもそれは助けにはなっていない。ただの暴露だ。
「圭さん、会ったことある?どんな人?」
いてもたってもいられなくて、ぼくは圭さんに質問した。
「成瀬によるとだなぁ、大人で優しく包み込んでくれるって感じらしいよ?なっ成瀬」
「つうことは年上かぁ、やるじゃん亮にい!」
純平がうれしそうに声を上げた。
「もうぞっこんらしいからな、成瀬は。見てるとこっちが照れるくらいだよ、いつも」
亮にいは口を一文字にギュッと結んで不愉快そうな表情。
先生は、楽しそうに目を細めて亮にいを見ていた。
先生も、亮にいもお付き合いしてる人がいるんだ・・・・・・
ふたりが何にもなくてすっきりしたはずなのに、まだなお燻り続けるぼくの心。
この焦燥感は何なんだろう・・・
自分でもわからなかった。











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