微かな想い
『悲しみの果て』
〜康介side〜


第三話







「こんばんは」
にこりと笑顔を向けられて、ドキンと胸が鳴った。
「こ、こんばんは」
「亮くん・・・いるかな?」
「いますけど・・・」
「もしかして・・・誕生パーティーの真っ最中だった・・・?」
片岡先生は、その日が亮にいの誕生日だって知っていた。
「ええ・・・」
「少し話がしたんだけど・・・いいかな?」
玄関で寒そうにコートに手を突っ込んで立ち尽くしている片岡先生に待っていてもらうと、リビングに戻って亮にいに先生の来訪を告げた。
亮にいは、とんでもなく驚いたようだった。「何だよ、せっかく楽しんでるのになぁ」って純平や陸に言いながらも、そんなそっけない態度とはうらはらに、何だかうれしそうだった。
亮にいが玄関へと消えると、純平と陸もその後をついていく。もちろんぼくも。
こんな寒いのに外で話をするつもりなのか、亮にいが先生の背中を押して、外へと連れ出そうとしているところだった。
「亮兄ちゃん、上がってもらいなよ」
ぼくは亮にいの腕をひっぱると、亮にいはぎょっと目を見開いた。
「あれ?先生、前に来たことあるよな。亮兄ちゃんと陸がケンカしたとき・・・」
「あ〜かっこいいせんせだ〜こんばんは〜」
純平と陸も片岡先生のことを覚えていたらしく、口々に挨拶をする。
ただ、亮にいだけが慌てふためいてた。
「どうぞ、先生上がってください。亮兄ちゃん、部屋でゆっくり話しなよ。後でケーキ持ってったげるから」
有無を言わせないぼくの言葉に、亮にいも観念したのか、片岡先生を自室へと通した。








「こんな夜に何の話なんだろな?」
純平のひとりごとのような問いかけに適当に相槌を打ち、やかんに火をつけた。
亮にいの誕生日だって知っていたのに、パーティーをしていたって知っていたのに、この寒い中を訪ねてきた片岡先生。
すでに自由登校で学校には行っていない亮にいと話をしたいなら、家を訪ねてきても不思議はないけれど、こんな夜に話さなければならないほど、大切な話なんだろうか。
でももうすぐ受験だし・・・急ぎの用事なのかもしれないな。
先生、相変わらずかっこいいな・・・仕立ての良さそうなコートがとてもよく似合ってて・・・・・・
思いがけず先生に会えたことがうれしかった。
初めて会った時と変わりなく、人好きのしない冷たい瞳は相変わらずだったけれど、それとは全く逆の、優しく響く声を思い出していた。
あと数ヶ月で毎日先生に会えるんだ・・・・・・
自然と笑いが漏れ、純平が不気味そうにぼくを見たから、あわててやかんの火を止めて、めったに来ないお客さんのためにと買い置きしていたドリップコーヒーを注ぎ、ケーキを切り分けお盆に載せた。
ドキドキしながら階段を上がる。お盆を持つ手にまでそれが伝わるのか、カチャカチャとカップが音をたてた。
襖をノックしようとした時、ほんの少しだけ声が聞こえた。
「―――――き合っていけないって!」
何だろ?
しばらく待ってみたけれど、何も会話が聞こえないから、ぼくはノックをして声をかけた。
「亮兄ちゃん、入っていい?」
断りを入れて襖を開けると、ベッドに腰かけた先生と椅子に腰かけた亮にいがぼくを見た。
あれ?何か空気が変わったような・・・?
ぼくが知ってる亮にいの部屋じゃないような違和感にかられた。
ぼくはケーキとコーヒーを載せたお盆を亮にいに手渡すと、意を決して先生のほうに身体を向けた。
そして、とびっきりの笑顔で先生に話しかけた。
「先生、こんばんは。ぼく、二番目の康介です。4月から明倫館に入学するんです」
そう、ぼく頑張ったんです!先生と一緒に三年間過ごすために!
「お兄さんから聞いてるよ?よろしくな」
先生は、そのきれいな顔を崩さない程度ににこりと笑って、この前のようにぼくの頭を優しく撫でてくれた。
もう天にも舞い上がりそうな気持ちだった。
ふれられた脳天から足のつま先まで、真っ赤なんじゃないかってくらい、身体がかーっと熱い。
バクバクと胸の奥で悲鳴を上げる心音が、聞こえてしまうんじゃないかって気が気でなかった。
早く手をのけて欲しいと思う反面、ずっとふれられていたい・・・
この手が肌にふれたら、どんな心地なんだろう・・・
さわさわと髪を撫でる音が、聞こえるはずもないのに耳をくすぐって、さらに気持ちを高ぶらせた。
視線を感じ、そちらに目をやると、とても怖い目をした亮にいと視線が合った。それはほんの一瞬で、見間違いだったかのようにいつもの亮にいに戻ったんだけれど。
「じゃあ、先生、ごゆっくり」
ぼくは最後ににこっと笑顔を残して部屋を出た。
「かわいいねぇ〜素直そうだし」
襖の向こうから、いつもより声高い先生の声が聞こえて、ぼくは溢れそうな想いを胸に抱え、階下へと降りた。
どうして先生が訪ねてきたのかとか、いつもとは違う部屋の空気だとか、そんなものは全部忘れていた。
先生に会えた、先生にふれてもらった、そのことで頭がいっぱいだった。
先生は帰るときに「三年間よろしくな」って右手を差し出した。
おそるおそる先生の手にふれたぼくの右手をギュッと握ってブンブン振った先生の手は、大きくて温かかった。
重ねた掌から電流が走ったようにビリビリ痺れて・・・ぼくは悟った。
ぼくは・・・片岡先生が好きなんだ・・・・・・
ぼくもオトコで思春期だし、恋愛に興味がないわけではなかったけれど、こんな気持ちになったのは初めてだった。
だれかにふれられたいだなんて・・・考えたこともなかったのに・・・・・・
その相手がオトコの先生であっても、ぼくには何の戸惑いもなかった。
それくらい迷うことなく、ぼくは片岡先生のことを好きになっていた。
きっと、初めて会った時から・・・ずっとずっと好きだったんだ。
憧れなんかじゃなく、恋愛の対象として・・・好きだったんだ。
でも・・・
ぼくは先生をどうこうなろうなんて思わなかったし、先生にぼくの気持ちを知られたくなんかなかった。
ぼくは先生のことが好きでも・・・先生は気持ち悪いかもしれない。ううん、絶対気持ち悪いに違いない。
ほんの少し優しくしてくれればいい。
ほんの少し気にかけてくれればいい。
そう・・・歳の離れた弟みたいに思ってくれればいい。
それだけで・・・ぼくは満足だった。
満足だったはずなのに・・・・・・










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