世界でいちばん





その8







「おまえ、今から出られる?」
しばらくして、片岡が口を開いた。
頷くと「準備してこい。車で待ってるから」と笑みを浮かべた。

おれは、弟たちの部屋にプレゼントを置いて、戸締りをして、もちろん片岡へのプレゼントを持って家を出た。
いつもの公園の脇に、見慣れた黒のビートルが停まっている。
おれが乗り込むと、片岡は車を発進させた。





「―――どこ行くの・・・?」
「おれのマンション」
「なんだ!いつも一緒じゃねえかよ!」
「ホテルでもマンションでもヤルことは同じだろ?」
「そうだけど・・・・ん?あんた、そんなことばっか考えてるのか?エロオヤジ!」
「もうその言葉は聞き飽きたね。エロオヤジで結構!ここ数日分すっかりたまってるからな!今夜は覚悟してもらうぞ?」
「スケベオヤジ!そのうち捕まるぞ?」
「合意の上だろうが!おまえも共犯だ!」
片岡がちらりとおれに視線を送ってきた。
「やっとおまえらしくなった・・・」
微かに笑って運転に集中し始めた片岡の隣りで、おれはさっき泣いてしまったことを思い出し、照れくさくってずっと窓の外を眺めていた。





すっかり見慣れたリビングに入ってびっくりした。
生木のクリスマスツリーが目に入ったから!
片岡らしくこってりした飾りつけはされておらず、チカチカとライトだけが、煌いていた。

「おどろくのはまだ早いぞ?」
コートを寝室に置いて戻ってきた片岡は、似合わないエプロンをつけていた。
「あんた、何してんの?」
呆然とするおれを、ダイニングのテーブルに座らせる。
テーブルの上には、きれいに磨かれ透明に輝くワイングラスや、銀製の高そうなカトラリーが並べられていた。

「すぐ準備するからな、待ってろ」
そう言うと、キッチンに消えていった。



まさか・・・まさかあいつが料理を・・・・・・?



キッチンを覗きたいが恐くて覗けない。
食べられるものが出てくるのだろうか・・・心配だ。

何しろ、付き合い始めて数ヶ月、おれは調理用具を持った片岡を見たことがない。
冷蔵庫にはアルコールとつまみしか入っていないし、食パンの一枚もない。
パンも焼けないのでは・・・と思ったことも一度や二度ではない。

そんな片岡が・・・料理・・・?
しかもなんだかたいそうなものが出てきそうだ。




「お待たせ〜」
おれの不安をよそに、片岡が運んできたのは、なかなかうまそうなものばかりだった。
身体があったまりそうなミートローフ、さっぱりしそうなかぶとスモークサーモンのサラダ、カリカリに焼かれたフランスパンにチーズやらトマトやらが載せられたオードブル、あさりの白ワイン蒸し、そしてケーキのように飾りつけられたちらし寿司。
「これ・・・あんたが準備したの・・・?」
目をまんまるにして、口をあんぐり開けて、おれは片岡に問いかけた。
「他に誰が用意するんだ?おれに決まってるだろ?」
「けど、あんた・・・何もできないって・・・・・・」
片岡はエプロンを脇の椅子にかけて、席についた。
「やればできるの!おれにできないことはないんだ!」
「でも大変だったろ?こんなに用意するの」
できると言ったって、初めて料理するものには、かなりの時間を要したに違いない。
「だから、おれ言ったろ?用事があるって」
「あっ!」
おれが声を上げると、片岡はおかしそうにくくっと笑いを漏らした。
「あれは、昼間は用事があるってことだったのに、おまえ、最後まで何も聞かずに、弟たちと過ごすからって。弟を出されちゃおれは引くしかないだろうが・・・」
ごめん・・・・・・」

素直に謝罪の言葉が飛び出したのは、事情がわかって安心したせいだろうか。
「でもっ!」
片岡は、トーンの下がった場を盛り上げるかのように、明るい声を張り上げた。
「おれは、諦めが悪いから、料理作っちまった!おまけに、弟さんから大事な兄貴を奪いに行くところだったんだぜ?」
おれが顔を上げると、片岡は真面目な顔でおれをじっと見つめた。
「悪かったな・・・淋しい思いさせて・・・・・・」
「違うっ―――」
おれが勝手にあれこれ想像して、勝手に傷ついてただけなんだ!
そう言いたかったのに、片岡はおれに最後まで言わさなかった。
「はいっ、もう終わり!もういいだろ?おまえ、こうして来てくれたんだから・・・早く食ってくれ!」
片岡は、小皿に寿司を取り分けてくれた。
いくらやらまぐろやら穴子やらの魚介類と、アボカドやきゅうりの野菜、タマゴやしいたけなど、色とりどりのトッピングがすし飯を覆っている。
「うん。うまいっ!酢の加減もバッチリ!」
「だろ?ほら、たっくさん食えよ!おれって料理の才能あるのかもな〜」
昼から何も食べてなかったおれは、とにかく食べまくった。
どれもこれも、おいしくておいしくて、どんどん胃の中におさまっていく。

食事をしながら、会えなかった数日間の出来事を交換しあう。
時折、見つめられる視線を感じるたびに、好きになり始めたころのように、鼓動が早くなった。

赤ワインが苦手なおれのために、飲みやすいロゼをグラスに注いでくれる。
ワインクーラーで冷やされていた液体が、暖房と温かい料理のために火照ったのどを潤してくれた。





「もうおなかいっぱい!」
おなかをさすって、ふぅ〜っと大きく息を吐いたおれに、片岡は満足そうだった。
「じゃあ、片付けするから、リビングで休憩しとけよ」
すくっと立ち上がり、皿を重ね始めた片岡の手伝いをしようと立ち上がると、ふぁ〜っと浮遊感が襲ってきた。
「あれ・・・?」
立ち上がったはずなのに、椅子に座っている。
「なんだ?おまえ、酔ったのか?」
「酔ったって・・・ロゼしか飲んでない・・・・・・」
「空腹時にアルコールはいけないんだ。ほら、立て」
片岡に支えられて、リビングのソファに移動すると、突然眠気が襲ってきた。
「ゆっくりしとけ・・・」
片岡の後ろ姿を見送る間もなく、瞼が重くなってきた・・・・・・






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