無口な空の下






<4>








「おれ・・・」
意味なくストローでグラスをかき回すと、カラカラと氷が小気味良い音をたてる。
そんな小気味良さとは正反対に、おれの心はザワザワと揺れていた。
グラスを取り上げると一口含んでコースターの上に戻し、膝の上で手を組んでそこに視線を落とした。
濡れた指先が、皮膚を伝って身体をひんやりさせるような感覚に陥る。
片岡を・・・まだ好きなのか?
実はそんなこと考えたことがなかったのだ。
もとからおれは片岡のことを無理に忘れようとは思っていなかった。
おれからしてみれば嫌いになったからああいう結果を招いたわけじゃない。
本当に好きだったから、真剣だったからこそ出した答えだ。
それに片岡のために身を引くとかそういう簡単な考えじゃなかった。
片岡が本当は何をやりたいのか、それを実現するには家に戻ったほうがいいと確信したからというのも理由のひとつではあるが、決定づけたのはそれではない。
片岡の中におれより大事なものが現れて、おれの居場所がなくなったことを察知してしまったから。
だからおれは先手を打っただけだ。
簡単に言えば、フラれて傷つくのがイヤだから、自分からピリオドを打ったのだ。
たとえ傷ついても最小限に抑えたかったのだ。
どうやらそれは成功したようで、大学のために家族で唯一あの街に残ることになった康介と、生まれて初めての兄弟ゲンカをしても、おれの意志は変わらなかったし笑っていられた。
こっちでの生活が始まり、節々に思い出すことはあったけれどつらくはなく、思い出に直結する何かを見てハッとさせられても、次の瞬間には懐かしさにかわった。
アルバムを開いて遠い昔を懐かしむ、そんな感じだ。
そして、心のアルバムを開く回数は、数時間ごとから、一年経った今では数日ごとにまで減ってきていた。
片岡と過ごしていた頃、おれはあの優しく大きな手を離すことができるだろうか、そんなことになったら生きていけないかもしれないとか、辛くてたまらないだろうとか、思い悩んでは胸が張り裂けそうになっていたのに、なんのことはない、いざなってみてもたいしたことじゃなかった。
おそらくおれは、片岡のために身を引くという少女マンガの悲劇のヒロイン的思考ばかりを抱いて、そんなおセンチな感情に陥っていたのだろう。
それがフタを開けてみれば、フラれたときたもんだ。
くよくよしたってどうしようもないではないか。お笑い種もいいところだ。
生来おれはプラス思考の持ち主なのだ。
それが、初めての恋愛で、それがかなりディープな恋愛で、いつの間にかそれを守ることに躍起になって、本来の自分の姿を見失っていたのかもしれない。
そんなおれだから、いつまでも過去を引きずっていたくはないし、縛られたくもないと思っている。
改めて、まだ片岡を好きなのかといわれたら・・・嫌いじゃないと答えるだろう。
嫌える要素がないのだから。
じゃあ、好きなんじゃないかと言われれば、それも違う気がするのだ。
「おれ、あの人のこと今でも好きだと思う」
おれは、高杉の目を見てはっきり言った。
真っ直ぐ気持ちをぶつけてきてくれる人にはこっちも真っ直ぐ気持ちを返さないといけない。
それはこの一年フリースクールで働いて、生徒たちに教えられたことだ。
高杉の綺麗な瞳が少し歪んだのが見てとれ、慌てて続けた。
「でもね、それと、恋愛感情が湧かないってのは全く別なんです。おれ、もともとそういう感情には乏しいというか、あんまり欲求とかもないほうだし、高杉さんも知ってるとおり、おれ、あの人しか知らないし。だから、高杉さんがダメとかじゃなくて・・・うまく説明できないんですけど」
おれは誠心誠意を込めて、感情を整理しながら言葉にした。
「じゃあさ、おれがオトコであることには問題ない。それは確か?」
しばらく考え込んで、念押しのように再び高杉が口を開く。
「あ・・・」
それは・・・どうなんだろう。
同性である片岡と恋愛関係を結んでいたのだから、おそらくオトコだって大丈夫・・・なんだろう・・・いや、本当に大丈夫なのか?
片岡と付き合うまでは女の子を見て普通にカワイイと思っていたと同時に付き合うことは面倒くさいとも思っていた。
おれと二ノ宮は結構目立っていて、近くの女子高の女の子から告白されたこともあったけれど、誰とも付き合ったことがなかったし、付き合いたいとも思わなかった。
もちろん、オトコにも興味なかった。
片岡だけが、全てにおいておれにとって特別だったのだ。
だから、おれはゲイではない、たまたま好きになったのが同性だっただけなんだと、そう思っていた。
しかし・・・
目の前でおれの答えを待っている高杉。
切れ長の二重の目は大きくもなく小さくもなく、少し黒目がちでとても印象深い。
肌だってこれがオトコかとびっくりするほど綺麗でシミひとつない。
特に唇はリップでも塗っているのかと思うほどに艶があるピンク色だ。
この人と付き合う・・・か・・・・・・
改めて反芻してみても、少しも嫌悪感がなかった。






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