無口な空の下






<10>








「じゃあ、おれはどうすればよかったっていうんですか?」
胸の奥に沈殿していたすっかりドロドロになってしまった気持ちが溢れるのを止められない。
もう大丈夫だと思っていた。
思い出すことなんて稀で、過去にこだわらず今を楽しめていると思っていた。
高杉のことを好きになれると、キスだってセックスだって気持ちよくできると思っていた。
人を愛することで満たされていた濃密な時間を、また掴むことができると思っていた。
それなのに、片岡と過ごしたこの街を訪れてからおかしくなってしまった。
フラフラした気持ちで高杉を受け入れ、傷つけ、わかったことは、おれがいちばん認めたくなくて避けていたことだった。
まだ、片岡に思いをのこしているということ。
「優梨子さんの次でもいいから、2番目でもいいから、そばに居たいって、そういえばよかったって言うんですか?そんなの片岡にとっては迷惑なだけで、おれにとっても虚しいだけじゃないですか!それでなくてもおれといたって何のメリットもない、やりたいこともできずに平凡な毎日を送って・・・・・・」
逆ギレなんてみっともないとわかっているのに、おれは自分を止められたかった。
一気にまくし立てるおれを、高杉が冷静に見つめていた。
「きみは身を引いたっていうのか?」
「身を引くとか引かないとかそんな問題じゃない。あいつの家はおれんところと違って古い家だし、俊哉さんが亡くなったとなればあいつが後継者となるのは必然的なことだし。だけど、もしあいつが家なんて継がないって、おれのところに戻ってきたなら、おれは・・・おれは別れるつもりはなかった。あいつの家は古い家で、おれなんかとは育ってきた環境も、立場も違うのは痛感していたし、それなりに覚悟をしていたけれど、あいつが自分の意思で家と決別しおれを選んでくれるのなら、おれはその手を離すつもりなんてなかったんだ」
事故の知らせを聞いた夜から、ひとりで広いマンションであいつを待ち続けた。不安にかられながらも、あいつの帰りを指折り数えながらひたすら待った。このまま帰ってこないほうが片岡のためにはいいとわかっているのに、それでも帰ってきてくれるのではと期待せずにはいられなかった。
それだけ愛されているという自負もあった。
「だけどね、高杉さん」
あえて高杉の名前を口にしたけれど、すべては自分に言い聞かせるためだ。
「片岡が選んだのは、おれでも、ましてや家でもなかった。優梨子という、かつて自分が大好きだった幼なじみの女性だったんだ。笑っちゃいますよね?おれは笑いましたよ。あまりにドラマチックな幕切れで」
どうしても露悪的になってしまいがちのおれに、高杉は優しい視線を投げかけてくれる。
それは、いつもおれを救ってくれる、おれがいつも頼りにしてしまう高杉の優しさの象徴だ。
「片岡もきっとシマッタって思ったでしょう。だって本当なら優梨子さんは義姉のまま一生を終えるはすだった。片岡には絶対に手に入れることのない存在だった。だから、おれのことを、同性のおれに愛してるだの一生一緒だだの言えたんだろうし。もちろんその言葉に嘘はなかったろうし、実際おれのことを大事にしてくれてた。でもひょんなことから優梨子さんと一緒に暮らせることになった。きっとおれのこと、困ったと思うんです。なのに情を移した人間に対しては優しい人だから、おれに何も言えない。『出て行け』ってひとこと言ってくれれば、おれだってバカじゃないしごねたりしないのに・・・だからおれが先手を打ってこっちに来た・・・・・・」
「亮くん・・・」
「おれ、高杉さんにきちんと謝らないと」
おれは土下座する勢いで頭をさげた。
「謝っても高杉さんに不快な思いをさせた事実は消えないけれど・・・ごめんなさい」
「亮くんやめてくれ」
「片岡が優梨子さんのことを忘れないでいたことにおれはダメージを受けておきながら、おれも同じことを高杉さんにしようとしてたんですよね。片岡のこと忘れてなんていないのに、高杉さんと付き合おうなんて。おれって恋愛を舐めきってますよね。ほんと・・・おれって最低」
いろんなことぶちまけたら高杉に申し訳ない思いがどんどん膨らんできて、おれは慌ててひたすら高杉に頭を下げた。
「亮くん」
呼ばれて顔をあげると、神妙な顔つきの高杉がおれを見つめていた。
「おれはね、無理に忘れることなんてないと思う」
「どうして・・・?」
「おれはね、片岡さんのことを好きだったきみも含めて、出会ってから5年ずっときみが好きだから」
この人は、傷つけられてもまだおれを好きでいてくれるというのだろうか。
「ただね、きみの中で片岡さんとのことが終わってないんだと思う。だって、片岡さんにはっきり別れを告げられたわけじゃないんだろう?」
「そ、それは・・・」
そのとおりなのだ。
おれは先手を打って片岡から逃げ出した。
はっきり片岡の口から最後の言葉を告げられる前に、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
「無理やり思い出にしてしまうのはやめてしっかり現実を受け止めなきゃ、おれが相手というだけでなく、これから誰とも恋愛ができなくなってしまう。きみは誰ともそういう気になれないと言うけれど、それじゃあこれからの長い人生寂しいばかりじゃないか。そうだろ?」
「それはそうだけど・・・」
「きみは片岡さんとの恋愛中、楽しかっただろ?幸せだっただろ?」
楽しかった?幸せだった?
そう、片岡との時間は至福のときだった。
だからもう一度あんな時間が持てたらいいと、そしてその相手が高杉ならきっと大丈夫だと思ったから、おれは高杉の提案を受け入れたのだ。
「恋愛は義務じゃないしするもしないも自由だ。でもね、おれは思うんだ。恋愛至上主義じゃあないけど、どうせなら楽しいほうがいいじゃないか。人生のオプションだと思えばいい。そのためだけじゃなくて、これからのきみの人生を考えても、きちんと心のケジメをつけたほうがいいよ」
そういうと、高杉が今度は頭を下げる。
「な、何ですか、高杉さん」
「焦って悪かった。試しに一ヶ月付き合うっていう提案も、今日の行動も、全部おれのひとりよがりな考えが原因だ。混乱させて悪かった。許してくれ亮くん」
逆に謝られ恐縮するおれに、高杉は懲りずに言った。
ゆっくりでいいから、おれのことを考えてみてくれと。いつまでも待つからと・・・・・・
結局その日は、予定通り高杉の家に泊めてもらった。
彼のスゴイところは、あんなことがあったばかりなのに、全然普通におれに接してくれるところだ。
追い出されても仕方ないくらいの、いや、もう絶交だと言われてもいいくらいの仕打ちを高杉にしたのに、全く何もなかったように、ひとりの友人に戻っておれに接してくれた。
そして、おれはやっぱりそういう高杉に甘えている。
高杉の眠るベッドの隣りの布団の中で、おれは考えていた。
どうすればいいのだろう。
どうすれば片岡を完全に諦めることができるのだろう。
それとも、おれは一生、片岡という人物に縛られて生きていかなければならないのだろうか。
おれは、一年経っても全く前に進めていないことに気付き、そんな自分の不甲斐なさに腹が立ってどうしようもなかった。
ガサガサと高杉が寝返りをうつ。
彼もなかなか眠れないらしい。
おれは隣りにいる高杉と、遠く懐かしい街にいる片岡への気持ちを持て余しながら、眠れない夜を過ごした。







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