無口な空の下






<11>








暦どおりにゴールデンウィークを休んで過ごすおれとは違い、多忙を極める高杉は翌日も仕事である。
高杉もなかなか眠れなかったのだろう、ふたりして半開きの赤い目をこすりながら支度を整えると、駅近くのカフェで朝食をとることにした。
さすがに連休とあって朝から賑わいを見せる界隈をオープンテラスから眺めながら、チーズとサーモンのベーグルサンドを頬張る。
まだ少し肌寒いけれど朝の光と風は心地よく、湯気のたつカフェオレをおいしく味わう。
向かいに座る高杉は無言のまま、ただひたすらに口を動かしていた。
昨日はあんなことがあったにも関わらず、最後には平然とした態度で接してくれた高杉に甘えて、おれも話を蒸し返すことはしなかったが、それじゃああまりにも自分の態度が理不尽に思えてくる。
おれを好きだという高杉に応えることができなかったことに加えて、ひどい仕打ちを浴びせてしまった。
高杉はそんなおれを許すどころか自分の早急な態度を詫び、これからも今まで同様に付き合っていこうと言ってくれた。
だけど、それは高杉にとって辛いことなんじゃないだろうか。
「高杉さん」
呼びかけると、高杉は寝不足丸出しの赤い目をおれに向けた。
「昨日のことだけど・・・・・・」
「それはもう言わない約束だろ?」
「でも、それじゃあんまりじゃないですか。高杉さんに迷惑ばかりかかって何のメリットもない」
「そんなことないさ」
高杉はあっけらかんと答える。
「想いが通じ合うことはこの上ない幸せだけど、おれはこうやってきみと一緒に食事をするだけでも楽しいし。あ、きみがイヤなら仕方ないけど」
「そんなことはないです」
「じゃあ今まで通りにしてくれれば嬉しい。どうぜおれは5年も待ってるんだ。別に苦にはならない。もう焦らないし。かといってきみを縛るつもりは全くないし誰とでも恋愛してくれていい・・・って今さらだな」
そう言って笑う高杉は、やっぱりかっこよかった。
この人は、人間としての器が大きすぎる。
きっとおれが考えている以上に素晴らしい人なのだ。
おれは、そんな高杉に好意を持たれたことを誇りに思った。
「おれ、今度はきちんと考えてみます。片岡のことも高杉さんのことも。だから、もう少し待ってくれたら嬉しいです」
そう言って高杉を見ると、高杉の視線はおれではなく、通りの向こうのタクシー乗り場に向けられていた。
つられるように視線をそちらへと向けると・・・・・・
そこにはとても仲良さそうにタクシーを待つカップル・・・いや家族連れがいた。
遠目からでも美人だとうかがえる母親の胸に抱かれている赤ん坊を覗きこんで微笑んでいるのは・・・・・・
「り、亮くん・・・」
高杉に呼ばれた気がしたけれど、それも定かではない。
耳の奥がキーンとして凝りついてしまったように身動きもできなかった。
どうしてこんなところにあいつがいるんだろう。
ああそうか、そういえば多恵子さんがこっちに来るっていってたもんな。
それにあの別荘、あいつのモンだし、家族連れてくるのは当たり前・・・
・・・家族・・・?
そうか、あいつはもう自分の家族を持ったんだ・・・・・・
「亮くんっ、亮くんって!」
腕を掴まれて身体を揺すられてハッと現実に帰ると、とんでもなく悲壮な表情の高杉が目に入った。
別にこの人が悲しむことじゃないのにって思ったら、少し可笑しくなった。
「あれって片岡ですよね?」
見間違うはずなんてないから確信しているけれど、あえて高杉に問いかけてみればやはり返事はない。
「あれ、優梨子さんなんですよ?すんごい綺麗でしょ?おれも初めて見たときびっくりでしたよ。あいつ、面食いだったんだって・・・でも全然違和感ないんですよね。それってやっぱり小さい頃から一緒にいるからなんですかね。気心知れてるっていうか・・・・・・」
落ち着こうとカフェオレのカップに手を伸ばしかけやめた。
震える手では上手く持てそうにないから。
おれは膝の上で両手を握りしめ、ゆっくり呼吸を整える。
「優梨子さんって・・・片岡さんのことを亡くなったご主人だと思ってるんだったよね?その記億障害っていつかは治るんだろ?それなら―――」
「高杉さん、おれ思うんですけど、きっと片岡にとって優梨子さんの記億障害なんてどうってことないことなんですよ。あいつは優梨子さんのことをずっと大切に思っていたんだから。でもさ、あまりに手ぇ早くない?パパだよパパ!ちゃんとヤるときはゴムつけないと・・・ってそんなことしなくてもいいんだっけ」
いやになるくらい饒舌だ。しかも下ネタ。
盛り上げる気もないのにペラペラと言葉が口をつく。
もう一度確認するように外に目を向けると、ちょうど彼らがタクシーに乗り込むところだった。
平蔵さんと多恵子さんの熱烈な歓迎振りが頭に浮かんだ。
「無理に笑うなよ・・・」
「おれ、別に無理なんか―――」
「してる!どんなに平気な顔してもおれにはわかるって言ったろ?だから・・・おれの前では無理するな」
こんな時に優しい言葉かけられたら、踏ん張っている気持ちが崩れてしまいそうになる。
でもおれは思うのだ。
この人にだけは甘えてはいけないんじゃないかって。
きっと高杉はこれまでのように親身になっておれを励まし勇気づけてくれるだろう。
でも、おれの高杉への気持ちが確たるものにならない限り、縋ってはいけないのだ。
おれの片岡へのやり場のない気持ちを、高杉に受けとめてもらうことは決して許されることではないのだ。
それは真摯な心でおれを見つめてくれる高杉を侮辱することになる。
そして、おれは昨日のように高杉を傷つけてしまう。
「高杉さん。悪いけど、しばらくひとりにしてくれませんか?」
しばらくの沈黙の後、高杉はおもむろに立ち上がった。
「じゃあ、おれの方からも連絡とらないようにするから。焦らずにゆっくり気持ちを整理して、また会ってくれるなら連絡くれるかな?」
おれが頷くと、高杉はおれの頭にポンと優しくふれた。
「必ず連絡しますから・・・」
心配そうな笑顔を残して高杉が店を出てゆくのを引き止めたい衝動にかられながら見送った。
これで、正真正銘のひとりぼっちだ。
もうだれも助けはくれない。
爽やかに感じていた風がとても不快で、おれは高杉の後を追うように店を出た。
一刻も早くこの街から去ってしまいたかった。
ハイソな避暑地で連休を過ごそうとする楽しそうな観光客の間をすり抜けるように駅へと急いだ。
バッグの中では、片岡の大好きだった山ももジャムが揺れていた。



おわり





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