beloved




第ニ話

「まっ、あいつも30だし、そういう話がきても不思議じゃないよな」
なんでもないことのように話を流すと、二ノ宮は苦虫を潰したような顔をした。
おれたちも気をつけてはいるのだが、奇跡的におれたちの関係がバレるに至っていない。
金持ちが訳ありで所有している部屋が多いらしく、マンションは驚くほどプライベートが守られる環境にあった。ありがちな自治会もなかったし、それこそご近所づきあいも全くない。未だに隣りの部屋に誰がすんでいるのかも知らない有様だ。

同居を知っているのは、おれの家族と二ノ宮くらいのものだった。








見合い・・・か・・・・・・








あいつにそんな話がでても全くおかしくない。
むしろ今までこれっぽっちも出なかったことが不思議なくらいだ。

たとえ次男で家とはほとんど絶縁状態だとしても、家の方では放ってはおけないのだろう。
「ほんと、勝手に片岡の家で話が出てるだけだと思うし。それに峻はあの家になんの未練も残しちゃいないから、関係ないって!気にすんな!」
口を滑らせたことを悔やんでいるのだろう、わざと明るい口調でおれを慰めてくれるから、おれも「気にしちゃいないって」と笑って返事をした。
それからは、就活の話など、不安や悩みなどを語り合い、二度と見合い話が出ることはなかった。
結局、見合いの話はどうなったのかわからないが、片岡がおれにそれについて話をすることもなければ、隠れて見合いをした形跡もなかった。
何のかわりなく、毎日が過ぎてゆく。
片岡は学校に通い、おれは大学に通い、休日は家でゴロゴロしたり、時には遠出をしたり、キスをしてセックスをして、波風のひとつもたたずに時間だけが流れて行った。
それでもそんな毎日が楽しくて、飽きることなんてこれっぽっちもなくて、幸せってこういうことを言うのかなんて漠然と考えたりしていた。
一年のころから地道に勉強をしていた甲斐があって、採用試験の合格通知を受け取ったのは、すでに紅葉が色付き始めた頃だった。
昼休みを見計らって合格した旨をメールで知らせると、早く帰るからお祝いをしようという返事が帰ってきた。
丁度バイトも休みだったおれは、自分のお祝いのためにごちそうを作るのもおかしな話だと思いながらも、そそくさと買出しに出かけ、片岡の好きなものをチョイスして料理に取り掛かった。
リビングの座りなれたソファで、送られてきた書類を改めて確認してみる。
これで、四月からは曲りなりとも教育者の立場となるのだ。とても不思議な気分だった。
公立高校に配属されるのだから、自分で生徒を選ぶことはできない。男子校なのか女子高なのか、はたまた進学校なのかそうでないのか。明倫館高校は、私立で一定の水準の選ばれた生徒ばかりだったから、在校中も教育実習中も何の問題もなく過ごせたけれど、これからはそうはいかないであろう。この街が、ある程度の教育水準を保っていて、荒れたウワサを聞かないのが唯一の救いだ。
便宜を図ってくれた明倫館の教頭先生には悪いけれど、採用試験に受かったということは、そちらが進むべき道だったのだろう。
明日にでも合格の報告を入れようと考えていると、玄関のチャイムが鳴った。
いつもの帰宅より早い時間だが、おれのお祝いのために仕事を切り上げて帰ってきてくれたのかもと考えると、何だかくすぐったい気分になりながらも、玄関の鍵を外した。
「おかえりぃ、早かった―――」
ドアの前に立っていたオトコに驚いて、おれは固まった。
最初に目に入ったのは、キレイに磨かれた上等そうな革靴。
そしてぴっちりプレスのかかったスラックスに仕立ての良いダークグレイのスーツ。
ネクタイは、この間雑誌で見てクリスマスプレゼントにいいなって思っていたゼニアの新作だ。
今朝見たのとは明らかに違う服装の上に乗っているのは、見慣れた顔。

「きみが、成瀬亮くんだね」
おれが大好きなよく響くバリトンだけど、そこには優しさなんてこれっぽっちも感じなかった。
ノンフレームのメガネの奥から値踏みするように見据えられると、圧倒されて声も出ず、おれはゆっくり頷いた。
誰と聞くまでもない。全く同じ顔なのだ。
片岡の・・・双子の兄さんに間違いない。

「峻哉はいるのか?」
「い、いえ・・・まだ帰ってません」
「そうか・・・まあいい。とりあえず上がらせてもらおう」
有無を言わさない高圧的な態度に、どうしてだか短気なおれは腹が立たなかった。
一緒に暮らして4年半。
片岡の身内がここを訪ねてきたことは一度もなかった。
もとより、電話の一本もかけてきたこともない。
おれが知らないだけかもしれないけど。

「ここの家には客用のスリッパもないのかい?」
咎めるような言葉に、おれは慌ててスリッパを彼の前に差し出した。
バクバクと心臓の高鳴りだけが、おれを支配していた。




                                                                    









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