beloved




第六話





ローテーブルの上に散乱する空き缶が目に入り、部屋に篭っているアルコールの匂いを追い出そうとリビングの大きな窓を開け放つと、真冬の冷たい空気が大量に押し寄せてきて、一気に部屋の温度を奪ってゆく。
これなら外に出ても同じことだと、ベランダからテラスに移動し、ベンチに腰掛けると夜空を仰いだ。
ここに越してきてすぐのことだった。
ベトナムから取り寄せたらしい天然木のガーデンファニチャーは、客を招いてのちょっとしたもてなしにはぴったりだけれど、ゆっくりくつろげないからとふたりでガーデンベンチを探し歩いた。
なかなか気に入ったものが見つからなくて、それなら自分たちで作ればいいと、ホームセンターで木材や塗料を買い込み製作し始めると、金槌すら上手く扱えない片岡にイライラしながらも過ごす休日はとても楽しかった。
偉そうな口を利きながらも、寸法間違いで予定より小さい仕上がりになりそうだとわかり落ち込んだおれを片岡は、小さい方がくっつけるからいいじゃないか、もしかして最初からそれを狙っていたんじゃないかと揶揄い笑ってくれた。
そういえば、この色もあいつが決めたんだっけな・・・
アンティーク調にしようとチョコレート色の塗料を用意していたのに、突然緑色がいいと言い出し、数種類のペンキを混ぜ合わせ、器用に色を作り出した。
少しくすんだ緑はオリーブグリーン色と言うらしく、どうやら朝のテレビの占いでラッキーカラーだったらしい。
ラッキーカラーってそれはあんたの星座だけだろうと文句を言うと、おまえの血液型のラッキーカラーも緑だったと言い返された。
教師で大人な顔しか見たことのなかったおれは、そのムキになった表情がかわいく思えてくすぐったい気持ちになったのを覚えている。
そしてもっともっといろんな顔を見たい、こいつのことをもっともっと知りたいと、一緒に暮らしてゆくことの意味を初めて実感したのだ。
そんなことを思い出しながら背もたれに身を預けると、ミシリと木の軋む音が静かな夜にはとても大きく聞こえた。
父親を亡くしてから、あくせくする毎日にゆっくり空を見上げることなんてなく、ただひたすら前に進むことばかり考えていたおれに、たまにはゆっくり空を見上げてみろと、よくこのテラスに誘ってくれた。
冬の空は星が綺麗に見えるんだと教えてくれたのもあいつだ。
冬の星座には一等星が多いからというのが理由らしいが、夏よりも高い空に瞬く星は本当に美しかった。
小学生の時に習ったオリオン座を見つけた時は嬉しくて、東の空から南の天空を渡り西へと消えてゆくその姿を、寒さを忘れて追っていた。
星って移動するんだなって言ったら、地球が自転してるんだろって突っ込まれたっけ・・・・・・
見上げるとちょうど頭上にオリオン座。
ふたつの一等星、ベテルギウスはオレンジの光を、リゲルは青白い光を放ち、漆黒の夜空を彩っている。
おれは赤い輝きのベテルギウスが好きだったけれど、片岡は対象的に白いリゲルを好んでいた。
ブランケットに包まって肩を寄せ合っていると冷たい空気も気にならなくて、ベンチが小さくてよかったなって笑いあった。
ひとりでいることはとても淋しいことだと、その時は考えもしなかった。
こんな日がくるんじゃないかと、あの時軽井沢で覚悟を決めたはずだったのに、甘い生活はそんな決意さえも心の奥へと追いやり、もしかしてずっと一緒にいれるんじゃないかと、そんな錯覚をおれに植えつけたのだ。
もし、片岡の兄・俊哉が死ななければ、こんなことにならなかったのだろうか。
もし、彼らが双子として生を受けず、似ても似つかない兄弟だったのなら、こんなことにならなかったのだろうか。
たとえ永遠ではなくとも、もう少し長い間、一緒に時を刻むことが出来たのではないだろうか。
それ以前に、優梨子が正気に戻れば、またこれまでの生活に戻れるんじゃないだろうか。
おれがひとりでここにいるのはどうしてなんだ?
どうしてこんな思いをしなくちゃならないんだ?
一体誰が悪いのか。
死んでしまった俊哉?
死を受け入れずに現実から逃げている優梨子?
それを否定せずそばにいる片岡?
いや、そうじゃない。誰のせいでもない。
誰が正しいでも間違っているでもないのだ。
二ノ宮からその話を聞いた瞬間はなんて酷い話だと思った。
そんな馬鹿げた理由だったのかと・・・・・・
そんな猿芝居を、大の大人がよってたかって演じているなんて、あまりにナンセンスだ。
だけど、そんな気持ちはほんの一瞬で消えた。
おれも親父を亡くしているから、理屈じゃ心の痛みが消えないことも、信じたくはない気持ちもわかる。
それに・・・・・・
片岡が優梨子を放っておけないのは当たり前だ。
小さい頃から、片岡の愛に飢えた心を癒していたのは優梨子だと俊哉が言っていた。
あいつの心は優梨子によって数え切れないほど救われたに違いない。
敬愛していた叔父が亡くなったとき、生きていく気力を失くして後を追いかねなかった片岡の心をこちら側へと引き寄せたのも優梨子だ。
片岡がどうしようもなく心を打ちのめされた時、優しい手を差し伸べたのが優梨子なのだ。
片岡は当然のごとく優梨子に恋心を抱いた。
しかし優梨子が選んだのは兄の俊哉だった。
片岡の悲しみは計り切れないほど深かったに違いない。
それ以来、何に対しても本気になれなくなるくらいに・・・
それは、片岡には優梨子以上に本気になれるものがないということだ。
そして今、優梨子が最愛の夫・俊哉を亡くして苦しんでいる。
それほど好きだった人に望まれて頼られて、それを見捨てるなんてできるわけがない。
人の痛みのわかる、そんな片岡だから、性別の枠を越えておれは好きになったのだ。
同性であることを承知で片岡を好きになったのも、一緒に暮らすことを選んだのも、いつか訪れるであろう別れを覚悟しながらもどっぷり甘い生活に浸かり慣れてしまったのも、片岡は実家に戻ったほうがいいと結論を出しながらも暖かな手を離せなかったのも、そしてもう片岡は戻ってこないと納得しながらもここに居続けるのも、全ておれ自身の判断でおれ自身の責任なのだ。
そのくせ、誰が悪いのかなんて責任転嫁を図った自分に吐き気がした。
プラス思考の人間だったはずなのに、いつからネガティブな人間になってしまったのだろう。
昔のおれはいつだって前向きで・・・・・・・
そうだ。
いつだって自分の意思で、自分の考えで、誰に頼ることなく、ただ前を向いて歩いてきた。
片岡がおれにくれたたくさんの言葉にウソはない・・・ないはずだ。
そうおれは信じている。
一緒に過ごした数年間が、数ヶ月で否定されてしまうなんて・・・それはあんまりだと。
ふと、おれの心に希望の光が差した。
もうすぐおれの誕生日がやってくる。
一緒に暮らし始めて4回目の誕生日。
毎年何が欲しいかと問われるたびにおれは何もいらないと答えた。
形として何かを受け取ると、それは思い出の品となってしまう。
おれはカタチを残したくなかった。
今、その日その時そばにいることがすべてだ。
だから何もいらない。
ただその日の時間だけはおれに欲しいと。
その願いが叶わなかったことはない。
しかも、何もあげないのは自分自身が心もとないと、その日はいつにも増してたくさんのキスをくれ、おれも照れながらもその日だけは素直に受け取った。
記念日やイベントが好きなのは女の考えだと思っていたのに、片岡に出会ってからそういうものを意識するようになった。
特に生まれたことを祝福される誕生日は、この世に生を受けたことを喜んでもらえる唯一の日で、それを片岡に祝ってもらえることはおれにとってとても大切なことだった。
一度も連絡を寄越さない片岡だけど、まだ心におれが存在するならば、きっと誕生日には、誕生日だけは帰ってきてくれるのではないか。
それが無理でも、ひとこと、声を聴かせてくれるのではないか。
おれは2月2日を区切りの日と決めた。
先の見通しがつくと、ほんの少しだけ心が軽くなった。
冷たく凍ってしまいそうな手をすり合わせると、おれは部屋へと戻った。
最後の希望を胸に抱きながら、永久に輝き続けるのだろう幾千もの星たちを、羨ましく思いながら。


                                                                      









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