beloved




第五話




父親が経営する企業の系列会社への就職が決まっている二ノ宮は、それはそれでプレッシャーなんだと顔をしかめた。
「ま、おれは三男だし継ぐ必要はないんだけどさ。会社の経営に興味がないことはないから、ま、いいかって感じ。ゆくゆくは上の兄たちのサポートみたいなもんになるんだろうけど」
どこかで聞いた話だ。二ノ宮も片岡も、小さな頃からそれなりの教育を受け、身近にそういう将来の選択肢があるのなら、興味がないはずはないのだ。
やはりおれのような一般家庭に育ったものとは考え方も違うのだと、改めて思い知らされた。
「たださ、入社早々そういう目で見られるってことに抵抗があるんだよ。だから親族だって隠しておきたかったのにどうやらバレてるらしくってさ」
差し入れのビール缶を空けながら、おれは二ノ宮の話を聞くことに徹していた。
口を開けば、とんでもないことを口走ってしまいそうで・・・・・・
二ノ宮はおれの親友だが片岡の従兄弟でもある。片岡との関係が順風満帆な時にはからかわれたり、また片岡が惚気たりと、三人でよく飲んだりしたものだが、波風が立つと、二ノ宮はいつもおれたちの仲直りの橋渡しの役を買って出てくれる。
からかいまじりのぶっきらぼうな言い方をするヤツだけれど、本当は気持ちの優しいヤツで、おれたちのよき理解者なのだ。
だからこそ、おれは何も言わなかったし、言えなかった。
話も出尽くしたのか、嫌な沈黙に押しつぶされそうになり、おれはつまみを作ってくるとキッチンに向かおうとした。
「峻・・・峻から何か連絡はあったか?」
先ほどまでとは打って変わった真剣な口調で問われ、おれの身体は凍りついたように固まってしまった。
どういえばいい・・・?
もちろん、と明るく言えば、それで納得して帰ってくれるだろうか?
それとも、全ての事情をお見通しで、嘘をつくなと怒られるだろうか?
押し黙っていると座るように促され、逃げられないと悟ったおれは素直にソファに腰を下ろした。
「もっと早くおまえに伝えなければと思っていたんだけど・・・どうしても決心がつかなくてさ」
その言い方で、それがいい話ではないと察しがついた。
片岡の兄が亡くなってちょうど1ヶ月。
片岡がここから出て行ってからもちょうど1ヶ月。そろそろいいだろうという二ノ宮の判断なのだろう。
ここに戻ってこないことは、もうずっと前に納得していた。
どうして理由もわからないのにそう思えたのか自分でも不思議だが、ただ今までここで営んできたような幸せの時間を過ごすことはもうないだろうと、不安は諦めに変わっていった。
「あいつに頼まれてきたのか?」
それならまだいい。あいつがおれのことを気にかけてくれているという証拠だから。
しかし、二ノ宮の答えはノーだった。
「おれも峻には葬式以来会ってないから。やっぱり連絡ないんだな」
落胆のため息をついた二ノ宮は黙り込んでしまった。どう切り出そうか迷っているその苦悩の表情を見ていられなくて、おれは努めて明るく問いかけた。
「おれさ、片岡を好きになって、ここに住み始めてからずっと決めてんの、『覚悟』ってやつ?だいたいにしておおっぴらにできない恋愛なんだし、キレイなもんでもないと思うし。それでもずっと大きな問題ひとつなくってさ、順調すぎたんだよ、今まで。おれはちゃんと二ノ宮の話、受けとめることできる。だから、知ってること話してくれよ。そのために来てくれたんだろ?おれだって、あいつが帰ってこない理由(わけ)知りたいし」
おれは知りたかった。
連絡ひとつ寄越さない理由を。
そして、ちゃんと納得したかった。
あいつが帰ってこない事実を。
しばらく考え込むように視線を落としていた二ノ宮が、顔をあげ口を開いた。
「おまえ・・・優梨子さんて知ってる?」
その名前が胸に突き刺さりおれは息を飲んだ。
しかし驚いたのは一瞬で、やはり彼女が絡んでいるのかと妙な落ち着きもあった。
返答しないでいると、二ノ宮はそのまま先を続けた。
「亡くなった俊哉さんの奥さんなんだけど・・・俊哉さんの突然の死でちょっとおかしくなっちゃってさ」
おかしくなった・・・?
「峻を俊哉さんと勘違いして・・・離さないんだよ」
刹那、頭の中が真っ白になった。
優梨子が絡んでいたのは予想していたけれど、二ノ宮の言葉はあまりに想像を超えていて、真っ白な思考が色づくのにたっぷり数分を要しただろう。
その間、二ノ宮は先を急かすことなくおれの様子をうかがっていた。
「・・・・・・んだって・・・?それって・・・・・・」
やっとの思いで吐き出されたのは、文章になってない言葉。
そりゃあいつと俊哉は双子で、おれだって一瞬目を疑ったくらいそっくりで・・・だからってそんな・・・・・・
「おれもお袋から聞いた話なんだけどさ」
二ノ宮の母親は片岡の母親と姉妹だから、その話は真実に違いない。
「そもそも俊哉さんが事故に遭った日ってのが結婚記念日でさ。優梨子さんは久坂の家のお嬢さんで、小さい時に両親を亡くして久坂のジイサンに育てられたんだ。俊哉さんとは大学時代に婚約、卒業して仕事が安定したころ結婚。端から見たら家のための政略結婚みたいだけど、あのふたりはずっと仲良かったし。ただおれの目から見ている分には、優梨子さんは峻といる方が多かったんだ。だから意外と言えば意外だった」
別に俊哉の話を疑っていたわけではない。
あの冷静な話し方には余裕があり嘘を感じなかった。
しかし、二ノ宮の口から改めて聞かされると、やはり心がざわめく。
おそらく二ノ宮は小学生のころから三人の関係を見ていたはずだ。
そんな小さなコドモでさえ、優梨子と片岡がそういう風に見えたということに、おれの心はざわめいた。
「その辺の詳しい事情は知らないけど、とにかくふたりは仲の良い夫婦だったんだ。で、結婚5年目の記念日で。おまえ知ってる?5年目の結婚記念日は『木婚式』ていうんだって」
「木婚・・・式・・・?」
「そう、『木婚式』。夫婦がやっと一本の木のように一体になるって意味を込めて木製のフォトフレームや観葉植物をプレゼントするらしいんだ。俊哉さんはそれを買うために花屋に向かう途中だった。会議が延びて遅くなったらしく結構飛ばしてたらしい。直接の原因は・・・信号無視したダンプに突っ込まれたことだけど、こっちもスピードに乗ってたからさ・・・」
即死だったということは、あの日片岡から聞いていた。
そして何となくわかった。
優梨子さんがおかしくなった理由。
「自分へのプレゼントを買おうと急いだために事故に遭ったと・・・そして死んでしまったと・・・優梨子さんはそう思いこみ責任を感じてるってことか?」
二ノ宮が無言で頷いた。
「それでも通夜の時は普通だったんだ。その気丈さに弔問客が感心するくらいにね」
手に取った缶は空だったようで、ギュッとひねり潰した二ノ宮のためにプルトップを開けた新しい缶を渡してやると、申しわけなさそうに小さく礼を言って口をつけた。
「葬儀も滞りなく終わって焼き場に移動して・・・骨を拾う時にさ、こんなの俊哉さんじゃないって騒ぎ出して。隣りに立ってた峻を見つけて、俊哉さんはここにいるって。誰がどう説明しても聞かなくて、もうパニクっててさ」
心を落ち着けようというのか、二ノ宮は持っていたビールをグイッと仰ぐと再びその缶を握り潰す。
「それ以来・・・峻から離れないそうだ。刺激するのもよくないからって、周りの人間はそれを黙認している。でもさ、峻も峻だよ!どうして黙って言いなりになってるんだ?あの家とは縁を切ったも同じだって、そう言ってただろ?そりゃ優梨子さんは義理の姉で幼なじみかも知れないけど、あんなままじゃダメだってことくらいわかってるはずなのなのに!」
かれこれ1ヶ月。
そういう状態が続いているというのに、誰も、何も解決しようとせず、ただ黙って見ているのか。
「それにさ、何でおまえに連絡を寄越さないんだよ。四六時中一緒ったって、まさかトイレや風呂まで一緒なわけないだろ?ちょっと電話するくらい何てことないことなのに!」
怒りを露わにする二ノ宮が嬉しかった。
それでもう十分だ。
おれには片岡の気持ちがわかるから。
「学校のほうも・・・休職してるらしい」
ぽつりと二ノ宮がこぼした。
惰性で続けている仕事と優梨子と、どちらを選ぶかなんてわかりきっていることだ。
「もしかしてトイレも風呂も一緒だったりしてな」
冗談めかして言った言葉が、自分でも驚くほど渇いていた。
二ノ宮が酔ったのか泣き出しそうな顔でおれを睨みつけ、空き缶を投げつける。
「そ、そんな、強がりを言うな!言いたいことあるだろ?放っておかれて、ムカつかないわけないだろ?おれ、聞いてやるから!全部言っちまえよ!吐き出しちまえよ!」
どうしてこいつが泣いているのだろう。
おれは冷静だった。
きっと、二ノ宮にも、予感めいた何かがあるに違いない。それほど、この問題は深いものなのだろう。
片岡の家を知っている二ノ宮だからこそ、わかってしまう何かが。
「おまえ、何泣いてんだよ!ったく、酔っ払いに用はない!タクシー呼んでやるから帰って寝ろ!」
平気な顔をして呆れたフリを装い、腕を引っ張りあげ立たそうとすると、その手を振りほどかれた。
「お、おれは帰らないぞ。そのつもりでここに来て、こんな話をしたんだから!」
そう言うと新しい缶に手をつけようとするのを制して、おれは笑顔を向けた。
「おれ、おまえと知り合えてマジよかったって感謝してる。だけど・・・悪いけど、今日は帰ってくれないか?ひとりでゆっくり考えたい。あいつが帰ってこない理由もわかったし。な?頼む」
しばらく考え込んでいたようだが、ポンとひとつおれも背中を叩くと、何も言わず部屋を後にしてくれた。
その背中に、おれは何度も何度も礼を言った。


                                                                      









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