beloved




第十二話




「ごめん。こんな嫌味なこと言うつもりじゃなかったんだけど・・・」
気持ちを切り替えるために、残りのコーヒーを飲み干すと、心を落ち着ける。
「でもさ、優梨子さんのことはほんのきっかけに過ぎないんだ。あんたは家に帰るべきだ。お兄さんが亡くなった今、家を継ぐのはあんたなんだろ?おれにはそういうの、よくわかんないけど、あんたが片岡の家に生まれたことには意味があるんだよ。おれには無縁のことでも、あんたの生まれた世界ではとても大切なことだろ?あんたの両親も、亡くなったお兄さんも、主を失った会社も、これからはあんたが背負っていくんだよ。悪いけど、おれにはそれらを一緒に背負うころはできないし、おれには荷が重過ぎる」
おれは、酷いことを言っているのだろうか。
すべてを背負って生きていけと、無理強いをしているのだろうか。
でも、おれは知っている。
家のことに関しては投げやりな態度しかとらなかったけれど、それが本心ではなかったことを。
だから、絶縁状態にあるなんていいながら、俊哉と連絡を取り合っていたり、どうしようもないといいながら、経済誌に目を通したりしていたんだってことを。
だてに長い時間を一緒に過ごしてきたわけじゃない。
そのくらいの甲斐性はおれにもある。
「それに、おれにもやりたいことが見つかったし。ちょうどよかったんだよ。もし今回のことがなかったら、おれはやりたいことを諦めてこの街で教師になってたろうし」
これは・・・大きな嘘と小さな本心。
本当はここで教師をと望んでいたのだ。
だから、この街の採用試験を受けたのだから。
でも、これくらい言わないと、片岡だって気分がよくないだろう。
優梨子さんのことを引き合いにだし、しゃべりすぎたおれは、当初の予定からどんどんはみ出してしまっている。
あくまでも、おれは、おれのために、ここを出て行く、おのれがかわいい男だ、そう思ってもらわないと困るのだ。
「おれ、あんたと暮らせてとても楽しかった。いろんなところ連れてってもらって、絶対経験できないようなことさせてもらったし。人を好きになるってとても深いことなんだって知ったし、それが人間にとってとても大事だってことも学んだし。これからちょっと心に病を持つコドモ相手にしていく上できっとその経験を活かせると思う。おれもやりたいことをやるから、あんたも教師なんて辞めてさ、本当にやりたいことをやればいい。自分のほんとにやりたいことを出来る人なんてそうはいないものだし、その点からいうとおれたち恵まれてるんだって」
片岡は納得しただろうか。
話す隙を与えなかったけれど・・・どう思っているのだろう。
黙り込んだ片岡を前に、おれも一息いれた。
春には優しい光が、夏には差すような光が、秋には穏やかな光が、冬には明るいだけの光が降りそそぐ大きな窓の外は、銀色の雲が薄暗く空を覆い、今にも雨がふりだしそうだった。
寒気がそれを雪に変えるのではと、そんなことを考えていたとき、、片岡の柔らかい声が耳に入り、幾度もこだました。
「おまえはしっかりしてるから」
それは、さよならとか、じゃあなとか、直接の別れの言葉じゃなかったけれど、おれにとってはそれに等しく、鋭いナイフで突き刺されたように・・・痛みが走った。
傷口から溢れ出す血が全身を駆け巡り、抜けないナイフがさらに奥を抉る。
今さら何を傷ついているんだろう。
そう言わせたのは、誰でもないおれ自身だ。
そして、それがおれの・・・望みだったのだろう?
片岡はいつも言ってくれた。
おまえは、本当はそんなに強いわけじゃない。
そうしないと守るべき人を守れないと、強がっているだけだ。
それならそれでいい。
だけど、おれには甘えてくれと。
おまえが寄りかかれる場所でありたいと。
『おまえはしっかりしてるから』
それに続くのは『ひとりでも大丈夫だろ?』なんだろう。
そしてそれは、おれと一緒に歩いていくことを放棄したことを意味しているのだ。
これで・・・終わりなのだ。
おれが望んだとおり、そして片岡が望んだとおりに、たった今、全てが終わったのだ。
おれは、もうこれ以上ここにいたくなかったし、いられなかった。
「じゃあ、おれ、もう帰ります」
自然と敬語を発していた。
高校在学中を通しても初めてかもしれない敬語は、とても他人行儀だった。
でも、もう他人だから、それはそれで気の利いた台詞だったかもしれない。
「成瀬」
立ち上がりリビングを出ようとして呼び止められ、足を止めた。





                                                                      









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