beloved




第十一話




「おれ、今日でここ出てくから」
一瞬、空気が凍りついた。
研ぎ澄まされたような緊張感に覆われかかったのを打ち砕いたのは、幾度も反芻したおれの言葉で、覚えた台詞のように口からこぼれてゆく。
「オフクロが再婚することになってさ。相手の人ってのが、心療内科の医者で、向こうで知り合ったらしいんだけど。医者っつっても、教師の免許も持ってて。で、その人が今度仲間と一緒にフリースクールを立ち上げることになって、おれもそれに参加することにしたんだ。ほら、おれ、心理学の方も興味あったじゃん?」
どんな表情をしておれの話を聞いているのか気にはなったけれど、とても様子を見れそうになくて、カップを手にとってぬるくなったコーヒーを口に含んだ。
「おまえ・・・この街の採用はどうするんだ?試験受かってるだろ?」
「それは、もう辞退を申し出てあるから。たぶんこんなギリギリだし、きっともうこの街での教師の道は絶たれたって感じかな。次受けても受かるわけないよな」
出て行けといわれたから出て行くんじゃない、自分の意思でここを出て行くのだ、そう思うほうが傷は浅くてすむ。
それに、このほうが片岡の気持ちも楽なはずなのだ。
そうか、じゃあ仕方がないな、そう言ってくれれば、おれは片岡がここに帰ってこなくなった理由も、優梨子さんのことも、何も問いただすことなく、今までありがとう、おれはおれの道を歩きますって、それで終われたはずだったし、おれもそう予想していた。
だけど。
「ふざけるな」
それが、片岡の返事だった。
ふざけるな・・・・・・?
いつ、だれが、どうふざけたって言うんだ・・・?
「ふざけたことを言うな!」
二度目は、初めて聞く怒鳴り声だった。
怒りを露わにする片岡に、おれの心は萎縮するどころか、張りつめていた何かがピキリと音をたてて・・・切れた。
どうして、おれは頭ごなしに怒鳴られなくちゃいけない・・・・・・?
沸点到達間近の怒りを抑えようと、大きく息を吸い込んだ。
「ふざけてるのはどっち?」
思ったより冷静な声がでてホッとした。
同じように怒鳴りあえば、話をするどころじゃなくなってしまう。
「何ヶ月も放ったらかしで、優梨子さんは女性だけどおれはオトコだから、平気だとでも思ってた?」
声は落ち着いていたけれど、思考はそうではなかったようで、思わず優梨子の名前を出してしまったことに、しまったと気付いた時はすでに遅く、片岡は驚いたようにおれを見据えた。
「優梨子って・・・おまえ、優梨子のこと・・・・・・」
黙り込んでいると、ひとり納得顔でふうっと息を吐いた。
「おまえ、圭と親友だからな。隠しても仕方ないか。だけどな―――」
「いいよ。別に。それに、二ノ宮からいろいろ聞いたのは事実だけど、おれもあんたと優梨子さんのこと知ってるし」
「知ってるって、何を知ってるっていうんだ?」
おまえに何がわかると言いたげな突き放したような口調に、おれはもういいやって半ば投げやりになった。
「全部知ってる」
「・・・・・・・・・・・・」
「あんたがどんだけ優梨子さんを大事にしているのか、その理由も知ってる。ここに戻ってこれなくなったのも全部優梨子さんのためってことも。小さい頃からずっと好きだったことも、その想いがかなわなかったことも、それで何にも本気になれなくなったことも、それでもずっとその想いを持ち続けていたことも・・・・・・」
否定しない片岡。
それはおれの言うことが間違っていないことを表している。
「おれのことを好きだと言ってくれたことを、おれは疑ってはいないし、あんたの気持ちに嘘はないと思っていいよね?」
問いかけても返事はしてくれなかったけれど、かまわず続けた。
「ただ、おれより優梨子さんを想う気持ちのほうが勝っていた、それだけのことだろう?」
少し返事を待った。
もし、違うと否定してくれれば・・・そんな淡い期待がなかったとはいわない。
しかし、しばしの沈黙は無駄な時間に終わった。
「あんたにとってのいちばんは優梨子さんだったんだ。でも彼女はお兄さんのものになったから、あんたは二番目のおれで満足しておこうと思った。けど、あんたは手に入れたんだ、優梨子さんをさ。あんたはアニキの変わりでも満足なのかもしれない。でも、おれは二番目はイヤだから。だからおれはあんたのそばからいなくなり、そしてあんたは本当に守るべき人のところに行く。何の不都合もないだろ?誰ひとりとして何一つ嫌な想いをしない、誰も無理しない、きわめて合理的な解決方法だよ」
おれは、片岡に向けてというよりも、ほとんど自分に向けて話していた。
言葉にすることで、全てを受け入れ、納得し、片岡に何の負担も残したくなかった。
「おれさ、あんたに好きだの愛してるだの言われて、嬉しかった。康介や純平、陸がどんどん成長して、あいつらの中でおれの存在がどんどん薄くなっていくのが寂しかったけど、あいつらが残してった隙間はあんたが埋めてくれたし。もしかして、男同士でもずっと一緒にいれるのかなぁなんて思ったりもしたけど、やっぱりこの世に永遠なんてないんだって」
「成瀬、すまなかった。だけど―――」
「すまなかったって何に対して?旅行をキャンセルしたこと?連絡のひとつも寄越さず帰ってこなかったこと?それともこんな風に終わること?」
なんて嫌味な言い方なんだ・・・・・・
責めるようなカタチとなり、何かを言いたげだった片岡が口を噤んだ。





                                                                      









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