蒼い夜






<3>








「あれ〜?おっかしいな・・・・・・」
机の中をガサガサ探りながら成瀬が呟く。
そのままロッカーに移動して同じように探ってみるものの、目当てのものが見つからないらしい。
「どうした?ないのか?」
「うん・・・・・・カバンに入ってなかったから学校に忘れてきたと思ったんだけど。もしかしたらなんかの教科書に挟まってるのかもしんない」
カバンは車の中に残してきたから確かめようもない。
「なら、予備のプリントを持って帰るか?」
「そんなのあるの・・・?」
「おれだって数学教師だぞ?何枚か持ってるから」
「じゃあ・・・悪いけど1枚くれる?」
おれたちは数学準備室に移動した。







*****  *****  *****







合鍵を作っておいてよかったとつくづく思う。
ガラガラと扉を開け机に向かうおれについてこようとせず、成瀬は扉のところに突っ立ったままだ。
「どうした?ここは理科室じゃないからな。そんな怖いものはないと思うんだが」
「こっ恐いものって誰が何を怖いんだよ」
からかい混じりのおれの台詞に反発して、成瀬がおれのそばまでやってきた。
「ここからって、グランドが丸見えなんだな」
机に山積みとなっている書類の中から件のプリントを探しているおれの後ろに立って、いまさら珍しくもないグランドを見下ろしている。
何やら感慨深げな成瀬に、おれは手を止めた。
「おれはこの部屋が好きなんだ。職員室にも席は用意されてるけど、ほとんどの時間をこっちで過ごすかな」
「へぇ〜」
「ここから・・・よくおまえを見てた」
「えっ・・・?」
「おまえのクラスの体育の授業をチェックして」
「マジで?それってちょっとストーカーっぽくねぇ?」
今まで隠していた事実を告げると、成瀬は心底驚いた表情を見せた。
「おまえ、失礼だぞ?こっそり好きな人を盗み見る恋する乙女系ってぐらい言えよ」
「恋する乙女って・・・あんたのこと???」
おれがそんな冗談を言うとは思わなかったのか、驚きに目を丸くしながらも今にも噴出しそうなのを我慢している。
あの頃、自分の行動に驚いたのは誰でもないおれ自身だ。
据え膳食わぬは男の恥とばかりに言い寄る女たちを拒むことはなかったし、カラダが満たされればそれはそれで満足だったのだ。
それが成瀬に出会ってからはどうだろう。
何も言い出せないまま、ただ成瀬の存在だけを見つめ続けた。
成瀬が楽しそうなときはおれも幸せだったし、成瀬が落ち込んでいるときはそばで励ましたくなる。
廊下ですれ違う時、たまに会話を交わす時、その度に想いが溢れそうになるのを長い間思いとどまらせたのは、教師と生徒という関係、加えて同性同士という事実だった。
「おまえ、いつだって楽しそうに笑ってるんだ。バイトしながら上位の成績をキープして、疲れているはずなのに、それでもおまえは笑ってた」
「うん・・・あんた、おれにコクってきたときもそんなこと言ってたよな」
そんな強がってるつもりなかったんだけど、と成瀬は笑った。
成瀬の体育の時間とおれの授業の空き時間を合わせるのなんてちょろいもんだった。
さすがに2年連続で我を突き通せば、教務のハゲオヤジに嫌味のひとつやふたつ浴びせられたが、そんなことはおかましなし、何も気にしちゃいない。
どうやらおれはこいつのことになると周りが見えなくなるらしいと気付くのに時間はかからなかった。
誰もいない数学準備室。
圭と肩を並べて身体を動かす成瀬を眺めていれば時が経つのも忘れた。
雨でグラウンドでの授業がなくなったり、体育館での授業の時には、その日一日が酷くつまらないものとなった。
何事にも動じなさそうな凛とした雰囲気を保ちつつ、圭とじゃれあって無邪気に笑う反面、時折見せる疲れたような表情に、手を差し伸べたくなったことは幾度もある。
1年の頃に担任をしていたため、成瀬の家庭事情は理解していたから、余計にそのギャップが気になって仕方なかった。
人前では決して弱音を吐かず、誰にも頼らず自分の足で踏ん張っている。
だからこそ強く思ったのだ。成瀬が安心して寄りかかれる存在になりたいと。
募る思いが溢れたのは、煽るような圭の一言だったわけだが。
「強がってたわけじゃないと思うぞ。おまえにはここにいる誰よりも守らなければならない家族がいて、誰よりも一生懸命だっただけだ。だからこそ、おれにはおまえが眩しかった。輝き続けるためにはちょっとした息抜きだって必要だ。そんな時おれに寄っかかってくればいいと思った。こんな風にな」
「ちょ、ちょっと!」
立ったままの成瀬の腕を引っ張ると、不意をつかれてバランスを失い、椅子に座っていたおれの胸の中に容易に倒れこんできた。
驚いてもがく膝の上の成瀬をそのまま後ろからギューッと抱き締めると、成瀬はぴたっと動きを止めた。
「ここからいつも見下ろしてたおまえが今はここにいるなんて・・・・・・」
腕の中でじっとしている成瀬の首筋に鼻先を埋めれば、ピクリと身体を震わせる。
「夢みたいだ・・・」
本当に奇蹟だとしか言いようがない。
数ヶ月前のあの日、ここで成瀬に思いを打ち明けた時、大人のフリして冷静さを保っていたけれど、実は心臓バクバクだったのだ。
気持ち悪いと一蹴されてもおかしくなかった。それなのに成瀬は真剣に考えてくれた。
後で聞けば、おれのあまりの強引さに恐れをなしたのだとか。
なにせおれはこの恋にすべてを賭けていたのだから、多少の強引さや企みは問題にしなかった。
そんなおれの全てを真剣に受け止め、答えを出してくれた時には天にも舞い上がる気持ちだったのだ。
そして今。
2年間大事に大事に育ててきた想いが成就した証が、この腕の中にある。
その存在を確かめるようにさらに力を強めたおれの腕を、成瀬がポンポンと叩く。
「夢じゃねえよ」
「成瀬・・・」
「ほら、おれはここにいる。あんたに寄っかかってるよ」
おれの腕をたどって、成瀬の手がおれの頬を、髪を探るように捉えて優しく触れる。
「人の鼓動がこんなに安心できるものなんだって教えてくれたのは・・・あんただ」





                                                                       





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