蒼い夜






<8>








「成瀬、ドライブに行くか?」
ランチの後、片岡がおれを誘った。
「でも・・・」
「成瀬、行ってこいって。おれたちは昼からテニスするんだ、テニス。な〜っ」
目配せをした二ノ宮に続いて、純平と陸が「な〜っ」て同調した。
「康介は・・・?」
「ぼくは、ゆっくり読書するんだ。ここはたくさんの文豪が愛した土地だからね。気分にどっぷり浸りたいから」
おれは、思わぬデートの誘いに胸膨らんだ。










ほんの数分車を走らすと、駐車場に車を停めた。土地勘のないおれにはここがどこだかさっぱりわからない。
それでも道の両脇に並ぶ様々な店舗から、ここが街の中心であることはわかる。
「ここは旧軽井沢銀座。どんどん開発が進んで一口に軽井沢って言っても新軽井沢やら南軽井沢なんて地名がたくさんあるけど、ここが昔っからのメインストリート」
説明どおり、古い昔からの店と、最近の店とが違和感なく並んでいる。
明らかに観光客目当ての店もあれば、この地に住む人のための生活感に富んだ店もあり、おれたちはそんな店を覗きながらブラブラと肩を並べて歩いた。
そういえば、片岡とこんな風に街を歩いたことがないことに気づき、くすぐったい気分になる。
何か普通の恋人同士のデートみたいじゃん・・・
一緒に歩いていたって誰に憚られることもなく、噂になることもなく、堂々といられることがうれしかった。
「この奥に教会があるけど・・・行ってみる?」
軽井沢には教会が多いことは知っていた。信仰心なんてないけれど、見てみるものいいかもしれないとおれは頷いた。










教会どおりなんて名前のついた小道を抜けると、古びた教会が現れた。自由に入ることができるらしく、木の扉を開けると、外観と同じく木造の教会は、敬けんな雰囲気に包まれていた。
高くとんがった屋根も、壁も、祭壇も、すべてが木で造られている。
「軽井沢はさ、英国人の宣教師が開いた土地だから教会が多いんだ。元は日本に住む外国人の避暑地だから」
木製の椅子に腰を下ろすと、正面の祭壇に掲げられた十字架を見上げた。窓から差し込む白い光をバックに、十字架に貼り付けられたイエスキリストを見ていると、とても静かな気持ちになり、目を閉じた。
「小さい頃は叔父とよくここに来たよ。ここに来ると、嫌なことも全部忘れることができた」
片岡の声が心地よく響く。
「わかる気がする。おれは無宗教だし、今まで宗教のことなんて考えたこともなかったけれど、何かわかる。人が宗教に拠りどころを求めるのも、少しわかった気がする」
おれには信仰心なんてないけれど、神の存在を否定しているわけではない。
小さい頃、友達に連れられて日曜学校なるものに通っていたことがある。ただ、お菓子が目当てだっただけなのだが、それでも聖書の話は好きだった。
子供心に感動したのも覚えている。

もし聖書のように、神が天地を創造し、種を残すために二つの性別を持つ人間を作ったのなら、おれたちの恋愛は神に背く行為であるのだろう。全くの不毛と言っても過言ではない。
それでも、もう後戻りはできなかった。
すべてをなかったことにするなんてできなかった。

隣りに座っているこの人を手放すなんてできそうに・・・ない・・・・・・?
ちらりと横目で見やると、手を組んで目を閉じて、祈りを捧げているように見えた。
片岡は、もし地獄に堕ちるならともに堕ちようと言うだろう。
でも、おれはそうは言わない。
もし地獄に堕ちるなら、それはおれだけでいいと思う。

片岡を好きになって、いつも心のどこかにある不安は、片岡がおれから去っていったらどうしようという、自己防衛の不安だと思っていた。
けれど、それより大きな不安が、心の中にあることに気づいた。
ここに来て、知らなかった片岡を知って、その不安がはっきりした。
おれは、片岡の幸せの邪魔にならないのだろうか。
付き合い始めてもうすぐ一年。
片岡はおれを好きだといい、ずっと一緒にいたいと言ってくれた。

おれも片岡が好きだから、ずっと一緒にいようと言った。
そして4月から一緒に暮らし始める。
だけど、片岡はずっと続いていくと、本当に思っているのだろうか。






おれは思っていない。
続けばいいなと願ってはいるが、現実はそう甘くはないと思っている。

思っていると言うよりも、もしその時がきた時に、自分が納得できるように、傷つかないように、予防線を張っているだけかもしれない。
恋愛経験のないおれが、勝手に悩んで手を焼かせるたびに、全てを許し包んでくれる片岡。
そしてその優しさにどっぷり浸かっているおれ。
おれはもう一度、光に照らされた十字架を見上げた。
もしおれたちに罪があるのなら、おれが全部背負います。
だから・・・どうかこの人に幸せを・・・・・・
おれは初めて神に祈りを捧げた。
そして、もしおれの存在が片岡の幸せを妨げるようなことがあれば、どうか進むべき道を教えて欲しいと願った。
「何考えてるんだ?」
片岡に言われた時には、おれの心はすっきりしていた。
「別に?もう行こうぜ」
おれは立ち上がり、教会を後にした。
泣きたいような、それでも笑いたいような、不思議な気分だった。

「そうだ、おまえ何か欲しいものある?」
疲れて休憩にと入ったカフェで、小腹が空いたからと注文したパンプキンベーグルにパクついていたおれは、ふと手を止めた。
「なんで?」
「合格祝い」
そう言ってカプチーノを飲む片岡は、軽井沢のお洒落なこのカフェに溶け込んでいて、とんでもなくかっこよかった。きっとパリのオープンカフェでも見劣りしないんだろうななんて考えると、ひたすら食欲にまかせてベーグルサンドにがっついている自分が恥ずかしくなった。
「別に・・・何もいらない」
おれには物欲があまりない。小さい頃から我慢し続けてきたからだろうか。今では欲しいという感情さえ消えてしまったかのように、物欲がわかない。それにもし欲しいものができても、自分で何とかするタイプだ。
「おまえって、ほんっとお手軽だよな」
その言葉にはさすがにムッときた。
「どういう意味だよ?だれと比べてるんだよ?」
言わなくたってわかってる。
どうせ昔つきあってたオンナと比べてるんだろう。
「ゴメン、そういう意味じゃなかったんだ。ほんっとゴメン。機嫌直して?なっ?」

どう見てもクールなオトコが、猫なで声になって謝っている。その姿が滑稽で、おれは思わず噴出してしまった。
こいつに悪気がないことくらいわかっている。
ちょっと軽く見られたようで・・・癪に障っただけなんだ。

「いいっていいって。おれ、ほんと何もいらないから。あんたと暮らせることになっただけでうれしいんだから」
なんて言ってみたものの、恥ずかしくなって、おれは中途半端に残していたベーグルに再び手を伸ばした。
ティータイムに突入したのか、俄かに店内が騒々しくなってきたから、おれたちは店を出た。












                                                                       





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