蒼い夜






<5>








何度もくちづけを交わした後、それ以上の行為に及びそうになるのを堪え、おれはアトリエを後にした。
一旦、あてがわれた部屋に入り、荷物をほどき、大きなダブルベッドに寝転がってみたけれど、見上げる天井が高すぎて落ち着かない。
起き上がって大きな窓から外を眺めると、裏庭に当たるのだろう、一面芝生が敷かれた広い庭があった。その向こうは、木が生い茂っていて、まるで小さな森のようだった。

ここで、小さな頃、片岡はどんな風に休みを過ごしたのだろう・・・
片岡の孤独な少年時代を思い浮かべると、胸がキュンと痛む。







片岡は幸せだっただろうか?
両親からの愛情を受けることができなくても、叔父さんがいたから、片岡は淋しくなかっただろうか?







誰よりも片岡のことを愛した叔父さんは、片岡がアトリエに招きいれた人物がオトコのおれで、悲しんではいないだろうか?







さっき見たさくらの絵が脳裏を掠めた。

まるで遺言のようだった、叔父さんの言葉が頭の中で繰りかえし繰りかえし反芻される。
何だかどっと疲れて、ベッドに倒れ込んだ。今度はうつ伏せに寝転んでみる。
おれって・・・片岡のことになるとてんで弱気になるんだな・・・・・・
スプリングの効いたベッドと、ふんわり柔らかな寝具が心地よくて、おれは意識を朦朧とさせていった。







*****     *****     *****







馴染みのあるニオイとぬくもりに包まれ、このまままどろんでいたい衝動にかられながらも、ゆっくり押し寄せる疑問に答えを求め、うっすら目を開けた。

「起きたか・・・?」
「ん・・・あぁ?」
おれの意識がハイスピードで現実の世界へ引き寄せられた。
「あ、あ、あんたっ、なんでっ、こっ、ここにいるんだ?」
いつの間にか眠っていたおれの隣りには、見慣れた片岡のアップの顔。驚きのあまり言葉になっていないおれを気にするでもなく、肌を重ねた翌日の朝のように、おれの髪に指を差し入れては滑らせている。
「おまえが逃げるようにアトリエから出てくから気になって来てみたら、そりゃもう気持ちよさそうに眠ってるからさ、手も出せずにずっと添い寝。言っとくけど、何もしてないからな」
「バ、バカかあんたは!誰か入ってきたらどうすんだよ!」
ここには弟たちがいるんだ。いくら何でもダブルベッドに一緒に寝てりゃ言い訳もつかない。
「大丈夫だって、カギかけたから」
悪びれる風でもなく、しれっとした態度の片岡におれは怒りよりも・・・呆れてしまった。
「そんな問題じゃねえだろうがっ!」
「じゃあどんな問題なんだ?」
グッとおれは黙ってしまった。
キスだけじゃ堪らなくなるからアトリエから飛び出してきたのに、隣りに寝るんじゃねえ!
なんて言ってやりたいけど、言えるわけがない。
おれがその先を望んでたってバレるじゃないか!

「おれのそばにいるの・・・嫌か?」
片岡はずるい。
おれがそんなことこれっぽっちも思っていないことを承知で、そういうことを言う。

髪を弄んでいた指が、つーっと頬を撫で滑り、くちびるの輪郭をたどっていく。
「嫌ならはっきり言えよ。この口で・・・ほら・・・・・・」
揶揄気味の口調に仕返しだと、おれはその指を噛んでやった。
「っ痛っ・・・」
「純情な少年を揄ったバツだっ」
してやったりとニヤリと笑いながら起き上がろうとしたおれを、片岡が上から押さえつけた。
「な〜にが純情な少年だ」
軽くキスされ、抑えていた身体の疼きが甦りそうで、身体を捩って抵抗したものの、すっかり乗りかかられて、手首を拘束されて、顔を背けただけに留まった。
「やめろって・・・」
その声さえも、掠れてしまって威力がない。
背けた顔に強引にくちびるが寄せられると、優しく噛まれ舐められ、片岡の息を肌で感じ、痺れた感覚に支配される。

「好きだ・・・」
見つめられ囁かれて、おれは抵抗するのを止めた。ほんとはずっとこうして欲しかったんだ。
「おれも・・・」
戒められていた手が解かれると、片岡の背中に手を回した。深いキスを求めてしがみつくと、何も言わなくてもそうしてくれる。喉の奥からくぐもった声を漏らし、必死で片岡を受け止めた。
シャツの裾から侵入した掌が肌にふれた瞬間、同じ屋根の下にいる弟たちがふと浮かんだけれど、すぐに消えた。
離れては重ねられるくちびるを追い求め、どんどん息が上がっていく。身体が焼けるように熱くなる。
「峻・・・」
名前を口にしたとき、ドアがノックされた。
「兄ちゃん・・・?そろそろリビングに来てよ」
康介の声とドアノブを回す音に、おれたちは息を飲んだ。
「あ、ああ。着がえたら行くから」
冷静を装って返事をすると「待ってるね」と言い残して、足跡が遠ざかっていった。
大きく息をついた片岡が、おれから離れていく。
名残惜しいけれど仕方ない・・・か。

「続きはおあずけだな」
サイドボードに置いていた眼鏡をかけると、教師の顔に戻った片岡は、おれをベッドから引っ張り起こすと「ほら、早く行かないと。また呼びに来るぞ」と背中を押した。
おれは後ろ髪を引かれながらも、片岡を残して、リビングへと向かった。








                                                                       





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