夏のかけら
 その参








駅前のロータリーに車を預け、鎌倉に来たのならとりあえず押さえておこうと、鶴岡八幡宮に向かって若宮大路をゆっくり散策する。
真っ青な快晴とまではいかないまでも、白い雲が夏空を彩り、それなりに陽射しもきつかったが、
道に沿って植えられた並木がその陽射しをいいように遮ってくれる。
桜の木らしいそれは、春には絶好の桜のトンネルと化すのだろう。
観光客も海岸方面に集中するのか、さほど人通りは多くない。

「今の時期は蓮が有名らしいよ?」
ガイドブックの受け売りだけれど、その写真は実に見事だったので見てみたいと思っていた。
赤橋と呼ばれる三ノ鳥居を抜けると、左右に池がある。
本宮に向かって右側が「源氏池」、左側が「平家池」だ。
日出ずる東側が源氏、日沈む西側が平氏。
武士の棟梁の争いも、今では敵対するふたつのもののたとえとなっている。

「うわっ、すっげ〜」
水面が全く見えないくらい大きな緑の葉で覆われた池に、ぽつんぽつんと紅白の花が散らばっていた。
一枚一枚がかなり大きな葉であるのに、蓮の花はその存在を誇示するかのようにきちんと葉の間から可憐な顔をのぞかせていた。

「もとは、源氏池には源氏の旗色の白い蓮が、平氏池には平氏の旗色の赤い蓮が植えられていたんだってさ」
これまたガイドブックの受け売りであるが、片岡はふ〜んと感心したように相槌をうって、水面に目をやっていた。
木陰のベンチでゆったりとした時間を過ごす。
何も会話しなくても、沈黙が心地よくなったのはいつからなのだろう。

一緒にいることが当たり前で、それに慣れてしまっている。
もちろん個人の時間も大切にしているし、四六時中べったりというわけではないのだが、やはり隣りにいると安心するのはどうしようもないことだ。

「やっぱ、仏教の花だからか、ありがたい気持ちになるな」
そんなたわいのない言葉でさえも、片岡の口から発せられるとここに案内したことが嬉しくなる。
「蓮の花って、開花する時に『パカッ』って音がするって知ってるか?」
「ウソだ〜」
言われてみれば音がしそうな感じがするけど・・・
「テレビで一度だけ聞いたことがあるんだ。早朝らしいからな。滅多に聞けないらしいけど」
「―――聞いてみたいな・・・」
もしそんな音をこの耳で拾えたら、お釈迦さまのご利益がありそうだ。
「なら、明日朝来てみようか。朝というか夜明け前だけどな」

















しばらく休憩をした後は、境内を散策して今度は若宮大路の東側を平行して走る小町大路を駅へと向かった。
この通り周辺は、かつて執権屋敷や幕府・有力御家人の住居などで栄えたらしいが、今は石碑が残るのみだったりして、その陰もなかった。
途中、休憩がてらに入った喫茶店で、サンドウィッチを食べた。
片岡が頼んだアップルトーストがあまりにおいしそうで、恥ずかしいが少し分けてもらった。
こういうところはまだまだ子供っぽいという自覚はあるが、どうしても食欲には勝てないし、分け合って食べるのって、くすぐったいけど好きだったりするのだ。
勝手知ったる住み慣れた街では、揃って外食する機会はほとんどない。
わざとしないというほうが正しいのか。ふたりの関係を疑われるような行動は少しでも慎んでいる。
だから旅先でふたりでゆっくり過ごす時間はどんな場所でもとても大切で、そして楽しい。

ふらりと立ち寄った本覚寺というお寺は、百日紅の寺として有名らしく、それは見事な大木が真紅の花を咲かせていた。
八幡宮で見た蓮とはまた違った可憐さを保ちながらも、あくまで上品なその花は、美しい日本建築と非常にマッチしていて、見るものを清清しい気分にさせる。

それはそれで美しいのだが、おれは、その寺のトイレの脇に咲く夏らしい爽やかな花に魅入られた。
通りがかった人に尋ねると、それは凌霄花(のうせんかずら)だと教えてくれた。
ハイビスカスのように南国っぽいイメージとは逆の、いかにも日本ぽい名前を持つその花は、朱色のような橙のような桃色のような、数色が微妙に混ざり合ってとても印象的だった。
朝顔のように、竹作に這うようにして自由に伸びているその下には、すでに盛りが過ぎた大きな花の残骸がボトリと落ちていた。
「潔い花だな」
「うん」
美しく咲かせた後は、未練なくその姿を消しゆくのだ。
顔を近づけると、通りがかりのオバサンに注意された。
その匂いを嗅ぐと脳を損なうとか、その露が目に入ると失明するとか言い伝えがあるらしい。
実際のところ、毒があるのはその樹液らしいのだか。

やはりキレイなものにはそうたやすく近づけないのだろうか。
夏の花らしく、明るい、熱情を感じつつも、その裏に隠された寂寥感をも拭うことができなかった。






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