happy christmas?







その2






「さて、と」
今日はとても忙しい。
まずは、恋人へのクリスマスプレゼントを買わないといけない。
すでに目星はつけてあるから、あとは購入するだけなのだけれども。
そのあと、待ち合わせてディナーを楽しむ。
こんな夜に男同士で食事、しかもディナーだなんて、恋人が恥ずかしがるといけないと、知り合いのダイニングバーの個室を、学生時代に掴んだ弱みをちらつかせ半ば脅し気味に予約した。利用できるものはとことん利用するのが紘一郎のポリシーだ。
そして駅前の大きなツリーを見た後、この部屋で・・・・・・
自然と顔がにやけてしまうのを止められない紘一郎であった。






*** *** ***






久遠と恋人として付き合い始めたのは、夏前のことだった。
伊藤女史の復帰と同時に久遠のアルバイトも終了することになった。
紘一郎の気持ちを知っている神谷は、久遠の契約を延長してもいいなんて、気味の悪いほど優しい言葉をかけてくれたが、当の久遠は契約が終了することに文句を言わなかったし、久遠には久遠の都合というものがある。
アルバイト契約書に目を通しハンコをついたのは久遠である。
このアルバイトが短期間であることを承知で引き受けたのだろうから。
それに紘一郎も気持ちを持っていく場所に困っていた。
この恋は叶わないものなのだ、だから見ているだけでいい、そう思っていたのに、好きだという気持ちばかりがどんどん膨らんで、それに比例して久遠に触れたいという欲望が大きくなっていたのだ。
デスクで作業している久遠の後ろを通りかかったときには、無防備な項にゴクンと唾を飲み込み、くったくのない笑みを浮かべられれば、自分に対して雇用主以上の感情を持たない久遠に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
申し訳ないのに好きでたまらない。
幸せな気持ちなのに苦しい。
そんな矛盾に紘一郎自身が耐えられそうになかったのだ。
そんな感情を抱いたまま迎えた、歓送迎会。
みんなに惜しまれつつも笑顔を見せる久遠に、自分と久遠との気持ちの差が淋しくて、紘一郎はどんどんグラスを空けた。
酒には強い方だが、ワインにビール、焼酎に日本酒、ありとあらゆるアルコールを注がれるままに飲んでいれば、さすがの紘一郎もすっかり酔いが回ってしまい、気がつくと自分の部屋のベッドだった。
カッターシャツの胸ボタンは上から数個外されて、ベルトも緩められていた。
カーテンの隙間から差し込む光で、すでに夜が明けているのだと認識し、まだ少し朦朧とする頭でゆっくり考えて、昨夜の飲み会での失態を思い出した。
自分の足で帰って来たのだろうか、それとも神谷が送ってくれたのだろうかと疑問に思いながらのそりとベッドから起き上がり、冷たい水が欲しいとキッチンへ向かうところで、リビングのベッドで大きなタオルケットに包まっている人型を見つけ驚き、それが久遠だとわかってさらに驚き慄いた。
もしかして久遠が送ってきてくれたのだろうか、とにかく気持ちを落ち着けようと寝室に戻り、メールの着信に気づいた。
予想通り神谷からで、そこには、紘一郎が久遠に寄りかかるように眠り込んでしまったこと、久遠がどうしても紘一郎を送って行くと聞かなくて、ふたりを無理やりタクシーに押し込めたこと、そして最後に『ガンバレ』と書いてあった。ハートの絵文字つきで。
ボーっとしていた頭がどんどんはっきりとしてくる。
それと比例してどんどん記憶も戻ってきた。
久遠に肩を貸してもらってタクシーを降りて、マンションのベッドに倒れるように転がされて・・・・・・
眠るには苦しいだろうとシャツのボタンを外されベルトを緩められ、冷たい水を汲んでこようとした久遠の腕を掴んで。
「わ〜〜〜っ!」
そこまで思い出して紘一郎は頭を掻き毟った。
言った。確か言ったはずだ。
『きみが好きだ』と。
ボタンを外す指がシャツ越しに肌をくすぐり、至近距離に久遠の気配を感じ、我慢できなくなった。
ぐでんぐでんに酔っていたはずなのに、その瞬間だけ頭がクリアになり、気がつけばその言葉を口にしていた。
酔いが紘一郎を後押ししたのは間違いない。
だけど気持ちは本物だ。正真正銘紘一郎の素直な気持ちだ。
目を瞠り、驚いたような久遠の表情。
まるで恐ろしいものを見るかのような表情に、紘一郎は後悔した。
しばらくして真っ赤になって俯いてしまった久遠に『ゴメン』と謝った。
言わないほうがよかった。
紘一郎は素直な気持ちを口にしただけだが、聞かされた久遠は不快だろう。
たとえ気がなくてかわいらしい女の子からコクられるのと、いい年こいたオッサンからコクられるのでは全く違う。
紘一郎は俯いたまま顔を上げない久遠が気の毒になってきた。
『不快な思いをさせてゴメン。忘れてくれ』
今日が最後でよかった。
しばらくは気持ち悪すぎでどうしようもないかもしれないが、そのうち、きっとオッサンのことなんかすぐに忘れるだろう。
『手・・・・・・』
消えるような小さな声で囁かれ、紘一郎はずっと久遠の腕を握っていたことに気づき、手を離した。
『鍵開けたままでいいから』
別れの言葉もいらないだろうと、それだけを伝えた紘一郎に、久遠は何ていっただろう。
「あっ・・・・・・」
そう、そうだ。そうだった。
紘一郎は自分の頬を叩いた。痛い。抓っても見た。やはり痛い。
ということは・・・・・・
紘一郎の記憶に残っている久遠の言葉は夢じゃないのだ。
久遠は確かに言ったのだ。
『ぼくも・・・・・好きです』と。






*** *** ***






付き合いが始まり、紘一郎は信じられない気持ちで毎日を過ごした。
お互い忙しかったが、できるだけ時間をやりくりしては同じ時間を過ごした。
昼間は紘一郎は仕事、久遠は大学の講義があるから、夕食を共にすることが多かった。
何しろ紘一郎にとっては、初めての恋愛だ。
すっかり舞い上がっており、神谷からは「仕事中にデレデレした顔を見せるな!」と何度も言われた。
久遠と付き合うようになって紘一郎は気付いた。
どうやら久遠は紘一郎のことをカッコいい大人の男だと思っているらしいのだ。
無理もない。
このルックスでこの年齢。経験豊富だと思われるのは当たり前のことである。
実はキスだってしたことないなんてそんな恥ずかしいこと口が裂けても言えない。
紘一郎も久遠の期待を裏切りたくないと、恋愛マニュアル本で恋人としての振る舞いを研究し、タウンガイドでお洒落なレストランはカフェをリサーチした。
久遠の前では恋愛経験豊富な大人の男を演じ、そんな自分に酔いしれていた。
しかし、どんなに見かけだけ取り繕っても、経験不足は否めない。
頑張って手を握るまではいったものの、それ以上なかなか踏み込めなかった。
ふとした瞬間、そういう雰囲気になることはあった。
例えば夜の公園のベンチで並んで座っているときや、遠出をしようと休日にドライブに出かけた帰りの車内とか。
だけど経験不足は、そんな空気をぎこちない空気に変えてしまうのだった。
神谷には、今時小学生でもそんな恋愛はしないと馬鹿にされたが。
あれは1ヶ月ほど前だっただろうか。
付き合い始めた夏前から半年が経とうかというころだった。
街がクリスマスのイルミネーションに彩られ始め、自然と気持ちもクリスマスムードの包まれる。
郊外のレストランで食事をした帰り、久遠を送って行ったときだった。
『クリスマスプレゼント、欲しいものはありますか?』
別れ際に聞かれて紘一郎は考え込んだ。
すでにクリスマスは一緒に過ごすことを決めていた。
数日前、同じ台詞を紘一郎が久遠に対して発していたのだった。
最初、久遠はそんなのいらないと固辞していたが、クリスマスだからという紘一郎の言葉に『あなたの選んでくれたものなら何でも嬉しい』と照れながら答えてくれた。
紘一郎だって久遠からのプレゼントなら何でも嬉しい。
だけど同じ答えなんてつまらない。
大人のカッコいい男はもっと気の利いたことを言うはずだ。
そして紘一郎は言ったのだった。
歯の浮くような恥ずかしい言葉を、真剣な顔で。
『君が欲しい』と。






*** *** ***






(あの時、茹蛸のように真っ赤になった久遠、かわいかったなぁ)
思い出すと顔がにやける。
返事をもらえないまま、寒いから家に入るように促し別れた数分後、着信したメールを見て紘一郎は喜びを隠しきれずに大声で叫んだ。
タクシーの運転手が驚いて急ブレーキを踏んだくらいだ。
メールの返事はひとこと。
『わかりました』
いったいどんな顔をしてこのメールを打ったのだろう。
ますます愛しさが募った。
そして今日まで会えずじまい。
だが、会う時間がなくてよかったかもしれないと紘一郎は思っている。
どんな顔をして会えばいいのかわからない。
しまりのない、デレデレした顔を久遠に見られるのはなんとしても避けたかったから。
久遠のほうも心の準備をする時間が必要だろうから。






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