christmas serenade







第三話






仕事が終わってから厨房を借り、帰ってからもいろんな本に目を通して、結局凛が提案したのは、シンプルなチョコレートブラウニーとチョコレートトリュフだった。
お菓子作りの知識もない凛にとっては、自分が失敗なくできるであろう精一杯の作品だ。
だいたいあのレアチーズケーキだって、レシピはオーナー夫人に教えてもらったもので、凛はそのレシピを忠実に再現しただけだ。ただほんの少しだけ、レモンの風味を強くしたけれど。
それに毎日ショーケースに並ぶスイーツも、昔からの定番商品で懐かしいお菓子ばかりだった。
それは夫人の頭にベーカリーショップのお菓子というのが頭にあるようで、スイーツ専門店の煌びやかな、女の子が目を輝かせるような商品は何一つない。
苺のショートケーキ、モンブラン、チョコレートケーキ、シュークリーム、カスタードプリン、レモンケーキ、マドレーヌなどなど・・・
今ではコンビニで簡単に買える商品ばかり。
それでも人気が高いのは味が良いのとパンとあまり変わらない値段設定のせいだろう。
だからこそ、凛はシンプルさで勝負したいと思ったのだ。








「これを選んだわけは?」
オーナーに問われて、凛は思っていることを正直に話した。
「おれ・・・いや、ぼくには専門的な知識もないし技術もない。オリジナルのスイーツを作り出すことなんて本当はとんでもないことなんです。だから、定番のお菓子に少しだけ手を加えました。それにうちの店はスイーツを売ってはいてもパンがメインなので、あまり凝ったものも合わない気がして。実際少し足を伸ばせば有名店が豪華なバレンタインチョコやケーキを売り出していて簡単にそれらを手に入れることができます。だからきっとうちで予約してくれる人は、近所の人だったりパンを買ってくれる常連さんだと思うんです」
夫人が皿の上のスイーツに視線を走らせた。
「そうね・・・これならラッピングを少し贅沢にしても千円くらいで売れそうだけど。でもバレンタインチョコにしては地味じゃないかしら?」
それは凛も考えた。チョコを使用することで否が応でも出来上がるのは茶色の物体だ。それをフルーツやらクリームやらでデコレートすることにより綺麗で可愛らしい商品が出来上がるのだ。
だが、凛が作った試作品は、まったくシンプルなチョコレート色一色のブラウニー。それだけではあまりに味気ないので、隣に刻んだホワイトチョコと抹茶ををまぶしたトリュフを添えたのだ。

「確かに見た目も大切です。でもいちばん大切なのは好きだという気持ちだと思うんです。シンプルな分、その気持ちでお客様自身がデコレートしてほしい。豪華に飾られたチョコも素敵だけれど、ぼくはこのシンプルさも素敵だと思います。バレンタインデーのメインはチョコではなく、気持ちを伝えることなんですから・・・」
言い訳と思われるかもしれない。事実凛には茶色の物体を豪華に演出する技術もないのだ。
だからこそ、たとえ見た目はシンプルでも、味だけは自信を持てるスイーツにしたかったのだ。

「それともうひとつあります。女性が男性にチョコレートを贈るシチュエーションは星の数ほどあると思うんです」
「シチュエーション?」
「はい。みんながみんなお皿とナイフ・フォークがある場所でその瞬間を迎えるとは限らない。もしかしたら公園で、あるいは道端でその瞬間がやってくるかもしれない。そんな時でも、もしその場で包装をといて食べてくれたら・・・女性は嬉しいものでしょ?」
「そうね〜『開けてもいい?』なんて聞かれてその場で食べてくれたら・・・やだ、何だか想像しただけで照れちゃうわ」
夫人は少女趣味なところがあって乙女チックなこういう話がとても大好きだ。
「それを考えたら、指先でつまんで食べられる、一口サイズのものが適してるんじゃないかと思いました」
もちろん凛の作ったスイーツを食べるのは、すでに恋人同士の関係のカップルかもしれないし、結婚しているカップルかもしれない。
けれど、学生の利用も多いこの店なら、片思いの男性への告白に、これを買う女性もいるかもしれない。凛はそう考えたのだ。

凛くんてばロマンチストね〜、とすっかり仕事中だということを忘れている夫人の横で、オーナーは黙っていた。
ちょっと力が入りすぎただろうかと、凛は少し後悔した。生意気だと思われたかもしれない。
この店に就職してから、凛は自分の主張をここまで誇示したことはなかった。いや、今まで生きてきて、こんなに一生懸命になったこともないかもしれない。
おそらく、隆弘の影響が大きい。
隆弘は、凛もびっくりするくらい仕事に対してはシビアで自信家だ。もちろんやることなすこと成功させているわけではないし、失敗談も話してくれる。けれど、それをもプラスに変えてしまう力を持っているのだ。
そんな隆弘が凛は大好きだ。やっとひとりで動けるようになったと嬉しそうに話していたのは数ヶ月前のことなのに、もう大きな取引を任されている。
まだ社会人1年目の自分を隆弘を比べるのは不相応だが、いつかは追いつきたいと思っている。
今は隆弘に気を使わせてばかりだけど、近い将来は対等になりたいと思っている。
ずっと一緒にいられるとは思っていない。
人の気持ちなんて移り変わりの激しいものだと理解しているからこそ、小さなチャンスもしっかり自分のモノにしたいのだ。

調理台に置かれた皿から、オーナーがブラウニーをつまみ上げ口へと運んだ。
息を飲んでその様子を見つめる。
「これ・・・粒あんか?」
「あ、はい」
オーナーの言葉に夫人もブラウニーをつまんだ。
「あら、意外と合うのね。チョコとアンコって」
その言葉に凛は少しだけホッとした。
ブラウニーの材料なんてたかが知れていて、どこをどう工夫すればいいのか悩みに悩んだ挙句、考えついたのが少しだけ粒あんを加えることだった。少し砂糖の量を減らし、その分あんを足してみると、想像以上にマッチングしたのだ。
「アンパンは店の人気商品でもありますし、甘さ加減がちょうどいいって男性客の方にも評判なんです。だから、ちょっと加えてみたんですけど・・・・・・」
「ねえ、これなら甘いもの苦手な人もおいしく食べられるわ。ブラウニーの茶色とトリュフの白さのコントラストもいい感じだし。おいしくて食べやすい、これってオーナーのコンセプトにぴったりじゃない」
凛はその言葉にピンときた。なるほどと思った。それは、店で売られているパンが全て食べやすいってことだ。
休みの日には、勉強のために様々なパン屋を回ることが多いが、おいしそうだと思って購入していざ食べてみると、口のまわりにべっとりクリームがついたり、具材が零れ落ちたりすることがある。豪華な見栄えのものであればあるほどそんな目に合うことが多かった。
だけど、オーナーの作るパンは違う。
ひとつひとつのパンの形もさほど大きくはない。クリームやフルーツの飾りつけもいかにもってくらいこんもり盛り付けると怒られた。サンドイッチの具もポロポロ零れないように工夫されていた。
小ぶりな分、値段も抑えられているから、ひとりあたりの購入数が多いのがこの店の特徴だった。
オーナーのそんな気持ちを無意識なうちに感じていたのかもしれないと思うと、凛はとても嬉しい。
結局、夫人の後押しもあって、凛の提案は採用された。
20セットだけだからと包装も全てまかされたから、翌日は箱やらラッピング材料を仕入れるために、街の雑貨店を回った。
予約はすぐにいっぱいになり、少しでもおいしい商品を作りたいと、凛は毎日厨房を借りては試行錯誤を繰り返した。
夫人の提案もあり、オーナー自慢のカスタードを使用したミニシューもつけることにして、出来上がったサンプル品はなかなかの出来映えになった。
あとは、バレンタインデー当日を待つだけだ。
凛のヤル気は俄然高まった。












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