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その9
「ふぅ〜腹いっぱい」
持ってきた食材を食べつくし、啓人はお腹をさすりながらそばにあった大きな平岩にごろんと寝転がった。
「おいおい、食べてすぐに横になったら牛になるぞ」
笑いながら幸太郎がその傍らに腰を下ろすのを、陽人は目で追っていた。
青い空と緑の木々。川のせせらぎ。
新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、陽人は彼らからほんの少しだけ離れた小さな岩に腰掛けた。
遊園地がいいと最後まで主張した啓人を説き伏せてやってきたのは、車で2時間ばかりの山の中。
アウトドア派だという杉島のお勧めスポットらしい。
「遊園地、行きたかったんだけどなぁ」
「オトコ4人で遊園地なんてサムイだけだろうが。そんなに行きたいんだったら幸太郎に連れてってもらえ」
ポツリとつぶやいた啓人に、杉島がぶっきらぼうに応える。
陽人はそんなやりとりを口を挟むでもなく、ただ眺めていた。
杉島ときちんとした形で対面したのは今朝のことだ。
待ち合わせのコンビニに啓人と到着すると、すでに杉島は車に持たれてタバコをふかしていた。
大きなメタリックシルバーの4WDには、バーベキューの鉄板や燃料が積まれていた。
啓人が声をかけると、杉島は視線をこちらに向け、軽く手を上げた。
『こいつがおれのアニキ。一度会ったことあるんだよね』
『会ったっつっても、見かけたっつう程度だろ』
杉島はレザーの小さなポーチにタバコを突っ込むと、名前を名乗った陽人と啓人を見比べて呟いた。
『おまえら、見分けつかねぇほどそっくりだな』
『そうなんだよ〜コウちゃんも間違えるんだよ?酷いと思わない?』
年下なのにタメ口の啓人を気にするでもない杉島は、胸にカラフルなデザインが施されている黒いTシャツにジーンズ。シルバーのチェーンが腰にぶら下がっていた。
車を覗き込んではしゃいでいる啓介をよそに、こんなふうに他人の車で出かけるのは初めてのことで、陽人はどうしていいかわからず、車の横に突っ立っていた。
『人見知りするタイプ?』
突然問いかけられて、肩をビクリと揺らすと、目の前に杉島が立っていた。
『え、あ、あの・・・・・・』
口ごもる陽人を刺すような視線で見つめると、杉島は言った。
『ま、ふたりの邪魔しないように、気をつけようや』
そろそろ幸太郎を拾いにいくか、と運転席に乗り込む杉島に、やっぱり苦手なタイプかも、と再確認したのだった。
幸太郎の家で食材を積むと、陽人は助手席に座った。
幸太郎は、陽人と一緒に後ろに乗るよう啓人に言ったけれど、啓人は強引に幸太郎を後部座席に押し込んだのだ。
誰も意義をとなえることはなく、幸太郎だけが申しわけなさそうな表情を見せた。
杉島は、見た目とおり自分から話題を作る性格ではないようで、黙ったままハンドルを握っていた。いつになく浮かれてはしゃいでいる啓人が幸太郎に甘える姿が、時折バックミラーに映り、そのたび陽人は目を伏せた。
杉島に陽人を紹介すると張り切っていた啓人に話を振られれば答えてはいたけれど、杉島がそれを聞いていたのかはわからない。
あまり会話することなく、現地に到着し、それからは黙々とバーベキューの準備をしていた。
もともと人と話すのは得意ではない陽人だから、言われるままに手と身体を動かしていただけだった。
「おまえ、ちゃんと食ったか」
焦げた鉄板の炭を落としながら、杉島は陽人に尋ねる。
声を掛けられるなんて思ってもみなかったから、陽人は驚いた。
杉島は陽人にはまるで関心なさそうだったからだ。
もともと今回のことを計画したのは啓人だ。杉島ももしかすると無理やり参加させられたのかもしれない。
杉島は真性ゲイであり女性は恋愛対象にならないそうだが、その手の店に行けばモテるだろうし、それだけの容姿を持ち合わせていた。
だから、陽人を紹介するのだと息巻いているのは啓人の勝手な行動であって、杉島には迷惑なのかもしれないと陽人は感じていた。
なぜなら杉島は、陽人にほとんど声もかけなければ絡んでもこなかったし、啓人や幸太郎に対する態度と陽人へのそれとは全く違っていたのだから。
「あ、はい」
返事をしても、杉島はそれに答えるわけでもなく、黙々と鉄板に向かって手を動かしている。
陽人は小さくため息をついた。
向こうには、仲睦まじそうな啓人と幸太郎が見える。
ゴロンと横になっていた啓人だが、幸太郎に起こされたのか、ふたりは寄り添うように座っていた。
杉島が持参した釣り道具を手にとって、楽しそうに話をしている。陽人の方が風上にいるため、何を話しているのかは聞こえなかった。
『アキ、もしかしてコウちゃんのこと好き?』
啓人に聞かれてから、陽人は努めて幸太郎を意識しないようにしていた。
どう思ったのか、啓人はそれからもなんら変わりない態度で陽人に接してくれるが、本心は計り知れない。
しかし、啓人がそういう疑問を持ったということは、陽人の幸太郎に対する態度に何らかの問題があったに違いないのだ。
あれ以来、現在も続いている家庭教師の時間は、バイオリンのレッスンがあるからと半分くらい欠席していたし、参加する場合でも、参考書と問題集に集中するようにして、自分から話しかけないようにした。
もともとの性格が幸いして、陽人が無口になったところで疑問視されることはなかった。
少し欲張りすぎたのかもしれないと、陽人は反省した。
もう会うことはないだろうと諦めていた幸太郎と再会し、思いがけず同じ時間を過ごす幸運に恵まれた。たとえ幸太郎が自分のことを見てくれていなくても、同じ遺伝子を持つ啓人のことを好きでいてくれればそれで満足だった。
それがひょんな偶然からふたりっきりの時間を持つことができ、優しい言葉をかけられ、陽人は天にも昇る気持ちになったのだ。
自分とそっくりの啓人ではなく、陽人自身に向けられる笑みは、陽人の秘めた想いを燃え上がらせるのに十分だった。
決してのぞかせてはいけなかった恋心が、ひょっこり顔を出してしまったのかもしれない。
「・・・・・・、・・・・・・と、陽人ってば!」
戻ってきた意識と一緒に飛び込んできたのは、自分と同じ顔。
覗き込まれて思わず仰け反った陽人は、慌てて返事をした。
「あ、ご、ごめん。なに?」
「少し上流に魚の集まるポイントがあるんだって。陽人も行く?」
見れば幸太郎が釣り道具一式を持って手を上げていた。
目を移せば、杉島は釣りに参加する気はないらしく、岩石で新たにかまどを組んでいる。
陽人の視線に気づいたのか、啓人は杉島を見やった。
「釣った魚、丸焼きにするんだって。そのためのかまど作っておいてくれるんだ。だてにアウトドア派って自負してないね」
「ヒロ〜。陽人くーん。ほら、行くぞぉ〜」
幸太郎が釣竿を掲げて呼んでいるのに、啓人が「ちょっと待ってくれよ」と答えていた。
「どうすんだよ。アキ」
行くのか行かないのか、陽人に委ねている割りには、啓人が本気で陽人を誘っているわけでないのを感じてしまう。
「いいよ、おれは杉島さんの手伝いをするから。ヒロ、幸太郎さんと行っといでよ」
陽人が啓人の望んでいる答えを口にすると、啓人は笑顔で幸太郎の方へと駆けて行った。
その後ろ姿を見送りながら、陽人は大きく息を吸い込み、幸太郎への想いを心の奥底へと封じ込めた。
そして、自分のスタンスを再確認してから、大きく息を吐いた。
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