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その7






「なあ、アキぃ」
風呂から上がって明日の準備をしている陽人に、啓人が問いかける。
「何?」
陽人は揃えた教科書をカバンに詰め込むと、イスに腰掛けて啓人を振り返った。
ここ数週間、啓人がこの部屋を訪ねてくることがなかった。
だいたいにして以前から啓人がここにやってくるのは、幸太郎とのことを話すためだったから、啓人が陽人に用事がないということは、ふたりが上手くいっている証拠だと陽人は思っていた。
週2回の家庭教師の時間も、ふたりに何の変化もなかった。
変わったといえば、陽人の幸太郎に対する気持ちだけだ。
カフェで幸太郎と過ごした時間は、陽人の恋心をますます膨らませた。
幸太郎は啓人の恋人で、どうしようもないとわかっているのに、好きだと思う気持ちが会うたびに募ってゆく。
どうしようもない、どうしようとも思わないからこそ、恋情だけが陽人の心の中でどんどん育っていた。
思うくらいいいじゃないか、誰にも迷惑はかけない、ただ好きなだけなんだ。
そんな気持ちが幸太郎への思いに拍車をかけた。








見てるだけでいい・・・何も期待しない・・・・・・








だから、啓人と幸太郎が上手くいっていても悲しいなんて気持ちは少しも芽生えなかった。
むしろ、だからこそ、幸太郎はこの家に来てくれるんだ、そう思っていた。
「幸太郎さんとケンカもでしたの?」
冗談交じりに陽人が笑えば、啓人がギュッとくちびるを噛む。
「えっ?ヒロ・・・?」
顔をしかめた啓人に戸惑って次の言葉を探していると、先に啓人が口を開いた。
「アキ、コウちゃんと駅前のカフェに行った・・・?」
フローリングに座り込んでいる啓人が、上目遣いに陽人の様子を窺う。
「えっ、あっ・・・・・・」
昔から嘘のつけない陽人は、突然の質問にうろたえてしまった。
これでは肯定しているのも同じだ。
「いつ?」
はいもいいえも言わせない啓人の抑圧の効いた口調に、陽人は応戦することもできなかった。
「3週間くらい前・・・かな」
「どうして黙ってた?コウちゃんに誘われた?それともアキが誘った?」
「ち、違うよ!学校の帰りに偶然会って、それでっ・・・」
しどろもどろ、懸命に答える陽人に、突然啓人がクスクスと笑いだした。
「いいよいいよ!アキってば何おろおろしてんだよ」
「ヒ、ヒロ・・・?」
ころころ変わる啓人の態度に陽人が戸惑いを隠せないでいると、啓人が陽人を見上げた。
「あそこのカフェさ、オープンした当初行きたいって言ったのにさ、コウちゃんってばああいうカフェはオンナ連れで行くところだとか何とか言って連れてってくれなかったんだ」
啓人は抱えていたクッションを拳でパシパシ叩きながら話を続けた。
「なのにさ、昨日突然ここのカフェラテは上手いんだなんて言いだすものだから、誰かオンナとでも行ったのかと思って、おれ、詰問したんだよね。したら、アキと行ったなんて言いだすもんだから・・・・・・」
ああそうか、と陽人は気持ちを持て余すようにクッションに当たり続ける啓人に視線を向けた。
幸太郎との付き合いを、まるで何の不安もないように思わせている啓人だけれど、彼は彼なりに不安を抱えているのだと、陽人は同性の恋人を持つ弟の気持ちを初めて理解した。
「幸太郎さんは嘘なんてついてないよ?幸太郎さんはちゃんとヒロのこと大事に思ってるよ」
「そう思うか?アキ、ほんとにそう思うか?」
縋りつくような視線を陽人に向けながら、啓人は陽人の言葉を待っている。
いつもは元気で幸太郎にも平気で生意気な口を利く啓人も、陽人の前では弱い部分もさらけ出す。
そんな啓人を陽人はかわいいと思った。
「でないと、家庭教師だって引き受けないだろ?それ以前に同性となんて付き合わないよ。幸太郎さんって・・・男が好きな人じゃないんだろ?」
同性の恋人ができたと啓人が陽人に告白した時にそのことは知った。
好きだなんて告白した自分を気持ち悪がることもなく、しかも気持ちを受け入れてくれたと、啓人はそれは嬉しそうに陽人に話してきかせたのだ。
「なあ、アキ・・・」
「なに?」
啓人の真剣な口調に、まだ幸太郎を信用していないのだろうかと陽人は首をかしげたのだが、続いた言葉は想像を超えたものだった。
「アキ、もしかしてコウちゃんのこと好き?」
どうして突然そんなことを言い出すのだろう。
しかもそれは真実をついていて、陽人を動揺させた。
「ど、どうして?」
幸太郎への気持ちは隠していたつもりだ。
必要以上に近づかなければ会話もしないように心がけていたのだから。
「アキもおれと同じで恋愛対象は同性だよな?違う?」
陽人は否定できなかった。
なぜなら啓人は陽人に正直に自分の性癖を告白したのに、自分だけが誤魔化すなんてできなかった。
黙りこんでしまった陽人をチラリと見ると、啓人は「おれたち同じ遺伝子持ってるんだもんな」と呟いた。
そしてそれ以上追求してこなかった。
陽人の心のざわめきがおさまることはなく、最後の啓人の呟きの意味を、ただただ考えていた。








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