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その6






連れてこられたのは、先日開店したばかりのオープンカフェ。
すっかり陽が高くなり、まだ明るい陽射しが心地よいテラスに並んで腰を下ろすと、陽人はカフェ・ラテをオーダーした。
家庭教師の時間のように向かい合って座るのも緊張するけれど、今のように隣り合って座るのはもっと緊張する。
カフェ特有の小さなテーブルは、肘が当たりそうなほどの距離しかふたりに与えてくれない。
お茶するには遅く夕食には早い中途半端な時間だからか、ひとりノートパソコンに向かっているサラリーマンや、道行く人を眺めているOL風の女性などひとり客が多い中、男同士の二人連れはその場に不釣合いなのか、通りを歩く人の視線が陽人は気になって仕方がない。
もとからこういうお洒落な場所には縁遠い生活を送っているし、制服のまま飲食店に入ったのも初めてだった。
しかも隣りにいるのは幸太郎。
ドキドキと通しこしてバクバクと音をたてる心音が聞こえやしないかと、陽人は身を小さくした。
幸太郎はずっと黙ったままだ。
お茶に誘ったのはいいけれど、無口な陽人を持て余しているのかも知れないと不安になるが、気の聞いた会話なんてできるわけもなく、陽人は視線をあげることもできなかった。
どうして自分はこんな性格なのだろう。
啓人だったら、きっと幸太郎を飽きさせることなんてないだろう。
こんな無意味な時間を幸太郎に過ごさせるなんて・・・・・・
オーダーしたカフェ・ラテが運ばれてきて、陽人はやっと視線を上げると、ストローをグラスに差し込んだ。
「それ、おいしい?」
隣りから幸太郎が陽人を覗きこむように問いかける。
「あ、そんなに甘くなくて、すっきりしてておいしいです」
「じゃあ、ちょっとだけちょうだい?」
「えっ?」
幸太郎は陽人の返事を待たず、グラスを自分の方に引き寄せると何の抵抗もなくストローに口をつけた。
「あっ・・・」
思わず陽人の口から零れた言葉に、「あ、取られるのヤだった?」と幸太郎がニカッと笑う。
陽人はブンブンと首を横に振った。






嫌なわけがない・・・嫌なわけが・・・・・・






「お返しにこれ味見してもいいよ」
幸太郎はそういうと、自分のグラスを陽人の前に滑らせた。
さっき幸太郎が口にしたストローに目が釘付けになる。
その視線の先を察知したのか、幸太郎が慌ててそのストローに指先を伸ばした。
「あ、ごめんごめん。おれ、こういうの全く抵抗ないからさ。やっぱり人の口つけたのなんて気持ち悪いよな」
指先でストローの口をキュッキュと拭うと、「新しいの貰おう」とギャルソンを呼ぼうとした。
「そ、そんなことないです!これでいいですから!」
陽人は目の前のアイスコーヒーに突き刺さったストローに口をつけた。
幸太郎が陽人のストローに口をつけた時よりも胸が高鳴り、甘い疼きに襲われる。
苦いとか甘いとか、味覚なんてどうでもよかった。
いつもこっそり盗み見ていた、形のよい薄いくちびるが触れた場所に自分もくちづける・・・
その行為は想像以上に甘美で、陽人と恍惚とさせた。
「どう?ってったって、ただのアイスコーヒーだっつうのな!」
幸太郎に笑いかけられ陽人もつられて笑顔になる。
幸太郎と間接キスをしたという事実が、自己嫌悪に陥っていた陽人の気持ちをいいように高ぶらせた。
それからは、幸太郎とゆっくり話をするのが初めてだったことも幸いして、幸太郎の質問に陽人が答えるという会話形式で、いかばかりか会話も弾んだ。
ふたりの共通点といえば啓人なのに、どうしてだか幸太郎の口から啓人の名前が出ることがなかった。
好きな音楽のこと、最近読んだ小説のこと、ずっと続けているバイオリンのことなど、幸太郎は無口な陽人でも簡単に答えることができる話題を見つけては陽人に口を開かせ、促されるまま会話に夢中になっている自分に陽人は驚いていた。
幸太郎との夢のような時間。
まるで自分が啓人で幸太郎の恋人であるかのような錯覚。
しかし、そんなことはあるはずもなく・・・・・・
グラスの中の氷が解けてしまった頃、幸太郎はマジマジと陽人の顔を見つめ、初めてその名を口にした。
「きみは本当に啓人にそっくりだよね」
その一言で陽人は簡単に現実に引き戻された。
おそらく幸太郎にとっては何の他意もない、見たまま思ったままの言葉だったに過ぎないのだが、それは陽人にダメージを与えるに十分だった。
啓人が陽人に似ているのではなく、あくまでも陽人が啓人に似ているのだ。
それは、幸太郎にとっての基準は啓人であるということを示していた。
「付き合って半年になるっていうのに、さっき見分けがつかなかったからな」
啓人に知れたら怒られそうだから黙っててくれよな、と陽人に笑顔を向ける。
陽人はストローで小さくなった氷を突付きながら、それに笑顔で応えた。
「似てるのは顔だけですから。性格なんて正反対だし」
「ほんっとそうだよな。似てるのは外見だけだ」
ハハハと笑う幸太郎に笑みを返しながらも、陽人の心はじんじん痛みを訴える。
「おれってほんとつまんないヤツなんです。何をやっても啓人にはかなわないし」
言ってしまってから、捻くれた感情だと思われやしないかと後悔した。
しかし、そんな後悔もほんの一瞬のことだった。
だって、本当のことだから。
きっと幸太郎もそう思っているに違いない。
『似てるのは外見だけ』
さっきの幸太郎の台詞が陽人の中でリフレインしていた。
幸太郎はいつも明るい啓人と一緒にいるのだから、陽人との時間なんてつまらなかっただろう。
無口な陽人に気を使うばかりで、きっと疲れたに違いない。
そっくり同じ顔に少しばかり興味があったから誘ってみたが、さぞかし期待ハズレだっただろう。
それとも、ふたりを間違えたことを口止めするために誘っただけかもしれない。
何にせよ、陽人自身に興味を持ったわけれはないことだけは確実だ。
陽人はおかしかった。
今さら傷ついたように心の痛みを訴える自分がおかしかった。
そんなこと、最初からわかりきっていることなのに・・・・・・
「今日は、啓人と約束していたんですか?」
自分の馬鹿さ加減を自覚してやっと、滑らかに口から言葉が零れた。
初めての陽人からの問いかけに、幸太郎は一瞬面食らったようだったが、すぐにいつもの柔らかな表情に戻った。
「そうじゃないんだけどさ。あいつが見たがってたDVDを友達から借りたから見に来いって誘ったら、先約があるって断られたんだよ。それなのにひとりブラブラしてるから嘘つかれたのかと思って。まさか陽人くんが学校帰りに寄り道するなんて思ってもみなかったから・・・陽人くんは?買い物だった?レッスンは?」
「おれは・・・今日はレッスンも休みだからCDショップに寄った帰りです」
「そっか・・・・・・」
そこで会話が途切れた。
ちょうどキリがいい。
これ以上、啓人と比べられるのは、慣れているとはいえさすがに耐えられそうになかった。
じゃあ、と言いかけた陽人より先に幸太郎が口を開く。
「さっきの話だけれど・・・」
陽人が何のことかわからずにいると、幸太郎は真っ直ぐ陽人を見つめた。
「陽人くんはつまんない人間なんかじゃない」
「えっ?」
「陽人くんとはまだ出会って間もないけれど、おれはキミのことをそういう風に思ったことはないよ」
幸太郎は諭すような優しい口調で陽人に語りかける。
「キミはいつだってちゃんと予習・復習してからおれとの時間に臨んでくれるし、おれの説明を一生懸命聞いてくれる。今日だっておれの質問に丁寧に答えてくれた」
「でもっ、それは当たり前のことで―――」
「その当たり前のことができない人間が世の中にはたくさんいるんだよ」
幸太郎は優しく陽人に微笑みかけた。
「啓人には啓人の、陽人くんには陽人くんの良さがある。周りの人がどんなことをキミに言うのかわからないけれど、少なくともおれはキミを素敵だと思うよ」
「幸太郎さん・・・・・・」
「人を尊敬することはとても大切だけれど、それは自分の良さを認めた上でのことだ。そう思わないか?」
幸太郎の言葉を、陽人は胸いっぱいに受け止めた。
ほんの少しだけ、心が軽くなったような・・・気がした。










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