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その30







何をわかっていたというのだろう。
双子だから、いつも一緒だから、気持ちは通じ合っていると信じていた。
しかし、結局、陽人は啓人のことを何もわかっていなかったのだ。
今日、どんな想いで陽人を見送ってくれたのだろう。
どんな想いで、励ましの言葉を口にしたのだろう。
「ヒロ・・・・・・」
そして思う。
幸太郎は陽人を好きだと言ってくれた。そして陽人も幸太郎のことが好きだ。
両想い、気持ちが通じあったことになる。
けれども、それは啓人の悲しみや痛みがあってのことだ。
気持ちが通じ合ったからといって、はいそうですか、とすべてを享受し喜べるほど陽人はさばけた性格ではない。
啓人の幸太郎への想いは、陽人の中でずっと消えることはないのだ。
それに陽人は今日この街から出てゆく身だ。
もう帰ってこないと決心していたし諦めてもいた。
幸太郎は陽人を好きだと言ってくれたけれど、一目ぼれだったと言ってくれたけれど、啓人に惹かれていたことも真実だと話してくれた。
もし、陽人が幸太郎と会わなかったら。
啓人が陽人に幸太郎を紹介しなかったら。
今でも幸太郎は啓人を好きでいたのではないだろうか。
陽人は知っている。
明るくて元気でしっかりしている啓人だけれど、本当は人一倍寂しがりやで繊細な心の持ち主であることを。
そして自覚している。
逆におとなしくて控えめな印象の陽人のほうが、むしろ打たれ強くて真の強さを秘めていることを。
せっかく幸太郎が追いかけてきてくれたけれど、啓人の不幸の上に成り立つ幸せを、陽人はそんな簡単に享受することができなかった。
思ってもみなかった幸太郎の熱い思いに舞い上がっていたものの、冷静に考えれば陽人の性格上無理な話だった。
「おれ、もう行かなくちゃ」
陽人はすくっと立ち上がり、ヴァイオリンを手に取った。
「陽人くん」
慌てて立ち上がる幸太郎に、陽人はにこっと笑いかける。
「おれ、もう行かなくちゃ。向こうに着くのが遅くなっちゃうから」
「陽人く―――」
「ありがとう、幸太郎さん」
幸太郎が何かいいかけたが、陽人はかまわず続けた。
「おれ、幸太郎さんに好きだって言ってもらえるなんて考えてもみなかった。今でも夢なんじゃないかって信じられない気持ちだよ」
「おれは・・・ちゃんときみのことが好きだよ」
幸太郎の真摯な言葉に、陽人の心音が跳ね上がる。
大好きな人が紡ぐ甘い言葉は、陽人の弱い部分をストレートに狙い撃ち、決意を崩そうとしているかのようだ。
「うん、ありがとう。何のとりえも魅力もないおれを好きになってくれて。おれのことなんて気にかけてくれる人なんていなかったから、すごく嬉しいです。でも、でもね、幸太郎さん」
陽人はフーッと大きく息を吸った。
「やっぱりヒロのこと考えると、おれには無理です。ヒロがどれほど幸太郎さんのことが好きか、おれは知っているから。ヒロの痛みを、おれも感じてしまうから」
「陽人くん、でもヒロは・・・・・・」
陽人は首を横に振った。
「おれはずっとヒロに甘えていました。ヒロがそばにいてくれたからおれはそれなりに楽しい毎日を過ごしてこれたんだと思ってます。ヒロはおれにとって大切な弟、ううん、大切な存在なんです。それなのに、おれはヒロに酷いことをしてしまった。そして酷いことをされても、ヒロはなおおれのことを思って・・・・・・」
声が震えそうになるのを、ぐっと堪える。
泣くなんて許さない、と陽人は自分を叱りつけた。
「このまま幸太郎さんを受け入れたら、おれはまたヒロに甘えたことになる。だって、おれは何もやっていない。幸太郎さんへの恋情を隠して、ヒロと自分をこっそり置き換えて、自分が傷つくことを恐れていたくせにヒロを傷つけてしまったずるくて最低な人間です」
「違うよ、陽人くん、それは違う」
「ううん、違わないです」
語気を強めた陽人に、幸太郎が悲しそうに口を噤んだ。
陽人に向かって伸びてきた腕が、寸でのところで引っ込められたのを視界の端で確認して、ズキンと心が痛む。
幸太郎の気持ちを拒否したのは陽人なのに、寂しさと未練が心を覆う。
陽人はそれらを振り払うように、ヴァイオリンを抱き締めた。
「おれ、向こうでこれ頑張ります。誰にも頼らず甘えることなく、自分で考えて、自分で行動して、ひとりでちゃんと頑張ります。だから・・・幸太郎さんとはもう会いません」
「陽人くん・・・!」
「幸太郎さんと会うたびに、おれはきっとヒロのことを思い出す。幸太郎さんだってそうだと思う。おれは幸太郎さんに一目ぼれして、幸太郎さんはおれに一目ぼれしてくれた。始まりがその瞬間だったのなら、きっと違っただろうと思います。でもそうはならなかった」
そう、引き合わせてくれた糸は啓人を巻き込んでもつれてしまった。
そして絡まった糸を直そうとして綻んでしまった。
綻びはそのうち・・・切れてしまうに違いない。
切れたら幸太郎には結びなおして欲しいと思う。
遠くに旅立つ陽人と全く同じ糸が、幸太郎の住む街には存在するのだから。
幸太郎が過ごした時間は、陽人よりも啓人のほうがはるかに多い。
幸太郎と啓人との空間に陽人が現れたから、幸太郎は混乱したのだ。
一目ぼれした相手が、恋人と同じ顔をしていたら、戸惑うのも無理はない。
幸太郎は、陽人のことが好きだったから啓人を好きになったと言ったが、啓人のことを本当に好きになっていたから、再び現れた陽人のことが気にかかり、陽人を好きだと勘違いしているのかもしれない。
冷静になった陽人の思考はそんなことを思うようになっていた。
車のクラクションが陽人を現実へと連れ戻す。
本当にそろそろ行かなければならない。
幸太郎は黙りこんだままだった。
足元に視線を落とし、口元をギュッと引き締め、陽人の前に立っていた。
ベンチに置かれた手袋を拾い上げると、陽人は幸太郎に差し出した。
「遅くなっちゃったけど、これ、返します」
受け取らない幸太郎に、無理やり握らせると、触れた手が氷のように冷たかった。
―――少しだけ・・・・・・
そう言い聞かせて、自然を装って幸太郎の手をふわりと握った。
もう思い残すことはない。
願わくば、幸太郎には啓人と仲直りして欲しい。
啓人の別れの言葉が本心だと幸太郎も思ってはいないだろう。
陽人が消えてしまえば、全てが上手くいくような気がしていた。
そう思って陽人は自嘲する。
そんなこと最初からわかっていたことだ。だから陽人はこの街を出てゆくことに決めたのだから。
夢は醒めるものなのだから。
幸太郎もそのうち気付くはずだ。
何がいちばんベストであるのか。
「さよなら」
深々と頭を下げて幸太郎に背を向けて駅へと向かう。
幸太郎は何も言わなかったし、追いかけてもこなかった。















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