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その29
「確信は持てなかったけれど、時々きみの視線を感じることがあったよ。もしかすると、ぼくはそれに気付いていて気付かないフリをしていたのかもしれないね。ごめんね」
「そ、そんな・・・・・・」
陽人はフルフルと首を横に振る。
「杉島によく考えろと言われて、ぼくは頭を悩ませた。誰も傷つかない恋愛なんてないと杉島に何度も言われたけれど、それでもぼくは最善の方法を探っていた。その頃だよ、きみに避けられてることに気付いたのは。ぼくは焦ったよ。きみが大学進学を遠く離れた場所に決めたことを聞かされて、ぼくはますます焦った。きみのことは諦めようと思っていたくせに、会えなければ会えないほどきみのことを考えるようになった。それなのに、ヒロと会うことは止められなくて、ヒロにきみを重ね合わせるようになった。あのライブのチケットも、ヒロが『陽人も好きなんだ』って言ったから苦労してでも手に入れたんだよ。まさかきみが・・・きみが本当に来るとは思わなかったんだけどね」
視線が合って陽人は恥ずかしさのあまり赤くなった。
「あの・・・・・・どうしてぼくってわかったんですか?」
不思議だった。さっき幸太郎も言っていたが、啓人と陽人はよく入れ替わって遊んでいた。
普通の兄弟よりも一緒にいる時間も長かったから、お互いのしぐさの特徴も把握していた。
今となってはそんな遊びをすることもなくなったが、あの時、陽人は啓人になりきれていた自信がある。
一緒に過ごした数時間、幸太郎にバレてはいなかったはずだ。
もし陽人が啓人に成りすましていたと知っていたのなら、それを黙って見過ごすはずがない。
そんなことをするメリットが幸太郎にはないのだから。
陽人の問いに幸太郎は微笑むと、陽人の手からドリンク缶を奪い取りベンチの上に置いた。
そして陽人の手を取ると、手袋を外しにかかる。
思いがけない幸太郎の行動に陽人は抵抗することもできず、驚きに目を見開いて幸太郎を見上げた。
「これ」
幸太郎は遠慮することなく、陽人の指先に触れる。
「こ、幸太郎さ、あ、あのっ、ちょっと・・・」
好きな人に触れられて嫌なはずはないけれど、嬉しいとかそういう感情以上に恥ずかしくて堪らない。
恋愛に免疫の全くない陽人にとってはこんな些細なことですら心臓が跳ね上がるのだ。
「この指だよ」
「指・・・・・・・?」
幸太郎は陽人の左手を持ち上げて指先をそっと撫でる。
手を引っ込めようとしても幸太郎がそれを許さない。
「陽人くんの指先はヴァイオリニストのものだ。普通の人よりも指先が硬い」
「あ・・・・・・」
確かに弦を押さえるために陽人の指先は硬くなっていた。
ヴァイオリンを始めたころは、弾くたびに痛くて泣いたこともある。
「揶揄われているなんて思わなかった。そしてきみの行動の意味を考えた。再会してからのすべてのことを踏まえて一晩考えて、もしかして、ぼくが考えている以上に、ぼくに好意を持ってくれているんじゃないかと、やっと思えるようになったんだ。初めてきみのぼくに対する感情を、真剣に考えたよ。どんな気持ちでヒロに成りすましていたんだろう。どんな気持ちでぼくの隣にいたんだろう。そう考えるといてもたってもいられなくなったんだ。誰が傷つくとか傷つかないとか、綺麗事は吹っ飛んでしまった。ぼくは決めた。ヒロにちゃんと伝えようって」
幸太郎は陽人の手を一度だけギュッと握ると、ちゃんと手袋を嵌めてくれた。
「たぶんね、陽人くん」
幸太郎は陽人に語り続ける。
「ぼくはヒロが傷つくのが怖かったんじゃないと思うんだ。自分の正直な気持ちを吐露することでヒロが傷ついてしまう。そんな自分が許せなかっただけなんだよきっと。ぼくはただすべてを取り繕っていただけなんだ」
「幸太郎さん・・・・・・」
「それにね、ぼくはヒロと別れても、きみにはもう会わないでおこうと思ってたんだ」
「え・・・・・・」
それならどうして今、幸太郎はここにいるのだろう。
どうして追いかけてきたのだろう。
「ヒロはね、きっと全部わかってたんだよ。ぼくの気持ちも。そしてきみの気持ちも」
「ぼく・・・の・・・・・・?」
「ぼくが別れを切り出したら、ヒロはあっさり了承してくれた。大学に行ったらいろんな出会いがあるだろうから、ぼくもその方がいいだろうって思ってた、これからはいい友達になろう、なんて言ってね」
「う、ウソだ!そんなの!だって、ヒロはっ、ヒロは・・・・・・」
啓人は幸太郎のことが本当に本当に好きなのだ。
それは誰よりも近くにいた陽人がいちばん知っている。
それに啓人は幸太郎とそんなことがあったなんて最後まで言わなかった。
自分の恋人である幸太郎に横恋慕し、自分に成りすましてデートをした陽人のに憤慨していたはずなのだ。
「今日のことを教えてくれたのもヒロなんだ」
ヒロの言葉を思い出す。
『アキはきっと幸せになれる』
こうなることがわかっていて、啓人はそう言ったのか。
「お、おれは・・・・・・」
陽人の視界が涙で滲み、頬を伝ったかと思いきや、パンツに染みをこしらえた。
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