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その28







「おれが声をかけた子、それがヒロだったんだけど、知らない男に突然声をかけられたにもかかわらず、全く警戒することはなかった。後で知ったんだけど、ヒロ・・・おれに一目ぼれだったそうだ」
そう言えば、幸太郎を紹介してくれる前に、素敵な人と出会ったとかはしゃいでいた記憶がある。
幸太郎と啓人はその後何度か偶然駅で出会ったそうだ。
だけど陽人は思う。
それはきっと啓人が偶然を装って幸太郎を待っていたんだと。
「おれはヒロにあの日の出来事について問うことはしなかった。話をするようになってヴァイオリンの彼とは別人だということに確信を持った。雰囲気になんとなく違和感があったから」
なのにこの間はどうしてわからなかったんだろうねと、幸太郎は笑うけれど、陽人は笑えなかった。
ヒロのことを考えると、どうしても穏やかになれなかった。
「ヒロのことは真剣だったよ」
陽人の気持ちを推察したかのように幸太郎は言った。
「正直、最初は一目ぼれした彼にそっくりだからという邪な気持ちがあったのは認める。もう出会うことはないかもしれない彼のことを思っているのも無駄のような気がした。だけど、ヒロと話をしているうちに、その明るさとか無邪気さがすんなりおれの心に入ってきて、そんなヒロを可愛いと思うようになったんだ。だから恋人として付き合うことにした」
恋人が出来たと嬉しそうに報告してくれた啓人の顔が思い出される。
同性が恋愛対象になるという性癖を自覚しひとり悩んでいた啓人がやっと手に入れた恋人。
そして啓人が打ち明けてくれたにもかかわらず、同じ性癖を持つくせに啓人に問い詰められるまで隠し続けた自分。
「・・・・・・ヒロ、嬉しそうだった。恋人が出来て、すごくすごく嬉しそうだった・・・ぼくは・・・そんな啓人を見ているのが嬉しくて楽しかった。ヒロを受け入れてくれた人はどんな人なんだろうって・・・・・・」
「ヒロにおれが彼氏だって紹介されて驚いた?」
陽人はコクンと頷いた。
「あの時の男だってすぐにわかった?」
陽人はもう一度コクコクと頷いた。
「おれだってびっくりしたよ。まさかあの子が目の前に現れるなんて。しかもヒロとアニキとして」
「ウソだ!そんなの、だってあの時、幸太郎さんは―――」
そう、あの時、驚く陽人とは正反対に、いたって冷静だった。
ヴァイオリンを拾ってくれた、陽人にとってとても大切なあの日のことを、すっかり忘れているように見えた。
そのことに、少なからず陽人はショックを受けたのだ。
「おれは驚きを隠すのに必死だった。一目ぼれの相手が突然現れたんだ。しかも恋人の双子の兄弟として。だけどおれの恋人はヒロだ。ヒロがおれに何も聞かないからおれもあえて言わなかったけれど、最初の出会いが人違いだったことをヒロは忘れてはいない。おれがきみのことを知っている素振りを少しでも見せれば、聡いヒロは気付くんじゃないか。おれはあの一瞬にそこまで考えてしまった。少なくとも、おれはヒロのことを恋人として好きだったから。今思えばズルイ考えなんだけど、そのときは必死だったんだ」
垣間見た幸太郎の瞳は真っ直ぐ前を、どこか遠くを見つめていた。
「何度もいうようだけれど、ヒロのことは愛しく思っていた。でもきみと再会してぼくの気持ちは揺れた。ねぇ陽人くん、一目ぼれってどこに惹かれるんだろうね。やっぱり容姿なのかな?」
「幸太郎さん・・・・・・」
「きみとヒロは双子で、しかもそっくりな容姿をしている。きみに一目ぼれしたからヒロにも惹かれたんだろうか。それなら言葉は悪いけれど、ぼくにとってきみでもヒロでもどちらでもいいってことになる。きみに再会したからといって悩むことなんてない。ヒロと付き合っていけばいいだけだ。だけどぼくはそうは思えなかった。きみのことを知れば知るほど、きみのことが気になって仕方がなかった。控えめな性格も、ヴァイオリンに一生懸命なところも、ぼくがあの一瞬に感じたきみへの想像通りで、嬉しくなった。抱かなくてもいい劣等感をヒロに対して持っているきみを、助けたいと思った。だけど、それはそんな簡単なことじゃない。もしきみとヒロが赤の他人だったのなら、男として酷い仕打ちかもしれないけれど、感情のままに行動したかもしれない。しかしきみとヒロは双子の兄弟で、その関係は死んでも変わることはない。それにぼくはきみへの気持ちが恋情へと急速に変化していく間も、ヒロのことが好きだった。その『好き』が以前の『好き』と若干変わっていても、ヒロを傷つけることができなかった。 ぼくの気持ちは誰にも気づかれていない。それなら自分が諦めればいいだけなんじゃないか。誰も傷つかない、いちばんいい方法だと考えた。ヒロが杉島を、きみに紹介したいと相談を持ちかけてきたときも、ぼくは諸手を挙げて賛成した。きみがヒロと同じく同性しか好きになれないってことは聞いていたし、杉島はいいヤツだからね」
幸太郎は自分ばかりが話をしていることに気付いたのか、手に持っていた缶コーヒーをグイッと飲むと、しばらく黙り込んだ。
陽人もドリンクを口にする。
甘い潤いがのどを通り、身体にしみ込んでゆく。
「あの・・・・・・」
陽人は思い切って口を開いた。
「あのっ、幸太郎さん、ぼくの気持ち、知ってた・・・・・・?」
幸太郎がフッと笑った。とても残念そうに。
「杉島から匂わされた」
杉島の名前が出てきて陽人は驚いた。
「す、ぎしまさんが?」
「おれは自分の気持ちにケリをつけることでいっぱいいっぱいだった。きみを忘れるためにもっともっとヒロのことを好きになろうと必死だった。きみがぼくをどう思っているかなんて考えなかったし、まさかきみもぼくに恋愛感情を抱いてくれているなんて思ってもみなかった。その点杉島は冷静だった。あいつは外見もあんなだし、言葉も辛辣だけれど間違ったことは絶対に言わない。杉島には一目ぼれしたヴァイオリン少年のことは話していたんだ。だからきみのことを知ってピンときたんだと思う。決してお節介はしないけれど、行くべき方向を指し示してくれる、そんなヤツなんだ、杉島は」
「うん・・・わかる」
杉島は決して優しい言葉をかけてくれないけれど、とても厳しいことを普通に口にするけれど、その瞬間はとても辛いけれど、じっくり考えると杉島の言うことは正論なのだということを、陽人も身を持って知っている。
「杉島ははっきり言ったわけじゃない。でも今思えばおそらくあいつはきみの気持ちを知ってた・・・んだろう?」
迷いながらも陽人は頷いた。隠す必要もない。
「杉島に言われておれはきみと再会してからのことを思い返したけれど、きみに好かれているという確信を見つけることができなかった。見つけたからといってあの時のぼくにはどうしようもなかっただろうけどね」
自嘲気味に幸太郎が吐き捨てるように言った。
「ぼくは・・・ぼくは幸太郎さんはヒロのものだと理解してました。再会した頃はちゃんと割り切ることができていて楽しかった。ヒロに自分を重ね合わせて、こっそり幸せ気分を味わってた。本当に、それだけでよかったんです」
いつから欲張りになってしまったのだろうか。
人のものを欲しがるなんてとんでもないことだと思って生きていた。
世の中望んでも手に入らないものの方が圧倒的に多いのだから、それなら最初から欲しがらなければ悲しい思いをしなくてすむと思っていたのに。















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