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その3






5歳の頃に始めたバイオリンは、陽人にとってとても大切な自己主張のアイテムだ。
たった4本の弦で、優しい音色、悲しい音色、楽しい音色、苦しい音色・・・・・・人間の持つ全ての感情を表現することができると思っている。
クラシック好きな両親に無理やり習わされたバイオリンだったけれど、陽人はその弦楽器に夢中になった。
事した教師の厳しいレッスンも、放課後に遊びの誘いを断ることも、全く苦にならなかった。

バイオリンを手にしている時は自分が主役で、めきめき上達する陽人に両親も喜んだ。
もちろん、今でもバイオリンは大好きだし、ずっと弾いていたいと思う。
だが、深くバイオリンに携わるにつれて、自分の才能の限界も感じていた。
小さな頃は、何も考えなくても、好きだという情熱だけで奏でていればそれなりの結果を見いだせたのに。





だめなんじゃないかって思い始めたのは、高校に入学した頃だった。
初めて出場した小さなコンクールで、陽人は自分の実力を思い知らされた。
そこで陽人は主役になれなかった。居場所さえ見つけられなかった。
そして、そんな小さなコンクールでさえ居場所がない自分が、もっと多数の才能が集まる音大への進学を希望していることを恥ずかしく思った。
気落ちした陽人と同様に、教師も落胆の色を隠せない様子だった。
そして、呟くように言ったのだ。
『啓人くんが続けていればね』
啓人も陽人と一緒にバイオリンを習っていたのだが、啓人はバイオリンよりも友人との遊びのほうに価値を見出したらしく、中学入学と同意にあっさり止めてしまった。
教師も両親も説得したのだが、何でもはっきり口にする啓人は、「バイオリンなんて大嫌い」と言ってのけた。
明らかにみんな残念そうだった。
もちろん、陽人は好きだから続けてきたのだけれど、期待に応えたいという気持ちがなかったわけではない。
でも・・・・・・
何でも卒なくこなしてしまう啓人と比べられて育った陽人が、唯一誇れるものがバイオリンだったのに、それすら啓人にはかなわなかったのだ。
それでも、悔しいとかそんな気持ちは湧いてこない。
仕方がないと、簡単に負けを認めてしまえる自分がおかしかった。
だから、陽人は音大に進学しないし、挑戦もしない。
啓人には敵わないにしてもそれなりの成績を保っている陽人だから、付属大学への進学に問題はない。
それなのに、バイオリンを趣味と考え、好きな時に、好きな曲を、好きなだけ弾いていればいいものを、きっぱり諦めることができずにレッスンに通っている。
同じ親から生まれた、同じ遺伝子を持つ分身なのに、どうしてこんなにも違うのだろう。
啓人への憧憬は、陽人の中で膨らむ一方だった。





「アキってば!」
肩を揺らされてハッと我に返った。
「あ、ゴメンゴメン。進学先はまだ決めてないんだ」
「どこに進学するにしても勉強しておくことに越したことはないだろ?別に受験勉強じゃなくても、授業の予習でもいいんだし・・・なっ?アキ、一緒にコウちゃんに教えてもらおう?この通りっ」
思い込んだら突っ走る啓人のことだ。
これ以上他のアイデアを考えるつもりはないらしい、両手を合わせてお願いされては陽人は断れない。
両親ともども、この啓人にはどうしても甘くなってしまう。
「コウちゃんがいいって言ったら、いいよ?」
陽人の返事に、啓人は満面の笑みを浮かべた。








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