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その22






「ヒロ……」
慌てて追いかけてきてくれたのだろう、部屋にいるそのまま薄いシャツ一枚で、上着も羽織っていなかった。
「風邪ひいちゃうだろ」
陽人は首に巻いていたマフラーを外し、啓人の首に巻きつけてやった。
―――追いかけてきてくれたんだ……
啓人は陽人のすることに抵抗するでもなく、されるがままになっていた。
バイオリンを片手に抱えたままだから、上手く巻きつけることができず、少し不恰好になってしまったけれど、啓人は何も言わなかった。
このタイミングで追いかけてくるということは、啓人の部屋のカーテンが揺れたのは錯覚でも偶然でもなかったのだ。
陽人は嬉しかった。
おそらく啓人は陽人と会うつもりはなかったのだろう。
それでも追いかけてきてくれたのだ。
何も言わない啓人に、陽人は微笑みかけた。
もう余計なことを言うつもりはない。
「ヒロ、今までありがとうな」
そしてギュッと啓人の手を握り締めた。
これで伝わるはず。
双子の兄弟なのだから。
「……戻ってこないつもりかよ」
啓人は口をへの字にしながらぼそりと呟く。
「『今までありがとう』なんて。今生の別れの言葉みたいじゃないか」
さっきより少しだけ大きな声。
陽人は応えなかった。
そして曖昧に笑った。
肯定とも否定とも読み取れるように。
啓人が手を振り解き、ポケットから何かを取り出し、それを陽人に押し付ける。
「ヒロ、これ……」
それは陽人が悩んで迷って置いてきた幸太郎の手袋だった。
「アキの大切なもんだろう?」
―――知っているのだ。
啓人は陽人の幸太郎へ恋情に気付いているのだ。今はっきりとわかった。
気付かれているとは思っていたけれど、さすがに面と向かって言われると驚いてしまう。
どう応えればいいのかわからず、陽人は視線を落とし、押し付けられた手袋を見つめるしかなかった。
「これ大事にしてるの、おれ知ってたんだ」
驚いて陽人は顔を上げた。
「それに、アキが今日、これを置いてくんじゃないかってことも」
啓人は全てを知っているのだ。
陽人の幸太郎への恋情だけでなく、この手袋に込められた熱い想いも、置き去りにした焦がれる想いも。
「ヒロ、どうし……」
「おれたち双子だろ?一緒に生まれて一緒に育って、ずっとずっと一緒だった。よく言ってたよね、おれたちは一心同体なんだって。そっくりなのは見た目だけで性格だって全然違う。だけどすべてを超越して一番近い場所にいる片割れの考えてることは全部わかる。アキだってきっとそうだと思う。違うか?」
陽人はふるふると首を横に振った。
違わない。
陽人にだって啓人のことはわかりすぎるほどわかってしまう。
だからこそ、啓人の恋人を好きになったことに悩み、諦める決心をしたのだから。
啓人は陽人に押し付けた手袋をしっかり握らせると、諭すように言った。
「アキはきっと幸せになれる。おれにはわかるよ。だから何でも諦めようとしないで」
啓人の言葉にどうしてだか杉島を思い出した。
「アキがおれのこと考えてくれてるように、おれもアキのこと考えてる。アキが幸せじゃないとおれも幸せじゃないってこと。おれたちが共に生を受けた意味を、もう一度考えて」
そう言って啓人は顔をくしゃりと歪ませた。












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