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その20






荷造りをしていても集中できず、気がつけば手を止めていた。
幸太郎とのデート以来、陽人の心が休まるときはなかった。
あの日、家まで送ると言ってくれた幸太郎を振り切ってひとり帰宅した。
啓人は、病院での点滴が効いたようで、熱も下がってきたのだと母親が教えてくれた。
様子をうかがいに部屋を覗いてみたら啓人はぐっすり眠っていたが、枕元に置かれたケータイが目に入り、逃げるように自室へと戻った。
幸太郎は啓人が寝こんでいたことを知らない。
だからふたりが連絡を取り合っていても不思議はなかったし、それがむしろ当たり前のように思えた。
『今日は楽しかったな』
恋人同士の甘いメールひとつで、一瞬にして陽人のやったことがバレるのだ。
どんな顔して啓人に会えるというのか。
できるならこのまま家をでてゆきたかった。
しかし同じ屋根の下に暮らす家族なのだからそういうわけにもいかない。
運良くキャンセルが出てすんなり契約できたマンションの入居日までは、陽人はここにいるしかないのだ。
どんな顔をして啓人に会えばいいのかわからなかった。
責められることは覚悟している。
それだけのことをやった自覚もある。
ただ、啓人や幸太郎をだましてしまったこと、ふたりを裏切ってしまったこと、そのことでふたりを嫌な気持ちにさせてしまったことがつらかった。
いまさら後悔してもどうしようもないけれど。
翌日母親に啓人の部屋にお粥を運ぶよう頼まれた。
眠っていてくれることを願いながら部屋を訪ねたら、願いかなわず啓人は起きていた。
しかし、啓人は何も言わなかった。
『楽しかった?』
ただそれだけを、笑顔で口にしたのだった。
以来啓人はそのことを話題にすることはない。
啓人に話しかけられるたび、緊張で固くなってしまう陽人だったが、啓人は何も変わらなかった。
あれから数日。
さすがにふたりが何も知らないままだとは思えなかった。
逆に沈黙が怖かった。
知られたくないと思っていたくせに、責められた方がいいような気がしてくる。
そう考える自分勝手な自分に嫌気がさしてくる。
陽人は荷造りをやめ、立ち上がると、処分する予定のデスクの引出しを開けた。
大切に大切にしていた少し大きめの手袋。
撫でるように触れると、胸に抱きしめた。
何度荷造りのダンボールに入れては出したことか。
悩みに悩んで持って行かないことに決めたのはついさっきだ。
陽人はこの部屋には戻ってこないつもりだ。
小さな家具は向こうに送るつもりだが、大きな家具は処分することにしている。
さすがに両親にそれを告げることはできなくて、ちょうど古くなっていたからいい機会なのだと伝えておいた。
幸太郎への恋心が溢れそうになり、杉島に言及され怖くなってこの街を出て行くことに決めたとき、幸太郎との唯一の繋がりであるこの手袋だけは、想い出に一生大事にしようと思っていた。
しかし数ヶ月の間に事情は変わった。
取り返しのつかない行動は、幸太郎への恋情を持ちつづけることを苦しみに変えた。
だから処分しようと思った。
すべてここに置いていこうと決めたのだ。
それでも未練というやっかいな感情がダンボールに入れては出しを繰り返させた。
やっと昨日決心したのに……
どうしても捨てることはできなくて、デスクに入れておくことにした。
それならデスク処分の際にリサイクルショップで何とかしてくれるだろうから。
なのにまたこうやって手に取ってしまう自分がいた。







どうして幸太郎を好きになってしまったのだろう。
どうして幸太郎の相手が自分じゃなかったのだろう。
両親でも時々間違うほどそっくりなのに……







陽人のほうが先に出会い、陽人のほうが先に好きになった。
それなのにどうして啓人なのだろう。
陽人ではなく啓人なのだろう……







そんなことを考えて惨めになるのは自分なのに。
零れそうになる涙を甲でぬぐって、手袋にそっと唇を寄せた。












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