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その17






見上げた空から、突然ちらちらと白いものが降ってくる。
「雪だ……」
この冬一度も降ることのなかった雪を、もう春も近いこの時期に見ることになるなんて。
幸太郎と出会った日のことを思い出す。
降り続いた雪が道路に残っていて、寒さを倍増させていた。
あの時借りた手袋は返しそびれたまま陽人の元にある。
返そうと思って返せなかった。
幸太郎が何も言わないのをいいことに、陽人はずっと持ったままだ。
嵌めると少し大きい手袋。
身体はそんなに大きくないものの、ヴァイオリンの演奏に使う指は人より長めだ。
それでも少しブカブカの手袋。
幸太郎に会わないと決めてから、今年の冬はずっと使っていた。
啓人に見つからないように、レッスンへ通うときにこっそりと。
もちろん受験の日も。
休憩時間や待ち時間になるとギュッと握り締めてパワーをもらった。
優しく手のひらを包まれているかのような気持ちになり、時々切なくなったけれど、それ以上に温かな気持ちになれた。
啓人にも幸太郎にも悪いと思いながらも恋情を消してしまうことはできない。
それなら以前のように、啓人の恋人として陽人の前に現れる以前のように、もう会うこともないだろうと諦めながらも想いを持っていたあのときのような気持ちでいようと思った。
だれにも迷惑をかけることなく、心の奥の奥の、ずっと奥へと想いを閉じ込めて。
そう割り切ったはずなのに、雪を見ると幸太郎を思い出し、心が会いたいと求めてしまう。
同じ街で過ごすのもあと少し。
すれ違うことも、偶然出会うことも、遠くからこっそり眺めみることも、すべてがかなわなくなる。
頬に感じる冷たさとともに、どうしてだか杉島の冷たい声を思い出した。
『我慢できるくらいの感情なんて、おままごとの恋愛だ』
どうして杉島はあんな風に煽るような言葉を浴びせ掛けたのだろう。
陽人のことを気に入らないのはわかっている。
でも嫌いなら陽人がどうなろうが関係ないのだから、放っておけばいいだけだ。
ましてや杉島は幸太郎の親友であり、啓人のことは気に入っているようだ。
ふたりの関係をぎくしゃくさせるような言動や行動はおかしいだろう。
『全ての感情を抑えこんだまま生きていくっつうなら、おまえの人生、つまらないだろうな』
再びよみがえる言葉。
迫り来る別れの日。
ちらちらと舞い落ちる雪の中、陽人は幸太郎の手袋をした手をギュッと握り締めて考えていた。
どうすればいいのか。
自分はどうしたいのかを。








***   ***   ***








「悪い。出掛けにおふくろに用事いいつけられて」
やわらかな日差しがまぶしいポカポカ陽気の休日。
やってきた幸太郎は日差しに負けないくらいまぶしい笑顔だった。
数ヶ月ぶりに会う幸太郎に、陽人は高鳴る鼓動を止めることができない。
少し…髪、伸びたかな?
頻繁に出会っていた頃とは少し髪型が違う。
ジーンズの上に柄物のシャツ。よく見たら小さな小花が散らばっていた。
腰には小さなチョークバッグ。
見なれない幸太郎にドキドキはますますヒートアップした。
額に浮かぶ汗が急いで来てくれたことをあらわしていて、じんわり嬉しさがこみ上げる。
こんな些細なことでも嬉しく思ってしまう自分は、やっぱり幸太郎のことが好きなんだと実感せざるを得なかった。
「もうすぐ始まるから。悪いけどメシは終わった後な」
腕をつかまれ、先へと促される。
「行くぞ。ヒロ」
(ヒロ……?)
幸太郎は勘違いしている……?
「あ、…………」
否定しなくてはならない。
幸太郎は陽人のことを啓人だと思っている。
でも、つかまれた腕から伝わるぬくもりがあまりにも暖かくて、とっさに否定することができなかった。












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