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その16






あと少しでこの街ともお別れだ。
レッスンの帰り道、ヴァイオリンを胸に抱きしめ、陽人は冬の空を見上げた。
陽人は希望していた大学に合格した。
そしてそれは家族の元を離れ、遠くへ行くことを決定づけた。
家族だけではない。
幸太郎とも離れることになる。







***   ***   ***







陽人が系列の大学への内部進学から音大の受験への進路の変更を言い出したとき、その大学が新幹線で数時間もかかる場所だとわかっても、両親は反対しなかった。
自主性に任せるとは体のいい言葉であって、陽人の将来に期待もしていないし、興味もないのだろう。
ただ、受験するに当たっての金銭面での問題や、合格した場合の仕送りなどの援助をしてくれることだけでもありがたかった。
ヴァイオリンの教師は、陽人の申し出に最初は驚いたものの、教え子が音大を目指してくれることは嬉しいらしく、レッスンの時間を大幅に増やしてくれた。
小さなころから音楽には慣れ親しんでいるため基礎はできているし、あとは実技試験対策のため、ひたすらレッスンをこなすのみだった。
陽人は自分のヴァイオリンはダメだと思っているが、音色を奏でることは大好きだし、小さなコンクールで本選出場できるくらいの腕前は持っていた。
ただ自信がないだけなのだ。
だから、音大への進学は実力的には問題はなかったのだった。
忙しい日々は陽人にとってはありがたく、他事を考えなくてすんだ。
内部進学を決めている啓人は、相変わらずのんびりした生活を送っているようだった。
何に対しても要領が良く頭もいい啓人は、成績順で優先権がある希望の学部への進学を早々に決めていた。
音大への進学を決めた陽人の邪魔をしてはいけないと気を使っているようで、朝の通学時にしか会うことはない。
学校ではクラスが違うからもともとそう会うことはなかったし、レッスンを終えて帰ってくると、すでに自室で休んでいたりと、顔を合わす機会は減っていた。
陽人が故意に避けていることもあったが、それを匂わす陽人の行動にも啓人はうすうす気づいていたのかもしれない。
もちろん幸太郎に会うこともなかったし、ましては杉島を出くわすなんてとんでもなかった。
ずっと一緒だった啓人との触れ合いがなくなるのは淋しかったけれども、それ以上に胸の痛みを避けたかった。
幸太郎を見てるだけでふんわり幸せな気持ちになれたあの頃。啓人に自分を重ね合わせてまるで自分が幸太郎と恋愛をしているかのような気持ちになれた疑似感。
そのままでいれたらよかったのに、自分が欲張ったばかりに、恋情が膨らみすぎてしまった。
ふたりの姿を見ているのが苦しくなって、しかも啓人にあやうく気づかれそうになった。
だから遠くへ行こうとしたのだ。










無事大学に合格し、陽人はほっとしたし、みんなが喜んでくれた。
両親に至っては、合格するとは思っていなかったのだろうか、予想以上に喜んでくれて驚いた。
啓人も、淋しくなるとは口にしていたが、陽人の希望が叶ったことを祝福してくれた。
啓人はすぐに幸太郎に報告したのだろう、みんなで食事でもしようと啓人を通じて誘ってくれたけれど、陽人は理由をつけて断り続けた。
もう幸太郎には会わない。
ましては啓人と一緒にいる幸太郎に会うなんてとんでもない。
幸太郎は自分のことなんて何とも思っちゃいないだろうけれど。
それにきっとOKすると杉島までついてきそうな気がする。
それは陽人にとって絶対に避けたいことだった。
大学に合格したからといってそこで終わりじゃない。
志望の動機はどうであれ、音楽を続けられることは、陽人にとっては嬉しいことだった。
音楽を専門に学ぶのだから、そこには志を持った者たちの集団なのだろう。
レッスンをやめることはできないし、少しでも自立しようとアルバイトを試みたりした。
下宿先を見つけるために下見に行ったりしていると、毎日があっという間に過ぎて行く。
そして気がつけば卒業式も終わり、来週には家を離れる予定になっていた。













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