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その14






久しぶりにレッスンが休みの日、陽人は学校帰りに楽譜を見に行くことにした。
いつもはヴァイオリンの教師が懇意にしている楽器店で取り寄せてもらうのだが、なんとなく自分の目で見たくなったのだ。
自宅とは反対方向の列車に乗り、滅多に訪れない大型楽器店へ足を運んだ。
そこは、この地方でいちばん品揃えが多く、あらゆるジャンルのCDや楽器、楽譜などを取り扱っている。
ヴァイオリンを始めたのは、自分の意思ではなくクラシック好きな両親に習わされたのがきっかけだが、ここまで続けてきたのは陽人の意思である。もちろんヴァイオリンが好きだからだが、ヴァイオリンだけでなく、ギターなどの弦楽器も好きだった。
楽譜売り場で目的を果たした後、電車の時間までまだ時間があったから、なんとなくギター売り場に立ち寄った。
展示されているギターを指で弾くと自然と笑みが浮かぶ。
楽器に囲まれているだけでワクワクしてくる。
こんなとき、自分はやはり音楽が好きなんだと自覚するのだ。
売り場をひととおり眺め、ハイな気分になってエスカレーターに向う途中のレジカウンターの中に、会いたくない男の姿を発見し、陽人は足を止めた。
突然言いようのない不安に襲われ、立ち竦んでしまう。
しかし、何か作業をしているのだろう、陽人に気づいた様子もない。
これ幸いと階段の方に方向転換した。
「オイ」
聞こえないふりでそそくさと足を早める。
「オイッ!」
さらに大きな声が背中に浴びせられる。
それでも先を急ごうとすると、後ろから腕を掴まれた。
「無視すんなって!」
ギロリと睨まれれば心臓がすくみ上がり動けなくなる。
そんな陽人を、いちばん会いたくない男・杉島が見下ろしていた。
逃げられないと本能で感じ、陽人が身体の力を抜くと、掴まれた腕の力も比例して弱くなる。
「もうすぐ上がりだから。下のカフェで待っとけ」
有無を言わさない力強い声音と睨みに、陽人は従うしかなかった。





***   ***   ***





どういうつもりなのだろう。
ビルの1階に入っているカフェの一番の奥の隅っこで、陽人は小さくなって考えていた。
本当は一方的な約束なんて反故にしてさっさと帰宅してしまいたい。
しかし、そうすれば杉島は自宅にまで押しかけてきそうな気がしたから、陽人は杉島に言われるままこのカフェへとやってきたのだ。
もう会わないと思っていた。
陽人さえ気をつけていれば会うことはないだろうと思っていたのに。
一体どういうつもりで呼び止めたのか、陽人には皆目わからなかった。
啓人によると、杉島は陽人にまた会いたいと言ったらしいが、陽人ははっきりと断った。
みんなで出かけたあの日、杉島の気持ちは陽人に全く向かっていなかったのに、また会いたいなんておかしすぎるし、杉島にそう思わせるほど自分に魅力がないことも自覚している。いいようにからかわれているとしか思えなかった。
もちろん一番の理由は、陽人にその気がないことだったけれども。
もしかして、陽人が杉島のアプローチを断ったことに腹を立てているのだろうか。
陽人にとって杉島は苦手なタイプだけれども、客観的にみるととてもいい男だと思う。
初めて出会ったとき、タバコをふかしていたその姿に一瞬目を奪われたのは否めない。
ワイルドで野性味溢れ、一見遊んでそうなタイプ。幸太郎とは正反対のタイプだ。
陽人の好きなタイプではないだけで、レベルはかなり高いと思う。
どうやっても地味でおとなしい自分と合う気がしなかったし、気に入られることもないはずなのに。
「逃げなかったんだな」
上から浴びせられた声にハッと見上げると、杉島は薄い笑みを浮かべて、陽人の前に腰を下ろした。
返事もできないでいる陽人の前に、皿に乗ったドーナツが置かれた。
「食えよ」
「え、でもっ―――」
「おれが腹空いてんの。どうみても年上のおれだけ食ってんの、おかしいだろうよ。だから食え」
食え、と言われても杉島の前では食べる気がしない。それより何の話だろう、そっちの方が気になる。
ドーナツを見つめたままの陽人におかまいなく、杉島はドーナツを頬張っていた。
「・・・・・・なに?おれのおごりなんて食いたくないって?」
「そ、そんなっ・・・」
「じゃ、食え。甘いもん好きなんだろ?」
確かに陽人は甘いものが好きだ。
そういえばあの日、そんな話をした覚えがあるようなないような・・・・・・
陽人はそんな些細な話を杉島が覚えていることに驚いた。
そして、陽人は目の前のドーナツに手をつけた。
チョココーティングがしてあるドーナツは、甘すぎることなく、歯ざわりも抜群でおいしかった。
大好きな甘いものを食べていると、心が落ち着いてくる。
食べ終わってハッと顔を上げると、皿に2個乗っていたドーナツをすでに平らげていた杉島が陽人をじっと見ていた。
「ごちそう・・・さまでした」
あんなに食べることに躊躇していたのに、ひとくち口にするとパパッと食べてしまった自分が恥ずかしい。
陽人は恥ずかしさを紛らわすために、グラスのアイスティーを一気飲みした。
とても居心地が悪い。
適度にざわついた店内も、陽人たちのテーブルだけがやけに静かに思える。
「どう思ってんだ?」
陽人をじっと見据えたまま、杉島が口を開く。
その目はとても鋭く、質問しているにもかかわらず、答えをすべて見透かしているような目だった。
「好きなヤツが、弟と付き合ってんの、平気なのか?」
疑問形だけれど、答えなんて求めてやしないことは一目瞭然だ。
「しかも双子だろ?おんなじ顔なんだぜ?別に啓人じゃなくたっていいだろう?幸太郎にとっては、啓人もおまえもおんなじ―――」
「ち、違います!」
陽人はやっとの思いで口を開いた。












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