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その13






「ヒロ、悪いんだけど―――」
杉島に断りを入れてほしいと頼もうと思ったときだった。
「アキ、他に好きな人でもいるの?」
思いがけない問いに驚いた陽人を、真っ直ぐ見つめる啓人の双眸が捉える。
すぐに否定しなければと思えば思うほど、言葉が出てこなくて、ぐるぐると啓人の言葉が頭の中を駆け巡る。
以前にも問われたことがある。
『コウちゃんのことが好きなの?』と。
あの時も上手くかわせなくて肯定も否定もできず、結局そのままうやむやになってしまった。
その後啓人がそのことに触れることもなく、陽人はホッとしたのだ。
今回は幸太郎という特定の人物を口にしなかったが、啓人が言う好きな人が同じく幸太郎を差していることを陽人は感じていた。
まるで鏡に映っているような、目の前の同じ顔。
探るようにじっと見つめる瞳が、不安に揺れていることに気付き、陽人は不思議な気持ちになった。
明るく活発で友達も多く人望も厚い啓人。
幸太郎に愛されている啓人。
共に生まれ、そっくりの容姿を持ちながら、いつも陽人の前を歩いていく啓人。
そんな啓人も、兄である陽人には弱い部分をひけらかす。
特に幸太郎という恋人が出来てからはその回数が多くなったように思う。
恋をすれば臆病になる。
それは片思いでも両思いでも、恋人がいてもいなくても、一緒なのだ。
陽人は啓人が好きだ。
啓人がいなければ、陽人はもっと卑屈で暗い人間になっていただろう。
不器用な陽人を助け、世界を広げてくれた。
啓人が何を不安に思っているのかわからないが、もし自分が幸太郎を思うことすら啓人にとって厭わしいことならば、その不安を取り除いてやりたい。
どうせ自分の想いが実ることはないのだ。
陽人は揺れる瞳で陽人を見つめ続ける啓人に、二コリと笑みを返した。
「昨日ヒロたちを見てて、彼氏っていいな〜って思ったのは事実だよ。でもね、今はそういうこと考えられないんだ。おれ、音大に絶対に合格したいから、今年は受験だけに全力を注ぎたい。だから悪いんだけど、杉島さんにも幸太郎さんにもそう伝えてくれないかな?」
「えっ?アキ、音大受けんの?」
「うん、おれ、やっぱりバイオリン好きだし。他にやりたいこともないし。演奏家になろうとかそういう大それた願望はこれっぽっちもないけど、音楽教えたりっていう生活ってのもいいかなって。少し前から考えてたんだ」
陽人は箸を置くと、啓人にゆっくりと話かけた。
「そんなの、おれ聞いてない。アキ、そのまま付属の大学に行くっていってたじゃん!」
「うん。少し前まではそのつもりだったんだけど。アキにはきちんと言っとかなくちゃって思ってたんだけど、音大なんて高望みって理由で一度は諦めたくせに、再チャレンジするなんてなんだか恥ずかしくて・・・・・・」
本当は迷っていた。今の今まで迷っていた。
陽人の住む地方には音大はなく、自宅から通えるような場所ではない。
もし合格したならば、家を出ることは必至だ。
ずっと一緒だった啓人と離れることは不安だったし、何よりも幸太郎と離れたくなかった。
しかし、昨日の出来事で一転し、さっきの啓人の問いかけで陽人は決心したのだ。
いろいろゴメンと頭を下げて、最後に強く言った。
「何を心配してるのかわかんないけど、おれは幸太郎さんに特別な感情なんてないし、好きな人もいないから」
はっきりと告げた陽人だったけれど、啓人は何も言わなかった。












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