inspiration |
その11
啓人たちが帰ってくるまで、何度も何度も頭の中でシュミレーションしたとおり、少し気分が悪いから車で休ませて欲しいと言う陽人の言葉を、誰も疑うことはなく、むしろ心配されて心が痛んだ。
それなら帰ろうかと、幸太郎は釣った魚をリバースしようとしたが、少し休んでいれば大丈夫だし、すぐに車に揺られるのはつらいからと陽人が言えば、複雑な表情を浮かべながらも納得してくれた。
後部座席に乗り込んで、陽人は大きく息を吐いた。
木陰に停めてあるためか、車内はさほど暑くはなかった。
シートに身体を預け目を閉じる。
微かに聞こえる啓人のはしゃいだ声。とても楽しそうだ。
きっと杉島も自然を満喫しているに違いない。
こなければよかったと陽人は後悔していた。
幸太郎と一緒に出かけることができる、ただそれだけのために、OKの返事をした自分が愚かしい。
啓人と自分を重ね合わせ、まるで自分が幸太郎に愛されているかのような錯覚に陶酔し、こっそり幸せな気持ちを味わっていた。
それで満足だった。
それなのに、今日はどうだろう。
仲睦まじいふたりの姿に自分の姿を投影させ、いつものように満足していられたのはほんの一時だけだった。
自分は啓人とは違うのだ、自分が愛されているわけではないのだと、改めて感じた。
おそらく、杉島という人物が原因だ。
幸太郎は、啓人と陽人、ふたりが一緒にいるときは、同じように接してくれていたのだ。
啓人とふたりきりの時には恋人として接しているだろうが、陽人が加わったときにはそんな素振りを見せなかった。
あからさまな態度は見せなかったのだ。
しかし、杉島は違った。
啓人と陽人を区別し、全く違った態度で接した。
今さら始まったことではない。
杉島に限らず、両親も、親戚も、バイオリンの教師も、クラスメートも、みんなみんなそうだった。
そしてそれらを陽人も認めていたし、諦めてもいた。
たくさんの人に囲まれている啓人が誇らしかった。
だから、いつものことだと思えばいいのに、今日はそう思えなかった。
あからさまな杉島の態度。
杉島の性格もあるだろうが、陽人は上手く接することができなかった。
幸太郎も困ったような顔をしていた。
何度も啓人に「いい人だろ、杉島さん」と小声で確認され、頷くしかできなかった。
もっと努力すればよかったのかもしれない。
啓人のようにとはいかないまでも、もう少し杉島への接し方を考えればよかったのかもしれない。
そんな風に考えて、陽人はまたひとつため息をついた。
そんなこと、自分にできるわけがない。
ぐずぐずした性格の自分が、苦手なタイプの杉島に、上手く接するなんてできるわけがない。
おまけに、いつも視線で追っていた。
杉島なんか目に入らなかった。
気がつけば幸太郎を・・・瞳は捕らえていたのだから。
ガチャリとドアの開く音に、陽人は身体を震わせた。
さっきよりもさらに不機嫌そうな表情をした杉島が、運転席から顔を覗かせ、陽人はますます身をすくませた。
「どうよ、気分」
少しもいたわりの気持ちが入っていない言葉に、杉島に仮病がばれているのだと気づかされ、陽人はどうしていいかわからなくなる。
「大丈夫・・・です」
小さな声で答えるのがやっとだった。
「だよな」
フンと笑われ、陽人は顔を上げることができなかった。
仮病だとわかっているならどうして様子を見に来たのだろうと疑問に思ったが、おそらくは啓人にでも無理やり押し付けられたのだろうと思うと納得がいく。
ますます杉島に対して申し訳なさが募り、陽人はくちびるをかんだ。
静かな時間が苦しくて、息が詰まりそうだ。
杉島だって同じだろうに、どうしてだか立ち去る気配もない。
車の騒音や人の声など日常の音が消えてしまった山間の静かな世界。
恨めしいくらいの静けさは、お互いの呼吸音さえ飲み込んでしまったかのようだ。
どうすれば杉島に戻ってもらえるだろうか、もし杉島がここで一服したいのなら自分がどこかへ場所を移そうかと、口を開きかけたときだった。
「おまえさ、アイツのこと好きなんだろ」
アイツとは誰のことだろうと、ほんの一瞬考えてすぐに、頭の中が真っ白になる。
驚いてすぐさま顔を上げると、開いたドアに手をかけて、杉島が陽人を見つめていた。
あからさまに揶揄うような表情だが、まっすぐな視線から逃れることができない。
「え、っと、なん―――」
「ごまかしても無駄。あんな露骨な態度じゃ誰でもわかるっつうの」
バカじゃねえの?と言いたげな杉島に、陽人は何も言えなくなり押し黙った。
誤魔化すこともなく、黙ったままの陽人の態度では、肯定しているも同然だ。
たとえ陽人がどんな誤魔化し方をしても、杉島が信じるとは思えなかったが。
黙り込んでしまった陽人に、大きなため息を浴びせると、杉島は言った。
「おまえら、双子のくせにほんと似てないな」
今朝会ったときとは全く逆の言葉が、冷たく、呆れたような声音に乗せられ、陽人を突き刺した。
戻る | 次へ | ノベルズ TOP | TOP |